2017年10月27日金曜日
「私の方が不幸だ!」という人が、変わるとき。
警察官クビになってからブログ、というブログが人気のようで、たまーに拝読するのですが、
「私の方が不幸だ!」と言う人が多い
http://www.keikubi.com/entry/2017/10/27/%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AE%E6%96%B9%E3%81%8C%E4%B8%8D%E5%B9%B8%E3%81%A0%EF%BC%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%86%E4%BA%BA%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84
というエントリーが気になったので取り上げみました。
このブログを書いておられる方は、その人生において
「けっこう不幸、と思われる歩み」
を経験しておられるのですが、それに対して
「自分のほうが不幸だ」「あなたはまだマシだ」
と言ってくる人が多いよね、というのが骨子です。
で、彼はそのことについては、そのまま肯定も否定もあまりせず、
「不幸だと思う人は、ブログに書くといいと思う」
とさらっと新しい提案をなさっています。うん、まあいいと思う。
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さて、この話をぼんやり見ながら、「不幸」についていろいろとこれまた気になっている点をちょっとだけまとめてみたいのです。
なぜかと言うと、上のブログの方も少しだけ触れているのですが、
「私のほうが不幸だ」
という比較も、世間では良くあるし
「世の中にはもっと不幸な人もいるんだ」
という外野からの投げかけもよくあります。
でも、それらについて「不幸自慢」「不幸比較」「不幸判定」をするのは不毛だし、おそらくエンドレスで際限がありません。
むしろそもそも、「不幸である度合い」「不幸度数」は主観によるので、客観的に判定することはできないのです。
だから、それを比較したり、不幸であることについて誰かと誰かが議論したりすることは、ほとんど意味がないのですが、武庫川の経験則から考えると、ちょっと気になる事象があるのです。
もちろん、「個人の感想です」レベルですから、万人に当てはまるわけではないかもしれませんが、まあ、お読みください。お暇なら。
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「私の方が不幸だ」と常々感じているAさんという人がいるとしましょう。
その人が、たとえば、他者の不幸なエピソードを見聞きしたり、他者が不幸であることを認識したりしたとします。
その時、外野から(要するに友達や知り合いから)「ほら、あんなに不幸な人がいるんだから、あなたはマシよ」と言われたとしても、Aさんは
「その人も不幸かもしれないが、私は不幸だ」
と思っていたら、このAさんはこれまで通り鬱々とした人生を過ごします。
この時、興味深いことに、仮に比較された他者のほうがはるかに不幸で、Aさんもそのことを自覚して、
「その人のほうが不幸かもしれないが、私も不幸だ」
と感じたら、他者のほうが不幸でも、Aさんはこれまで通り鬱々とした人生を過ごすのです。
ところが、ここから不可思議な現象が起きます。
Aさんが自分より不幸な他者を見聞きした際、
「その人は不幸かもしれないが、私は幸せかもしれない」
と感じたら、Aさんは生き方が大きく変化するのです。なんていうか、そう!前向きに、ポジティブに人生を捉えるように変化します。
もちろん、そう感じただけで周囲の状況は何も変わりませんから、すぐにAさんが幸せになるかどうかは別なのですが、それでも
Aさんは幸せな方向へ向かって歩みはじめる
ことが多いのです。
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以上のような「不幸だ」という人の変化は、あくまでもムコガワの経験則で話していますから、全員がそうとは言いません。
しかし、
「人は自分より下(不幸)な人を見て生きる」
とか
「人は自分より不幸な者を見て安心する」
とか、そういった単純な図式ではなさそうです。
どうも、そっちではなく、確かにそこには「不幸の比較」がきっかけとなって存在し、かつ「自分より下(不幸)な者や現象を認識する」ことがスタートなんだけれど、ポイントはそこではなく、
「人は、自分が幸せであると知った時に、開眼する(変化する)」
とも言える展開がある、ということなのです。
なので、不幸である人に対して、どれだけその人より不幸な他者を見せたり、不幸な事例を示しても、彼が
「自分が幸せである」
と実感できないならば、他者の不幸がどれほどえげつないものでも無意味なんですね。
逆にどんな些細なことでも、
「あ、ボクは幸せかもしれない」
とか
「ああ、あたしは実は幸せなんだ」
と思えた瞬間に、鬱々とした人生から晴れ晴れとした人生へと舵が大きく変化する、ということなのです。
そして、ちょっとこれはゲスいですが、このきっかけというのは
「あ、ボクはあの人よりも幸せかもしれない」
でも
「ああ、あたしはあの人より実は幸せなんだ」
でもOKなんですね。
そういう意味では人は優劣をつけたがり、自分の地位について比較もするし、マウントし合う弱い生き物です。
でも、ポイントは不幸の下争いではなく、「そのことで自分が幸せであることに気付く」ことがミソだったというわけです。
なので、自分が幸せだと認識できない場合は、残念ながら最期までそのまま行きます。
鬱々とした人生
が待っています。
けれど、「あ、ちょっと自分幸せかも」と思える人は、それがどんな些細なことやエピソードであっても、それを感じられれば
人生、意外にいい感じになるかも
しれません。
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