2019年8月3日土曜日
新しい哲学のスタート 人間の世界は2つの層で出来ている。 ~肉体と論理~
解脱者になれぬ人間が、少なくともこのセカイの真実とやらをある程度理解して、その上で一種の「悟り」を開いて生きてゆくにはどうしたらよいのか、ということについてですが、簡単な方法として
エビデンス主義
を挙げることができるでしょう。
平たく言えば、「ごちゃごちゃ言ってても仕方がないので、このセカイはこうなっているよ、という証拠が示されれば、もうどうしようもないじゃん」ということです。
結果として、解脱したのと同じような諦念に包まれながら生きていくことができます。
解脱者ムコガワは、ちょっと前までは評論家の呉智英さんが好きだったのですが、彼の場合は
「あだ討ちを復活させろ」
とか、なかなか面白い主張が多いので、ある意味・観念的なところがあるので、好き嫌いが分かれるかもしれません。
それに対して、ここ数年で一気にメジャー論者になってきたのが橘玲さんです。彼の場合は「言ってはいけない」シリーズなどで「不都合な真実」について証拠仕立てで攻めてきますから、読み手としては
感情的には嫌だとしても、ぐうの音も出ない
ということが多いのが特徴です。
その橘玲さんの論考ですが、基本的にはムコガワもおなじ論調です。
「取り残された男たちのテロ」 (橘玲)
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2019/08/03/109452/
今回の週プレさんのインタビューもなかなか面白いです。
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今回の橘さんの記事では、「テロを引き起こすのは若い男性が多い」点について言及がありました。
同じことを、このブログでも書いています。
引きこもり男性と無差別殺人の相関 (武庫川散歩)
https://satori-awake.blogspot.com/2019/05/blog-post_28.html
また、女性と男性を比較すると、女性のほうが優劣のばらつきが少ない点も、橘さんの論考を一歩進めて武庫川は仮説を立てています。
男性優位社会が出来上がった理由 (武庫川散歩)
https://satori-awake.blogspot.com/2019/01/blog-post_23.html
さらに、犯行を犯す彼らは「正義」だと信じてそれを行っている点も、このブログで言及しました。
ストーカーは正義である(武庫川散歩)
https://satori-awake.blogspot.com/2016/05/blog-post_27.html
日本人には理解できないテロの論理 (武庫川散歩)
https://satori-awake.blogspot.com/2016/07/blog-post_8.html
武庫川の場合は、体験、体感をベースにしながら仮説を立ててゆくのですが、橘さんはそれに冷徹な証拠やデータを付け加えることで、いっそうの説得力を持つお話を次々に繰り出しておられます。
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さて、ここからが今日の本題。これまでの哲学と、これからの哲学がエビデンス主義によって変化するとするならば、そのポイントはある焦点に集約されてくるように思います。
それは、「物理的肉体層」としての人間のお話と、そこから上の「論理的存在層」としての人間のお話ということになるでしょう。
ああ、ちょっとわかりにくいですね。もう少し平たく言いましょう。
どうしてこのセカイでは問題がたくさん起こったり、政治や社会がうまくいかないのか、ということの原因は
「肉体としての人間」と「論理としての人間」
がどんどん乖離しているからに他なりません。
実は、人間の体が2層になっていることは脳科学者にとっては当たり前のことなのですが、脳科学の世界では
「ヒトが生命体として生きてゆく部分を司る、脳幹などを中心とした古い脳」
と
「知能や言語、文化や論理といった社会やセカイを構築する大脳新皮質などを中心とした新しい脳」
があると言われています。
ポーン・マクリーンという学者は、2つではなく3つに分け
■ 「反射脳」 脳幹・爬虫類脳
■ 「情動脳」 大脳辺縁系・哺乳類脳
■ 「理性脳」 大脳新皮質・ヒト脳
という分類をしました。いずれにしても、脳は層になっていて、進化の発展の中で継ぎ足されるように新しい機能が生まれる、と考えられているわけです。
マクリーンは、「人間の苦悩というのは、この異なる層が存在するゆえにあるのだ」と考えたそうですが、私も同じように考えます。
ムコガワ的には、脳の機能に限定してというよりも、現代社会のヒトは、
「肉体、ボディ」としての層
と
「論理、理性」としての層
が実は遊離したり乖離したり、合致していないのではないか?と推理します。
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ムコガワは、セカイはコンピュータのように「論理構成」だけでできていると唱える「セカイは存在しない」論者です。
最初の仕事では、同僚と一緒にLANケーブルを這わせてネットワークを構築したり、そんなことばかりやってましたが、LANとインターネットのセカイには
TCP/IP
という階層別のプロトコルがあります。(苦手な人はパスしてOK)
OSI参照モデル、という現代のコンピュータとネットワークの基礎になっている通信機能の考え方では
「物理層」「データリンク層」・・・と最後の「アプリケーション層」まで
7つの階層を持って規格化しています。
こんな話はわかりにくいので、要するに、簡単に言えば
「物理的な階層」レベルでネットを繋ぐ → LANケーブルが規格にあっているか。ハブはどうか。
「論理的な階層」レベルでネットを繋ぐ → データをそれぞれの言語や規格が理解し合えているか。
というように2つのレベルがある、と考えてよいでしょう。実際には7段階に分かれるけれども。
なので、通信をしようと思えば、物理的なIPアドレスがそれぞれに割り振られていることも大事だし、ケーブルのカテゴリも大事だし、ハブがどこまでのスピードに合っているかも大事だし、そして、その上に流れるデータも大事だよ、ということなのですが、
「物理層の機能が限定的だと、いくら論理的には速く通信できても、実際のスピードは出ない」
なんてことが起きます。
これが、ヒトの世界にも起きています。
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どういうことでしょうか。これも分かりやすく言いましょう。
日本人は、勉学に励んで、智恵や知識を身につけ、自己実現をして、社会にその力を還元させながらお金をいただいて、文化的な生活をするのが理想です、という論理的な生き方が示されていますが、
実際には、女性などは、そのために10代後半から20代前半を学問に費やし、そこから社会のために仕事をしようとしたら、子供が産めない、という制限を受けてしまいます。
簡単に言えば、論理層の生き方は理想的ですが、物理層の肉体のことを考えると制限を受けてしまうのです。
こんなことは、世界中で山のようにあります。今回の橘さんの話にも出てきますが、
「理想の上では高学歴、高収入、リア充」
でありたいのに、
「肉体はチビデブで非モテで、派遣社員の非リア充のおっさん」
なんて人は山ほどいます。こうした「論理層が満たされない肉体層が脆弱なヒト」というのは、苦しむ以外にはありません。
※余談ですが、「論理想が脆弱で、肉体層が壮健な若者」は、パリピとしてモテ傾向にあったり、地元でマイルドヤンキーとして子沢山だったりします。
なので、それなりに幸せです。リア充なので。
ずっと言ってるかもしれませんが、私の元恋人で、筑波大学を出て公務員として年収700万円もらっているエッチなHちゃんは、45歳独身女子で子供もなく、子孫は絶滅するでしょう。
論理層がいくら満たされても、肉体層の限界には、どうしようもないし、その結果は遺伝子の絶滅以外にないのです。
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橘さんのインタビューでは、「じゃあ、どうすればよりよい社会に出来るんだ?」という問いに対しての答えはない、ということになっています。
解脱者が説明すると、「よりよい社会とは結局、論理層をよりグレードアップさせてゆくだけの話なので、どんどん物理層とは乖離が広がるから、社会はよくならない」という結論になるでしょう。
より高収入で、より公平で、よりモノが潤沢にあって、人々がより安心して暮らせる社会を追い求めることは「論理的にはどんどん追求できる」けれども、実際の肉体層、物理層は、そんな理想論とは真逆のところで動いているからです。
真逆とはつまり、オスはメスとまぐわうことだけを考えていて、その日暮らしの狩猟採集のような形で、「掴まえる・食べる・排泄する・寝る・まぐわう」の繰り返しが物理層のあるべき姿であり、立ち位置やポジションを求めて熾烈に争いあい、相手を殺してしまうようなマウント合戦こそが肉体の現実なんだ、ということです。
そうすると、これからのエビデンスに基づく哲学とは
「物理層と論理層をいかにすり合わせて、落としどころで我慢するか」
ということを提唱していく以外にはないということです。
誰もがちょうどよく不満足な社会、誰もがちょうどよくやや優しい社会の微妙なラインをせめぎ合うのが幸せの本質であるということになるのでしょう。
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