2016年7月8日金曜日

テロをなくすにはどうしたらいいのか。 ~日本人が理解できないテロの論理~


 世界中が、テロで満ち溢れている昨今ですが、いかがお過ごしですか?


 そういえば、しばらく前に「エロテロリスト」なるものが、活動していたのですが、 最近は活動が停滞していますね。


 ええ、インリン・オブ・ジョイトイさんですが、結婚してお子さんをお産みになったそうで。いいお母さんです。



 というわけで、軽い話題から重い話題まで、ギャップの激しい当ブログですが、今日は



「テロをなくすにはどうしたらいいか」


という壮大なテーマでお届けしようと思います。



 というのも、


 ダッカテロ ~日本人が知らないジハードの論理~
 http://agora-web.jp/archives/2020092.html


 なる、アゴラの言説を読んで、「なんじゃこりゃ」とスッテーンとこけたところだから。


 この方の論によれば、「イスラム信者がジハードを起こすのは、イスラムを受け入れない国の国民や、その味方をしたものを敵とみなしているから」ということのようですが、


そ、そうだよね・・・。


としか言えません。ましてや、そのことを日本人が知らないだろうけれど、それではだめだよね、ということのようですが、



そ、そうだね・・・。



としか言えませんな。



 私は元キリスト教原理主義者ですから、砂漠の神が、「異教徒のすべての長男の首をはねろ!」とか、「滅ぼしつくして、その妻や子まで根絶やしにしろ」というタイプの神で、イスラムでもキリストでもユダヤでも、基本はそういう神に忠誠を尽くそうという意識があることを知っておりますので、


だから、ワシはそっちの信者として、活動していたのだ!


と言えるのですが。


 どうも、日本人にはこういうことがピンと来ていないのでしょうな。だからオウム真理教にだってやられるのです。



 そういう意味では



 心優しい人達が見たくない「不都合な真実」 松本徹三
 http://agora-web.jp/archives/2020114-2.html


というこっちの話のほうが、わかりやすいですね。


 松本さんの論点をまとめると、


①日本人は国際的に中立であるべきとか、まず世界の貧困と格差を解消しようみたいな、生ぬるいことを言っているバカは氏ね。

②評論ばっかりしてて現実への対抗策を出せないのはアホ。



 ということをまずカツンとかましておいて、その後で


『尊皇攘夷主義者も、一人でも多くの外国人を切るべしと思っていた点では原理主義者でおなじ』

とか

『日蓮宗から出た”一人一殺”みたいな視点もテロルだよね』


という実例を挙げて、似ている面を論じているのは好きです。



 松本さんの主張は、「じゃあ、どうするのか」という点では


「暴力と破壊を徹底的に憎もう!」

ということになっています。暴力を絶対悪と規定せよ!とまでおっしゃいます。



その具体策は、以下引用しますが


 ”公然とテロリストである事を謳っている組織は壊滅させるしかない。暴力によって多くの人達の人権を踏みにじり、自らの政治的な野心の為に一般市民の経済基盤を破壊しようとする人達には、死んで貰うしかない。”



・・・? ん?


・・・壊滅させるの?暴力を使わずに?


・・・死んでもらうの?口先だけで?言霊的なパワー?


武庫川アホなので、よくわからないのですが、暴力を振るうテロリストは、壊滅させるべきであり、テロリストは死んでもらう、というのは



 そ、それが暴力と破壊なんじゃないすか?


というハテナが生まれるんですが、なにか?



  どうも松本さんの頭の中には「いい”暴力と破壊”、と悪い”暴力と破壊”」があるらしく、その良し悪しは松本さんが決めているようです。



 砂漠の民はその良し悪しを砂漠の神にゆだねているわけで、約一人のマツモトなるヒトと神とだったら、神の言説のほうが、重いんですがどうしたらいいんでしょうか。




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 では、他者のことはさておき、解脱者はどのようにこの問題を解決するのでしょうか。


 「テロを世界から無くすにはどうしたらいいのか」


そこにはまず



「まず、神は存在しない」


ということが人々に行き渡らないとだめだと思っています。この言い方で誤解をまねくというのなら


「この世界は無常であるので、ある集団からみた善や、ほかの集団からみた善など、存在しないのだ」


といってもよいでしょう。



「まず、善悪を捨てなさい」


これが、最初の一歩です。


 良いということも、悪いということも、それに執着してはいけない。執着しなければ、「これが正義だ」と思って殺しあうことはなくなるのです。


 
  では、相反する両者が、互いに向かい合っている時は、どうすればいいのか。


「自分の分(ぶ)と相手の分(ぶ)がそこに存在するのなら、自分の分を少しだけまげて相手にも利を与えなさい。お互いにそうすることで、総体としての人の世界は、きっとひどいことにはならない」


と考えます。



 しかし、ここではものすごいことが起きます。どういうことか?


自分の分を曲げるのですから、自分たちにとって結果はマイナスなのです。相手もそうですから、相手だってマイナスしか得ていません。


 そこを納得できるかどうか!


 納得できなければ、いつまでも争いは起こるでしょう。自分の善を主張しあうことでしょう。


 

 だから、この世界は無常だと言っているのです。


「自分の分を曲げることがマイナスだ、と感じることがそもそも間違っていて、そもそもこの世界はあって無きものなのだから、それだけでも分があるのなら、それは有難いことだ」


と感じることで、世界は楽になるのです。



 東洋思想、仏教思想で言う「知足」に似た精神ですね。





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 解脱者が説くこの世界の真実は



「まず、善悪を捨てよ」


ということに他なりません。奇しくもキリスト教において、人が原罪を負ったのは


「善悪の知識の実」


を食べてしまったことではありませんでしたか?



善悪を知らなくても、人はよいのです。ただ、足ることを知っていれば、平穏はおとずれます。







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