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エホバの証人を辞めた後に読んでほしいアドバイス 〜新しい自分を再構築するために〜
http://satori-awake.blogspot.jp/2016/02/blog-post_26.html実は、この記事では主に信仰上の変化をどのように受け止めればよいのかについて書いたのですが、現実に起きている元信者さんの問題としては、
「実はものみの塔協会や、信仰とはぜーんぜん関係がない、あること」
が悩みの中核になっているということに気づかされました。
どういうことか?
私の場合は、「神の存在をめぐる定義」を自分で問いただした結果として、エホバの証人ではなくなったし、会衆を離れたことで起きるトラウマのようなものにも全然悩まされなかったのですが、それはなぜかとよく考えてみると
「最初から、神と自分だけの対話」
だったからです。
エホバの証人の設定した神を信仰して、自分でその設定をひっくり返して、別の定義に置き換えただけ
ですから、そこには神(エホバ)と私の二者だけの関係性ですべて話が成立していることはわかりますか?
私の場合は、ちょっと変わっていたのか、両親はまだエホバの証人で、私は勝手にやめていたけれど、
「神と自分の二元論でしかものごとをとらえていない」
ので、その後に家族とぎくしゃくするとか、そういうことがまったくなかったのです。
つまり、 「あんたらにとっての真の神はそっち、わたしの真の神はこれ」という風に綺麗にすっぱり意識が切り分かれていたので、家族ともめるはずもなく、
中学生にして、意識は独立独歩
になっていたことに、今から思えば気づいたわけです。
親が干渉してこようと、私は新しい神観念に書き換えられていますので、「何を言っとるんだ。あんたらこそ悪魔よ離れされ!じゃ」ということですね。
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ところが、世間にはびこる元信者さんとか元二世の方々の悩みは、
「ぜんぜんそこじゃない」
ようですね。つまり、「信仰の問題、神との対話の問題、神の存在論について」の問題よりも、もっと現実的な話が悩みのタネになっているようなのです。
具体的には、
「信仰を捨てたあとの生活をどうしよう」とか
「信仰に残っている両親との人間関係がうまくいかない」とか
「これまでの誕生日やクリスマスを祝えなかった悲しい記憶との戦い」とか
そういうことが、悩みの主なものになっているようです。世間では。
で、解脱者武庫川はのけぞってしまいました(笑)
え?それってただの経済問題で、別にふつうの無職の人と同じ悩みでしょ?
とか
信仰はきっかけであって、もともと親がもっている問題とか性格のゆがみが倍増されてるだけでしょ?
とか、
ようは、クリスマスしたかったんだね!誕生日も!それじゃあ、どっちみち滅びだったじゃん。
とか、そういうことです。
バカにしているわけではありません。ぜんぜんそうではなくて、そのレベルの悩み苦しみに悶えているのであれば
「エホバの証人に出会わなくても、あなたの家族は別の意味での似たような問題を抱えていただろう」
し
「あなたは、経済的自立をしない現実を、信仰で逃げられていたけれど、これからは逃げられないという事実に恐れおののいているのだ」
ということをガッツリ理解してほしいから言っているのです。
経済的問題、人間関係の問題、人付き合いの問題、自分の性格、逃げ、あるいは弱さ。
それらは、信仰とは無関係にも起こり得ます。
だ・か・ら・こ・そ
「それはすべて、エホバの証人になったり、あるいは辞めたりしたからこういう問題が起こったんだ」
とすり替えないでほしい!
そこすり替えてると、エホバの証人をやめてもやめなくても、あなたは同じ悩みに支配されつづけるだけで、
真の救いなんてやってこない
のではないでしょうか。
誕生日やクリスマスなんてかわいいもんです。今からすぐケーキ買ってくればいいです。そんなのは、ぎゃあぎゃあ言っても仕方がない。
「こどものころ買えなかったおもちゃを、大人買い」とまったく一緒です。神の存在があろうとなかろうとほとんど関係ない話です。
さて、エホバの証人を辞めて、諸問題に迷うときは、かならず自問自答してください。
「これは信仰の問題なのか、それとも信仰と関係なくても起こる人間関係や単なる社会生活上の問題なのか」
と。
そこから目を背けると、いつまでたっても解決しません。あなたの問題は。
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