2016年5月20日金曜日
日本社会はこれから「一億総うつ病」に罹患してゆくだろう。
今日も、東京都知事の舛添氏が会見を開いて、第三者に調査依頼をするだのなんだのおっしゃっていたようだが、解脱者の私としては
「探偵ナイトスクープに調査依頼を出す」
ほうが、よっぽど真実に近づけるのではないかと思う今日このごろ。
舛添氏のオチが、チャッ♪チャッ♪チャッ♪となるであろうことは、疑いの余地もないが。
残念ながら、私は東京都民ではないので、この問題については、口をさしはさむ権利がないことは充分理解しているが、もうこうなったらぶっちゃけ
「猪瀬氏と舛添とどちらがマシか」
とか
「舛添と野々村はどちらが悪か」
とか、そういう哲学的次元へと突入していることは、明白である。
まあ、そんな政治経済ネタを織り交ぜながら、今日も本編スタートである!!!
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猪瀬氏と舛添氏のどちらがマシか、と言う問題は、実はこれからの日本社会の行く末を占う上で、とても重要な視点であると思うのだが、いかがだろうか。
もちろん、私は解脱者なので、そんなことはどうでもいいのは当然なのだが、まあここはちょっとくらい話に付き合ってくれてもいいじゃないか。
「・・・休んでいこうか、」
とかそんなことを言っているわけではないのだから。キリッ。
そもそも、政治家やら権力を握った者は、多かれ少なかれ、叩けばホコリが出るもので、まさしく猪瀬VS舛添(まちがっても、猪木VSハンセンではない)のどちらが悪か論争が無意味なのと同じで、
「みんな悪に決まってんじゃん」
と昔の人はちゃんと気づいていたものである。
その真骨頂が、たとえば高度成長期における「T中K栄」元首相なんかなわけで、
善か悪かで言えば、悪なんだけど、それをちゃっかり利用して豊かになっちゃったりする国民
が居たわけである。
そういう意味では、少なくともついこの間までの政治と権力と罪と罰の問題で言えば、
「権力者が、金にまみれながら力をつけてゆく」
↓
「それ相応のおこぼれを地元にも落として、豊かになってゆく地方がある」
↓
「ある程度おこぼれ事業をやりきったところで、罪が明るみに出る」
↓
「権力者は失脚し、タイーホ」
という流れが定着していた。
これを政治哲学的に言って見ると、
「市民は、悪しき権力者を手の平の上で転がしつつ、コントロールしてきた」
ということになる。おお!なんかすごいな市民社会!!
ところが、昨今の風潮を見ると、政治だろうがアイドルだろうが、タレントだろうが、
「規範的な道徳ありきで、その陰に隠れた悪を見つけ出しては、誰も成果を得ない前に引きずり下ろす」
ことが流行しているように思える。
特に文春(笑)
結果論で言えば、猪瀬氏はもうちょっとやらしておいて、後からツブせば良かった。舛添は、早いうちに叩いてOK、ということになる。
そのコントロールができてこその市民である、というわけだ。
まあ、何度も言うが、私はベッキーがどうなろうが、AKBが恋愛禁止だろうが、アイドルに何が発覚しようが、愛之助氏がどう思おうが知ったこっちゃないのだが、今の日本社会の市民は
「規範に自縄自縛になって、利益を損なっている」
面があるのではないか?
と思う。(炎上させないでね。ひっそりと書きたいので)
よろしいか?
「アイドルは恋愛してはいけない」
とか
「政治家は金にまみれてはいけない」
とか
「不倫はいかん」
とか
そういうのは、
「聖子ちゃんはウン○をしない」
と言っているのと同じだ。
そんなことはない。する。するったらするのだ!!人間だもの。みつお。
こんな風に書くと、ちょっと意識高い系のあなたは
「いやまて、聖子ちゃんと汚職を一緒にするのはおかしい」
とかいろいろ言い出すことと思うが、解脱者からすれば、そんなショボいことは言わないでいただきたい。
よろしいか?
「〜してはいけない」という言説と、「〜しない」はほとんど同じだということを説明しよう。
「アイドルは恋愛しないものである」
「政治家は汚職しない」
「不倫はあってはならない」
こう書けば、意識高い系(そのうちハゲるぞ)の方でも気付くことであろう。
「いやいやいや!アイドルだって陰で恋愛してるだろうし、政治家は金もらってるし、不倫だって、みんなやりまくりじゃん!・・・ああ、そうか、聖子ちゃんもウン○するわな」
と納得してもらえるはずだ。これは二つとも同じ話なのだ。実は。
聖子ちゃんがもしウ○コできない存在であれば、そんな人間は成立し得ないのと同じように、
アイドルは握手会が終わると彼氏とキスするし、権力を持つと怪しいお金が転がり始めるし、不倫は文化なのである。実態は。
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これらのように、あらかじめ「そうあるべきだと設定された規範や基準に縛られている」状態は、うつ病を引き起こす。
高い給料が欲しいのにこき使われるとか、
彼氏が欲しいのに年齢=処女歴とか、
高望みしかできない婚活野郎とか
そういう状態がつづくと、人間は「あるべき姿の自分と現実の自分の乖離が起きて、心の病になってしまう」とさんざん世間でも言われているではないか。
まさに、昨今は、それを社会全体でやりまくっているのである。悲しいかな。
そりゃ、たしかに世俗の基準に基づけば「悪いもんは悪い」。それは間違いないだろう。
ただ、本来の人間は残念な生き物で、悪いと思っていてもやっちまうのである。いろいろと。
その人生の機微や、ちょっとしたうら哀しさを、どのようにコントロールするのかが、
「心の病にかからない、ちょっとした気の持ちよう」
なのではなかったか?
よろしいか?
「不倫ぐらい、あってはならないけど、やっちゃうよね」
「舛添、同額を熊本に寄付したらいいじゃん。そしたら許したげるよ」
「さしこだって復帰したんだから、まあ禊いできなよ」
という感覚を、ここ大事だから赤字で書くけど、
「当事者はそんな訳にはいかないけど、第三者なんだからこそ、そうやってさらっとコントロールすりゃいいのに」
と思うのである。
さすがに、当事者に向かってそう言うのは不謹慎である。しかし、ツイートやブログに書いているあなたや私は
「どうせ他人」
なのである。しったこっちゃない。
ならば他人の特権として、すっとぼけておけばいいのだ。人間なんてそんなもんだ、と。
そうすりゃ、当人たちは修羅場でも、社会や市民の心が蝕まれることはない。
こんなこと、いつまでも他人のあなたが「キリキリ白状しやがれ」と思っていたら、いつかあなたの心まで破壊されてしまうことは、自明ではないか。
メディアに踊らされていたら、マジで心が弱っちゃうよ?!
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