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2019年12月4日水曜日

善人なおもて悪人をや ~うつ病になるのは、善人だからではない~



 最初に断っておくが、解脱者であるワタクシ武庫川散歩(45)は、



 この世には善も悪もない


ということを常々語っている。


 善と悪というのは、あくまでも一側面からみた瞬間の話であって、反対側からみればまた別の様相を呈するものなのだから、そんなもんを単純に信じちゃあ、いけませんぜダンナということである。



 なので善と悪に関わる話を取り上げるのは、浅はかで思慮の足りない、簡単に言えば「バカとアホ」には誤解を受けやすいので本当はやりたくないのだが、それでも私の内心がうずうず「やりたい」「取り上げたい」「書いちゃってしまいたい」と欲しているので、ちょびっとだけ書いてみようと思う。


 このブログを読んでいるあなたは、とても賢明で思慮深い、カシコで、天才、秀才に違いないから、きっと誤解せずに読み取ってくれるに違いないと期待している。



 とまあ、ちょっとややこしい書き出しをしてしまってもうしわけないが、今回は話のマクラのエロはないのでごめんね。





~~~~~~~~~




 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや


というのは

歎異抄

に出てくる親鸞の弟子「唯円」のことばである。

 もう、このへんから知的ではない人をふるい落とそうとしている私の技術なのだが、それは脇へ置いといて。


 この意味、簡単にいえば



 善人であれば往生できるのですから、悪人ならなおさら往生できるでしょう



ということになる。 浄土真宗の屋台骨にかかわる考え方で、言ってみれば


「修行してよき人であろうと努力できる者は仏によって救われるでしょうが、それができない境遇にある人だからこそ、仏は慈悲の力で救うのですよ」


ということになるだろう。オーイエイ。バカでも救われそうで、助かるぜ。



~~~~~~~~~~


 とまあ、善人と悪人ということば一つとっても、一般的に言われてる意味とは異なり、微妙にそのニュアンスに差があることには気付いてもらえたと思うが、今から書く話はそういう


 ニュアンスの、受け止め方の違い


によって、たいへん危険度があるため、気をつけて丁寧に書こうと思う。




 それはこんなお話だ。


エクセルにスクリーンショットを貼り付ける仕事でうつ病になった話



という記事がはてなに挙がっていて、ちょっとした話題になった。


 かいつまんでまとめると、理系の数学科で学んで大学院まで出た人が、エクセルにスクリーンショットを貼り付ける仕事を3年間して、うつ病になったという話である。



まあ、そのままやがな、と言えばそのままやがな。



 なぜこの人がうつ病になったかというのは、ごく単純である。


「自分の能力に見合っていない作業をさせられたので、うつ病になった」


ということなのだが、ここで一つの大きなニュアンスの違いが登場する。




 たとえば、誰かがとても酷い目に合わされたり、過重な労働をさせられたり、苦しい仕事をさせられたりして、そのせいでうつ病になるのは、理解しやすいだろう。


「善人が、悪行によって、苦しめられてうつ病になる」


というイメージだ。このパターンだと、誰もが共感できて、わかりやすく、理解しやすい。誤解もほとんど招かない。



 ところが逆はどうだろう。


 誰かがとても優秀なのだけれど、切手を延々と貼り続ける仕事をさせられてうつ病になった。


というのはいかがかな。

 
 これもなんか、リストラ対象の人が、「どうでもいい仕事をさせられてわざと苦しめられている感がある」ので


「善人が、悪行によって、苦しめられてうつ病になる」


パターンになるので、まだギリギリわかりやすいだろう。



 ところが、この人の場合は、


「理系の大学院まで出て、エクセルの仕事をさせられている。ただし、その仕事はそれなりに大事で、それできちんと対価がもらえるまっとうな仕事である。別にわざと変な仕事を与えられているわけではない」


ということが起きている。


 なので、コメント欄をみてもらえばわかるのだが、この人に対する善悪の評価がまっぷたつに分かれるのだ。



■ 「優秀な善人が、その才能を生かせない仕事をしていることは、職場が悪である」


という派閥と


■ 「自分には才能があると思い込んでいる悪人が、通常の善なる職場をバカにして見下している」


という派閥に分かれるのだ。



 もちろん、私は事実がどちらなのかは明言しない。それは、本人にしかわからないことだし、たぶん本人もわかっていないことだろうからだ。
 
 


 この悩みに対するアドバイスとして、ひとつだけとても面白くて、たぶん役に立つ回答があったので、紹介しておこう。


「筋トレが全てを解決する」


↑筋肉バカ。



でも、これは正しい。たぶんこれでその悩みはふっとぶ。そういう風に人はできているからだ。






~~~~~~~~






 ほんとうの真実がどちらにせよ、起きている事実は


「その人がうつ病になっている」


ということだ。これはたいへん(同情すべきかどうかは保留にしても)、本人にとってはとても大変なことで、本人はつらいことに違いない。


(ただ、まあ、それを半分の人はざまあみろ、という視点でみていて、半分の人は共感してみている、ということが今起きている)




 つまりは


「善人が周囲の悪行によってうつ病になる」


というわかりやすい事例もたしかに起こるが、


「悪人が、周囲はふつうに善なのに自分勝手な気持ちでうつ病になる」


ということは起きるということである。


 こう書くと、私がブログ主を「悪人」だと思っている、と解釈するアホでバカでマヌケが飛び出してくるので、そうじゃない!と明言しておく。


 その人のことはその人の問題だから、実際はどうであるかは他人は口出しできない。ただ、そういうふうに善人という解釈と悪人という解釈の2つに分かれる、という話である。



 むしろ、悪人でアホでバカでマヌケだと私が思っているのは、そういう風に間違った解釈をするそこのオマエである。わかったかこの野郎。


 ↑と、けん制も入れておこう。こうすれば炎上しないかもしれない。




 よいか!この世の中には、「悪人であって、自分勝手が通らないからうつ病になるやつ」は存在するのだ。


  たとえば、女の子と3股をかけていて、そのうちの1人にこっぴどく振られたので、いとしさとせつなさと心弱さのせいでうつ病になったというヤツだっているのだ。


・・・俺だ。俺のことだ。


・・・・・・それは俺のことなんじゃあああああ!!!!!



(今、ここで、それは”ざまあみろ”であって、ちっとも同情できないと思ったあなたは正しい)


 
 
 

  さて、こうしたうつ病や心の病の原因というのは、悪行によって苦しめられたから発症するものではない。


 ごく簡単にいえば



「自分が理想であろう、これが良い方向であろうと思っている状態と違っていると、心は病む」


ということだ。


 ブログの人の場合は、数学の見識を使って仕事がしたいという理想像と、自分がしている仕事がそうと受け止められないという状態が相反しているので、うつ病になったわけである。


 解決方法は、この「思っている理想」と「事実の受け止め方」をすり合わせるか、それが合致するところへ移動するかしかないので、


■ おなじ会社にいたいなら、エクセル作業の価値を見出し、受け止める


か


■ 自分の理想に近い職場を探す


の二つしかないのである。



 ところが、いずれにせよ自分だけで帰結せず、相手がいることなので、大変である。今の会社にせよ、次の会社にせよ、「他社との擦りあわせ」はどうしても生じる。

 それは人の世なのでどうしようもないことだ。


 僕だって、「女の子3人とは同時に付き合えない。せめて2人にしておきなさい」という擦りあわせが必要だった、ということになる。


 ↑バカ




 ええ、一番のバカで悪人は、あっしだったってことで、お開きでやんす。




 


 







 

2016年12月9日金曜日

うつ病のメカニズムを解明した! ~鬱病や心の病に至るプロセスを解読する~



 最初にお断りしておきますが、私は医者や医療従事者ではなく、そこらへんにいる一介の解脱者なので、今回のお話は



 医療的側面、よりも臨床的なもの



として語りたいと思います。




 解脱者、武庫川散歩は、その特異な経歴により、これまで多くの「心を痛めた人たち」と接してきたわけですが、それらの人との交流を通じて判明したことがあります。



 それは、医学的にはまだよくわかっていないとされる



うつ病のメカニズムを解明した!!したったら、した!



ということです。



 このブログ的には、これまでうつ病などの心の病は、「正義のゆらぎ」によって生じるのではないか?としてきました。


 ではなぜ


「自分がこうありたいという理想や、こうであるのが良いであろうという考え」

と

「現実の自分が置かれた環境や、状況」


が異なると、心の病を発症してしまうのでしょうか。



 実は、このあたりは、わかったようでいて、わからないものだったのですが、武庫川はその解明に乗り出したのです!!!



~~~~~~~~~~


 医学的には、うつ病などの心の病を発症した状態は、


「セロトニン・ノルアドレナリン・アドレナリン・ドーパミンなどを総称したモノアミン」


が減少して、脳細胞間の神経伝達物質がうまく働かなくなっている、とされています。



 これは、簡単にいえば、「原因は取りあえず横に置いておいて、結果的に神経伝達物質が減っているよ」ということです。



「じゃあ、どうして神経伝達物質が減ってしまうのか」


が原点に立ち返った時の「原因」に当たるのですが、これが医学ではいまいちきちんと解明されておらず



「た、たぶんストレスが原因なんじゃないかな??」


ぐらいのところで終わっているのが現状です。




 結果的に起きている神経伝達物質の不調、という意味では、たとえば躁鬱病では、


「伝達物質が出るとか出ないとかを制御している機構が故障して、ドバッと出たり、チョロっと出たりしている」


という脳機能の故障を原因とする場合もあるでしょう。



 あるいは発達障害や精神的な遅滞のように、


「伝達物質が生成される量がもともと少ないとか、それを出す機構がもともと弱い」


とかもあり得るでしょう。



 しかし、健康で健常だった人が、いろいろな状況でうつ病や鬱状態になってしまうのは、一体なぜなのでしょう?



  武庫川は、解脱者であり、この世の善悪を超越した悪魔のような存在でもあるのでグハハ。


 そこで考え付いたのが、


「じゃあ、どうやれば健康な人間のモノアミンを減少させることができるのか」


という悪魔的思考だったりするのであります。ウヘヘ。




~~~~~~~~~


 ちょっとふざけて書いてしまいましたが、実はこの発想が、うつ病のメカニズムに大きく関わっていると私は考えています。



 神経伝達物質モノアミンの出力量を、人工的に変えてしまう悪魔のような実験があるとしたら、それは、



「報酬系を破壊すること」



に他なりません。報酬系というのは



報酬系 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%85%AC%E7%B3%BB



欲求が充たされそうだと思ったり、あるいは充たされた時に快感を覚える脳のシステムのことで、うつ病患者は


「報酬系が、機能していない」


状況が見られることがわかっています。



 もちろん、これを人為的に引き起こそうとすれば、神経伝達に関わる部位を焼ききってしまったり破壊すればいいのですが(・・・・悪魔)、そんな物理的な方法を取らなくても、これを壊すことができるのではないか、と武庫川教授は考えてしまったのであります。





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 その恐怖の実験を再現してみましょう。


 ある動物に、このボタンを押すとエサがもらえるよ、という報酬系の条件づけを行うとします。


 一定期間においては、行動をすることと、エサがもらえるという快感情は、合致しています。


 ところが、その条件付けが成立した後ぐらいから、ボタンを押すと不快な電気ショックが流れ、かつエサが貰えたりもらえなかったりする、というパターンへと装置を切り替えるとします。


 エサが貰えるので、報酬は生じているのですが、同時に苦痛にさいなまれる、という状況を生み出すのです。
 


 この場合、この動物がエサを貰うためにボタンを押す、という作業量はどのように変位するでしょう。



 これは実際に実験をしてみないとわかりませんが、たいていの人に予想がつくのではないでしょうか。


 おそらく、ボタンを押す回数は、徐々に減少してゆくと思われます。



 動物にとっては、


「ごはんを食べるという意欲が減少する」

「ボタンを押すという行動も避けがちになる」

「そもそも、ごはんを食べる量も減る」


という状態になるはずです。


 これは、生きる気力が低下している「うつ病」の症状に似ていませんか?





 ~~~~~~~~~~




 武庫川が妄想している悪魔的実験は、ただの妄想ですが、現実社会の中でこれとおなじ状況に落とされている人たちはたくさんいます。



「給料をもらうためには苦痛を伴う仕事を続けなくてはならない」

「夢や目的を実現させる、というためにハードワークを余儀なくされている」

「こうあるべき、という理想に対して、現実がひどく違う」


という状況は、 エサを貰いつつも電気ショックを与えられている動物のようです。




 報酬とは何か。何をすれば報酬が与えられるのか。という問題は、本来は単純であり、簡単な条件付けであると言えるでしょう。


しかし、


報酬を貰うという行動が果たして快なのかわからない状況


や


報酬と苦痛がアンビバレントな状態で組み合わされる提示



などが多々起きると、 私たちの脳は、意外と早く



報酬系の破壊



を起こしてしまうのではないか、と思います。



  現代社会は複雑怪奇であり、さまざまな立場の人間の思惑に支配されていますから、社会が複雑化すればするほど、



「報酬のありようが、一筋縄ではいかなくなっている」



という現実があります。






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 もし、上記の実験によって心が壊された動物がいるとすれば、どうすればその動物を救うことができるでしょう。



「もうボタンを押さない」


というところまで行き着いてしまえば、それはエサを食べられませんから自死まで行ってしまうということになります。


 うつ病で、自殺を選択してしまう人は、そこまで完全に報酬系を破壊され、生きるという選択を失っている状態だと言えるわけです。



  ということは、かろうじてボタンを押せる間に、



「ボタンを押しても、電気ショックは流れない」



という状態を確保しなくてはなりません。



 そして再び、「何度押しても、何度確認しても、電気ショックは流れず、エサがちゃんともらえるんだ」というところまで安全を保証してやる必要があるでしょう。



 そうすればこの動物は、再び最初のように、意欲的な行動を取ると推定できます。




 とすれば、電気ショックを与えているのが職場であれば、


「ボタンを押さなくなってしまうまえに、その職場を離れるしかない」


ということになります。



 そして、報酬系を再生させるためには、


「自分が取った行動と、報酬が合致するシステムの上に乗る」


ということが不可欠だとわかるでしょう。




 もちろん、リアルな社会の人間は、「職場」だけでなく、たくさんの要素を「報酬」として定義しながら生きていますので、「仕事の問題」だけを解決すればいいわけではないし、自分が心に描いている


「善なる状態、正義の状態」


はたくさんの領域に広がっているということもあります。



 たとえば、上記の動物実験において、「エサとしてはかなりおいしくはないけれども、食べられるし腹をみたせるもの」が出てくるボタンがどこかに設定されていたら、 どうでしょうか。

 このボタンからは電気ショックが出ないとすれば、


「自分の本来の望みとはちょっと違うし、快い報酬ではないけれど、まあ生きていける」


という行動を取るようになるかもしれません。


 動物は最後まで本来のエサである「電気ショックつきボタン」に挑戦し続けるでしょうか?

 そんなことははない、きっともう一つのボタンを押し始める、となんとなく思いませんか?







~~~~~~~~~~


 以上が、解脱者武庫川散歩が解明した「うつ病」のメカニズムです。


 あなたの報酬系は、今まさに破壊されそうになっているかもしれません。


 そうだとすれば、ボタンを全く押せなくなる前に、他のボタンを探したほうがいいかもしれません。


 
 私は、他のボタンが必ず隠されていることを知っています。



 ぜひ、それを探してみてください。











































2016年12月7日水曜日

うつ病女子の治し方。 ~え?鬱病男子は?の巻~




 解脱してお気楽極楽な人生を歩んでいる解脱者、武庫川散歩ですが、こんな私でも




 うつ病(鬱病)




に一度だけ罹患したことがあり、今となっては「そんなこともあったなあ」という懐かしい思い出でございます。




 そんな体験もあって、いろんな状況で、うつ病や心の病にかかった人たちと交流することが多いのですが、今日はもはやそのものズバリ



 うつ病の治し方



について説明したいと思います。


★ 私は医者ではなく、解脱者ですので、医者の監修による記事ではありません。医学的見地ではなく、解脱的見地で書きますので、そこのところは誤解なきよう。


 あくまでも個人の感想です。当社比。




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 さて、タイトルで「うつ病女子」と女子に限るような書き方をしましたが、なんといっても男女平等社会ですから



うつ病男子



をほって置いているわけではありません。 おいおい後で説明をしますが、うつ病男子よりも



うつ病女子


のほうが、諸般の事情により手助けが必要な場合が多いので、あえてここは優先している次第です。




 さて、うつ病や心の病なるものは、私の言説によれば(ずっと何度も書いていますが)


■ 自分がこうありたいとかこうあるのが良いのではないか、という設定


と


■ 現実に起きている状況、自分を取り巻く状況



とのギャップによって精神が疲弊することによって生じます。



 これを武庫川は、勝手な命名ですが「正義のゆらぎ」と称しています。




 ★正義のゆらぎ、の概念については
http://satori-awake.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html 

http://satori-awake.blogspot.jp/2016/04/blog-post_14.html 


も参照してください。



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 さて、「自分がこうでありたい」とか「こうであるのが望ましい」というイメージがいわゆるあなたの中での【正義】の状態なのですが、現実はそれとは全然違う状態が起きていて、


「周囲がそうさせてくれなかったり」「そういう能力があなたに不足していたり」「環境がそもそも異なっていたり」


することが多く、 あなたは



「心の中が、”不正義”の状態で葛藤する」



ことになるわけです。



 そこで、うつ病になる前の「正義のゆらぎ」状態にある人は



「自分は正しいのに、なぜこういう現実なんだろう」

と思ったり

「自分はよいと思われる方向に頑張っているのに、なぜ実態はそうではない方向に行くのだろう」

と思ったりします。



そして、心がストレスフルになってゆくわけですね。





~~~~~~~~~~




 この対策として、最も端的な解決方法は、とても簡単で、



「現実が不正義なのだから、正義ではない状態を認めること」



 が、あなたと周囲を合致させる最短の技術ということになります。



 ものすごく荒くたい例で言えば、「戦争はいけない」とか「人を殺めてはいけない」という理想と「実際には戦争がある」とか、「毎日殺人が起きている」という現実を突き合わせるには



「なんだ、人は殺人し、戦争を起こす生き物なのだ」


と認めることで、これが一番正義がゆらがなくなる答えだということです。






 ところが、人というのは短絡的ですから、「じゃあ、人殺しをしていいんだ!」になってしまいます。


 しかし、よく考えると「本当は人殺しはしてはいけない」という理想的正義を頭の中に掲げているのに「人殺しはいいんだ」という結論を持ってきてしまうと矛盾を解消できていない、という問題が生じるのですね。


あれ?なんだかうまく行ってない!


ということになるので、マズイのです。





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 そこで、うつ病女子の治し方では、ちょっとした技術があって



「命題としての正義を放棄する」のではなく

 
「命題としての正義=つまり自分の中の理想」を放棄せず、「現象としての正義」を放棄する



というワザを使うことになります。




 これは、大変に興味深いコツ、ですね。



 たとえば、とあるうつ病女子が、


「自分は仕事にも恋にもちゃんと向き合いたいし、きちんとしたいのに、それが出来ていない・出来ない環境である」


ということに打ちのめされているとします。



 この場合、命題を放棄すると


A「仕事も恋もどうだっていいんだ。そんなものに価値はないんだ。知らないわよそんなの」

 
という考え方になり、これはこれで現実とは合致しますから一定の解決法ではあります。



 ところが、これだと現実に即しているので頭の中と現実は強引に合致させてはいますが、理想論としてのそもそもの「正義」とはズレが生じています。


 そこが苦しい。そこが悲しみの源流であるわけで、解脱者的には、そこを否定はしないのです。



なので、命題ではなく、現象としての正義を放棄します。



B「仕事も恋もちゃんとしたい自分がイメージの上のほうにいることは認めるけれど、それが出来ていない自分も、ここにちゃんと存在してる。それはそれで認めよう」



という考えが、それに相当します。



 これをキャッチーな言い方でいえば




ダメ人間の肯定



といいます(笑)




 セカイはダメで終わっている、と「セカイのほうを悪者」にしてしまうと女子は「もうなんか全部どうでもいい」とクソビッチ化しますので、そうじゃなくて、



「今の私は出来てないけれど、それはそれでいいんじゃない?」



という部分を肯定してやるわけです。



 


~~~~~~~~~~



 これが、いわゆるうつ病対策としての「逃げる、休む、いったん捨てる」ということに当たるわけですが、


「苦しかったら逃げていいんだよ」


を真に受けて、最後まで逃げてしまうとえらいことになります。




なので、いったん「現象の肯定」をすることで不正義でもよい、という状況に落とし込んだら、今度は



「じゃあ、不正義の状態(でもいいけれど)それを正義と合致させるためにはどうしたらいいんだろう」



という正のベクトルで物事を捉えてゆくことが大切になります。ここから先は回復のための技術ですね。



 不正義の状態でも構わない。これは大前提です。しかし、そこからあなたの心にある「理想像」や「正義像」に現実を近づけてゆくためには、どんなことができるか。



 今度は、それを小さな行動として積み上げてゆくことが、心を大きく変えるチャンスとなってきます。



「ああ、これが出来ていなかったなあ。じゃあ、どうしたらちょっとでもいい方向へいくかなあ」

「ああ、今はこの段階だけど、ひとつでもアップしてみよう」

とか、そういう思考です。



 そうすると、今度は、「良いこと、成功体験、正しいこと」が少しずつあなたの中で増えてゆきますので、心のベクトルは必然的に


「正義」



の方向へと進んでゆくことになります。これが新しいあなたですね。






~~~~~~~~~




 さて、そうした「正のベクトルの小さな積み重ね」が一旦落ち込んだあなたを再び健康な状態へと導いてくれるのですが、




 人間の脳みそは発火出力モデルで出来ている




ということがここで登場します。



★発火出力モデルの例


出口氏による解説
http://www.gifu-nct.ac.jp/elec/deguchi/sotsuron/matsuno_ad2/node5.html
 
岡坂氏による解説
http://www.lab.kochi-tech.ac.jp/future/1110/okasaka/neural.htm 



 これらの図は、誰の説明でも一緒なんですが、ようするに、人間の脳みその細胞は、



「外から複数の刺激があってはじめて、次の神経細胞へ発火出力が起きる」



ということがわかっているのです。



 これはどういうことかというと、心の病というのは神経細胞が弱っているわけですから、ものすごく平たく言うと、



「外部からの手助けがないと、自分で頑張ろうという意欲は発生しない」




ということと言い換えてもいいのです。



 人間の神経細胞は、自分自身でスタート出力を出せないのです。


 複数以上の外部刺激がないと、信号が出ないわけですから、


「自分ひとりでうつ病を解決しようとしても、難しい」


ということが証明されちゃっているのですね。




 だから私はうつ病女子には、ものすごく関わり合うし、彼女たちの正義のゆらぎを修正するための



「考え方のヒント」


や


「別の認知の方法」



についてどんどん信号を注入するということをやってます。


「ダメっ子でも可愛いよ」

とか

「スッピンも好きだよ」

とか

「どんな君でも・・・ぎゅっ」


とか、そういうことです(え?!)




 もとい。


「そういう考え方もあるし、こういう考え方もあるよ」

とか

「今は出来てなくても、いいじゃん。」

とか

「別のルートがあるとすれば、何だと思う?」

とか、そういう関わり方です。






~~~~~~~~~~~


 最後になりましたが、なぜ男子ではなく、女子ばかり取り上げているかの説明をしておきましょう。



 男子というのは、基本的には狩猟採集する生き物ですから、外部刺激がないと発火しない出力に対して、基本的には


「外へ出て行く」


習性があります。つまり、刺激を自ら受けにいかないといけない状況になることが多いのです。



 それは具体的には


「うつでも仕事にいかねばならない」とか「嫁はんと子供がいるので、物理的に周囲で騒いでる」

とかそういった環境を指します。




 ところが、女子は、いったんうつ病になると、引きこもったり仕事にもいけなくなることが比較的多いのですが、それは元々



「妊娠出産の際に、無防備になるため外界と接触しない」


という本能に基づきます。



 常に食料を求めて外界へ出て行こうとする男子と、生理や妊娠出産の際に血の臭いを外部に漏らすと外敵に襲われる(あるいは子を奪われる)可能性のある女子とでは、


 行動パターンが大きく変わる


のです。



 


 え?ひきこもってる男子はどうすればいいかって?



 まず、外の光を浴びなさい!!!

















2016年8月4日木曜日

いかに日本はうつ病を信じるようになったか



 このブログでも、清濁併せ持つ感じで時にはぬったり、時にはねっとりと取り上げてはいますが、



 シンプルで、端的で、スパンっと簡単に



うつ病を理解するための良記事がありましたのでご紹介しておきます。




 いかに日本はうつ病を信じるようになったか

 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36972140




 配信元はBBC


 クリストファー・ハーディングさんの短かめながら的確な記事です。


 
 私の記憶から考えても、たしかに1980年代くらいまでは「うつ病」という概念は日本においては一般的ではありませんでした。

 それが製薬会社のキャンペーンによって「一般化」したことについては


「良い面」「悪い面」


の両方が取り沙汰されるようになっています。現実的には。



 そのことも踏まえて日本のうつ病史と、これからの課題をシンプルに描いているこの記事はとてもわかりやすく、私はお気に入りです。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 うつ病の難しいところは


「肉体と精神の酷使=つまり過剰労働によっても生じる」

し

「自己の内部と外部の精神の乖離=つまり、自分の認識と周囲の認識のズレによっても生じる」


ところでしょう。


 しかし、特に後者は「自己の精神の設定がそもそも間違っている場合、うつ病は自己責任か」という大問題を投げつけてきています。


 簡単にいえば「超わがままに育ったやつが、周囲に受け入れられないといってうつ病になるのはどやさ」ということです。



 この一部に当たるのかもしれませんが、新型うつなんかも、これから議論が増えてくることは否めないと思います。



 
 ただ、それはそれとして、今回の記事では



「ファッションとしてのうつ」

や

「感情労働」


の問題などにもさらっと触れているところが良かったです。



 うつやメンヘラは本当におしゃれなのか?

 感情労働は今後規制やコントロールがされるのか?



など考える部分はたくさんありそうです。


 まあ、今回は「うつ病」について武庫川が語る時間は、なしにしておきましょう。


 とりいそぎ、よい記事の紹介ということで!

2016年7月20日水曜日

うつ病に薬は効くのか。

 ようやく2016年の梅雨も明けたようなのですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?


 どうやら今年は、ラニーニャ現象が起きるというもっぱらの噂なんですが、ラニーニャというのはスペイン語で


 女子


という意味だそうです。 ちなみに、エルニーニョは男子。


 助手席に乗せるなら、ラニーニャもしくはマリコと決めている武庫川ですが、マリコというのはスペイン語でおかまの意味だそうです。


 スペイン語で”加賀まりこ”と発言するとたいへんなことになるそうなので、知りたい人はググッてください。




 さて、そんなこんなで今日は「うつ病」とか「心の病」に対して、


 病院や薬に頼るのはどうなの?


という疑問・質問にお答えしましょう。



 この「心の病と医療」については、両極端な意見が世間にも溢れています。


 たとえば、ひとつめの意見は


「うつ病ということばを流行させたのも製薬会社の陰謀みたいなもので、ただ投薬を続けていても、あまり意味はない」


みたいな言説、よく聞きますね。


 反対に


「うつ病は心の風邪のようなものなので、誰でも罹患する可能性があるし、ただ状況を我慢するだけでなく、早く専門医の治療を受けた方がいい」


という言説もよく聞きます。



 また、単に「うつ病」だけでなく「仮面うつ病」やら「新型うつ病」やら、「メンヘラ」やら、「心の病」やら「ボダ」やら、「双極性」やら、いろんな障害や症状があって、



 それぞれに適した治療や薬や、いろいろな対処法



があるので、さらによくわからないことになっています。



~~~~~~~~~~


 そもそも、心の病というのは、その症状も課題も人それぞれで、ましてや、それを引き起こした本人の特性や環境も一定ではないので、 単純に


「これが正しいですよ」


ということは言えません。


 しかし、これまでメンタルに問題を抱えた人たちのいろいろな課題にまきこまれ、取り組んできた武庫川としては、ひとつだけ断言できる事実があります。



 それは



「いくら病気の治療を受け、投薬を受けても、あなたを取り巻く環境や、そうした心の病を引き起こした原因は解決しない」



ということです。





 治療や薬は、あなたの病気としての体のトラブルに対して有効ですが、


 あなたの会社の人間関係を解決したり、

 あなたの経済問題を解決したり、

 あなたに恋人を作ってくれたり、

 あなたの家族や親族との関係を改善してくれたり


は、しません。



 なので、究極的には、そうした「あなたの外側の問題に対して、何がしかの解決策を模索しない限り、心の病を治しても、また元の状態に戻るだけ」である、ということも、忘れてはならないのです。



 
 お医者さんは、心身の健康についてのスペシャリストではあっても、あなたの家族の人間関係のスペシャリストではないし、あなたの給料を保証してくれるわけでもありません。

 あなたの別れた彼氏をこちらに振り向かせることもできないのです。



 ですから、心の病についての治療や薬は、


「対処療法、あるいは、とりいそぎの心身の不調に対して有効である」


と言えることは確実ですが、多くの人は、そこから



「環境が変化しない。状況が変わらない」


という深みに入ってゆくことになるわけです。




 ~~~~~~~~~~


 心理学的には、こうした周囲との軋轢の解決法がいくつかあって、それは単純にまとめると



「周囲を強制的に変える」


か


「あんたが強制的に変わる」


かの二つしかありません。


 周囲を変える方法は、これまでその人とまわりに生じていた人間関係や受け答えの回答を「以前と同じ行動を取らない」という形で実現します。


 自分が変わる方法は、「自分の受けとめ方そのものを変える」という認知的方法です。




 周囲を変える方法は、「患者とともに、解決をめざしたい!と共通の目的を持っている家族や近しい人」に対しては、両者が同時にカウンセリングを受けることである程度実現できますが、会社の環境とか、経済的問題などについては、手助けできる部分が限られています。


 自分の考え方を変える方法は、ある意味楽ですが、自分自身が変わらねばならない、という強烈な葛藤を伴います。



 このあたりは、心理学の専門家に相談したほうがよいでしょう。






 あ、ちなみに


「精神科の医者は心理学の専門家ではない」


「心療内科の医者と、精神科の医者の専門領域は違う」


「心理学者は文学部卒業で、精神科・心療内科医は医学部卒業、それくらい領域が離れている」


ということを覚えておくのは、大事です。



たいていの人は、この3者をいっしょくたに誤解していますので。














2016年5月20日金曜日

日本社会はこれから「一億総うつ病」に罹患してゆくだろう。


 今日も、東京都知事の舛添氏が会見を開いて、第三者に調査依頼をするだのなんだのおっしゃっていたようだが、解脱者の私としては


「探偵ナイトスクープに調査依頼を出す」


ほうが、よっぽど真実に近づけるのではないかと思う今日このごろ。


 舛添氏のオチが、チャッ♪チャッ♪チャッ♪となるであろうことは、疑いの余地もないが。




  残念ながら、私は東京都民ではないので、この問題については、口をさしはさむ権利がないことは充分理解しているが、もうこうなったらぶっちゃけ


「猪瀬氏と舛添とどちらがマシか」


とか


「舛添と野々村はどちらが悪か」


とか、そういう哲学的次元へと突入していることは、明白である。



 まあ、そんな政治経済ネタを織り交ぜながら、今日も本編スタートである!!!




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 猪瀬氏と舛添氏のどちらがマシか、と言う問題は、実はこれからの日本社会の行く末を占う上で、とても重要な視点であると思うのだが、いかがだろうか。



 もちろん、私は解脱者なので、そんなことはどうでもいいのは当然なのだが、まあここはちょっとくらい話に付き合ってくれてもいいじゃないか。


 「・・・休んでいこうか、」


とかそんなことを言っているわけではないのだから。キリッ。




 そもそも、政治家やら権力を握った者は、多かれ少なかれ、叩けばホコリが出るもので、まさしく猪瀬VS舛添(まちがっても、猪木VSハンセンではない)のどちらが悪か論争が無意味なのと同じで、



「みんな悪に決まってんじゃん」



と昔の人はちゃんと気づいていたものである。


 その真骨頂が、たとえば高度成長期における「T中K栄」元首相なんかなわけで、


 善か悪かで言えば、悪なんだけど、それをちゃっかり利用して豊かになっちゃったりする国民


が居たわけである。



 そういう意味では、少なくともついこの間までの政治と権力と罪と罰の問題で言えば、


 「権力者が、金にまみれながら力をつけてゆく」

↓

「それ相応のおこぼれを地元にも落として、豊かになってゆく地方がある」

↓

「ある程度おこぼれ事業をやりきったところで、罪が明るみに出る」

↓

「権力者は失脚し、タイーホ」


という流れが定着していた。



 これを政治哲学的に言って見ると、



「市民は、悪しき権力者を手の平の上で転がしつつ、コントロールしてきた」



ということになる。おお!なんかすごいな市民社会!!



 ところが、昨今の風潮を見ると、政治だろうがアイドルだろうが、タレントだろうが、


「規範的な道徳ありきで、その陰に隠れた悪を見つけ出しては、誰も成果を得ない前に引きずり下ろす」


ことが流行しているように思える。



 特に文春(笑)



 結果論で言えば、猪瀬氏はもうちょっとやらしておいて、後からツブせば良かった。舛添は、早いうちに叩いてOK、ということになる。


 そのコントロールができてこその市民である、というわけだ。



 まあ、何度も言うが、私はベッキーがどうなろうが、AKBが恋愛禁止だろうが、アイドルに何が発覚しようが、愛之助氏がどう思おうが知ったこっちゃないのだが、今の日本社会の市民は



「規範に自縄自縛になって、利益を損なっている」


面があるのではないか?



と思う。(炎上させないでね。ひっそりと書きたいので)




 よろしいか?


「アイドルは恋愛してはいけない」

とか

「政治家は金にまみれてはいけない」

とか

「不倫はいかん」

とか


そういうのは、


「聖子ちゃんはウン○をしない」


と言っているのと同じだ。



 そんなことはない。する。するったらするのだ!!人間だもの。みつお。



 こんな風に書くと、ちょっと意識高い系のあなたは

「いやまて、聖子ちゃんと汚職を一緒にするのはおかしい」

とかいろいろ言い出すことと思うが、解脱者からすれば、そんなショボいことは言わないでいただきたい。


よろしいか?



「〜してはいけない」という言説と、「〜しない」はほとんど同じだということを説明しよう。



「アイドルは恋愛しないものである」

「政治家は汚職しない」

「不倫はあってはならない」



こう書けば、意識高い系(そのうちハゲるぞ)の方でも気付くことであろう。



「いやいやいや!アイドルだって陰で恋愛してるだろうし、政治家は金もらってるし、不倫だって、みんなやりまくりじゃん!・・・ああ、そうか、聖子ちゃんもウン○するわな」



と納得してもらえるはずだ。これは二つとも同じ話なのだ。実は。





 聖子ちゃんがもしウ○コできない存在であれば、そんな人間は成立し得ないのと同じように、


アイドルは握手会が終わると彼氏とキスするし、権力を持つと怪しいお金が転がり始めるし、不倫は文化なのである。実態は。



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 これらのように、あらかじめ「そうあるべきだと設定された規範や基準に縛られている」状態は、うつ病を引き起こす。


 高い給料が欲しいのにこき使われるとか、

 彼氏が欲しいのに年齢=処女歴とか、

 高望みしかできない婚活野郎とか


そういう状態がつづくと、人間は「あるべき姿の自分と現実の自分の乖離が起きて、心の病になってしまう」とさんざん世間でも言われているではないか。



 まさに、昨今は、それを社会全体でやりまくっているのである。悲しいかな。



 そりゃ、たしかに世俗の基準に基づけば「悪いもんは悪い」。それは間違いないだろう。


 ただ、本来の人間は残念な生き物で、悪いと思っていてもやっちまうのである。いろいろと。



 その人生の機微や、ちょっとしたうら哀しさを、どのようにコントロールするのかが、

「心の病にかからない、ちょっとした気の持ちよう」

なのではなかったか?





 よろしいか?



「不倫ぐらい、あってはならないけど、やっちゃうよね」

「舛添、同額を熊本に寄付したらいいじゃん。そしたら許したげるよ」

「さしこだって復帰したんだから、まあ禊いできなよ」



という感覚を、ここ大事だから赤字で書くけど、



「当事者はそんな訳にはいかないけど、第三者なんだからこそ、そうやってさらっとコントロールすりゃいいのに」



と思うのである。


 

 さすがに、当事者に向かってそう言うのは不謹慎である。しかし、ツイートやブログに書いているあなたや私は


「どうせ他人」


なのである。しったこっちゃない。


 ならば他人の特権として、すっとぼけておけばいいのだ。人間なんてそんなもんだ、と。



 そうすりゃ、当人たちは修羅場でも、社会や市民の心が蝕まれることはない。



 こんなこと、いつまでも他人のあなたが「キリキリ白状しやがれ」と思っていたら、いつかあなたの心まで破壊されてしまうことは、自明ではないか。



 
 メディアに踊らされていたら、マジで心が弱っちゃうよ?!



 






2016年4月14日木曜日

心の病は一発で解消できる! うつ病もメンヘラもカンタンに治る魔法のアイテムとは。

 どうも。皆さんの心のスキマをお埋めする武庫川散歩です。ドーン!!


ちなみに、一昨日 「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造の声をやっていた大平透さんが亡くなったそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。




 さて、本日は


 心の病もうつ病もメンヘラもカンタンに治る


という触れ込みでタイトルをつけましたが、 本当にそんなことがあるのでしょうか?


 ワタクシ武庫川の場合は、解脱しておりますから、心の病もうつ病もメンヘラも、もはや無関係です。


 悟りを開けば、そうした俗世の迷いごとからはすっかりさっぽりもっこり解放されるわけですが、誰もが悟りをいますぐ開けるわけではないので、困ったものです。



 もちろん、心の病を引き起こす原因は、精神的なもの以外に、


「物理的な原因で起きるもの(体の不調そのものが引き起こすもの)」

や

「栄養素などに起因するもの」

 などもありますから、ここでは、話をわかりやすくするために


「精神的な認知のありようやストレスによって引き起こされる心の病など」


に一旦絞ってお話をしようと思います。



 いわゆる精神的ストレスの根本原因は、何度かこのブログでも触れていますが、単純化すれば


「正義のゆらぎ」


に他なりません。この場合の正義とは、世間において正しいこととか常識的な正義ではなく、


「あなたが良い、正しいと思っている状態や理想的な状態」


のことを指します。


「あなたが良い、正しいと思っている状態と現実の時分を取り巻く現象が合致していないときに、あなたの正義はゆらいで、精神的な変調をきたす」


わけです。



 この話は繰り返しになりますが、


「友達がいるほうが良い状態だろうと認識しているのに、そうではない現状」とか

「楽しく仕事ができる環境が理想だと思われるのに、怒鳴られてばかりの環境」とか

「高い能力を持っているほうが望ましいと考えているのに、アホでどうしようもない自分」とか

「恋人や家族がいるほうが幸せだろうなと思うのに、孤独なわたし」とか


 設定上のあなたの「正義」に対して現実が「そうではない」とリアルな事実を突きつけてくると、あなたの心は折れてゆくわけです。




 これがたとえば、


「ものすごく嗅覚が発達していて、人間全員動物臭を感じてしまうからむしろ一人にしてくれな人」とか

「ものすごいマゾで、先輩の女性社員に怒られるたびにおしっこチビっている妄想男子」とか

「アホのさ○た」とか

「リアルドールと生活をともにしたいマニア」とか


だったら、 上記とまったくおなじ環境におかれても「彼の正義」は全然ゆらがないので、まったくもって幸せに生きることができるわけです。



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 まあ、でもこの記事を読んでいるあなたは、そこまで変態ではないと思うので、なんとかして自分の課題や問題点を克服して、理想の正義に自分を近づけたほうがいいのではないか?なんて考えちゃったりしちゃうわけですね。



 でもまあ、はっきり言っておきますが、それはどだい無理です。



 友達がいないのに友達は向こうから勝手にやってきてはくれません。もしあなたをめがけて友達がやってくるとしたら、それはカルト宗教の勧誘か、おそらく何かを売りつけようとしているに違いありません。


 あなたの上司はこれまで毎日怒鳴っているのに、どうして明日から彼が怒鳴らないわけがありますか?あさっても来週も来月も怒鳴っているに違いないのです。


 アホのさか○さんに、「努力して、宇治原さんになれ」というのは酷です。それは拷問のような仕打ちです。


 まともな妙齢の男女ですら恋人がおらず、合コンにいそしんでいるというのに、合コンもセッティングできないあなたに恋人ができるわけがないでしょう。





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 ちがうちがう!みんな方向性を根本から間違っているのです!!!



 あなたは、あなたを取り巻く諸問題を解決したら、自分は幸せになれると考えています。それは大きな間違いです。


 そんなものはひとつ解決しても、別の問題が出てくるのです。

 仮に恋人ができても、デート中にスマホばっかりいじって自分を見てくれないと嘆くのは目に見えています。

 結婚しても子供ができないとか、姑にいじめられるとか、次々難問は押し寄せます。



 だ・か・ら


 
 自分をとりまく正義のゆらぎに対して、自分やまわりを正義の方向に修正しようとするのは無駄ですからやめたほうがいいのです。





 では、どうしたら幸せになれるのか。心の病を解消することができるのでしょうか?



 仏教的な考え方をすれば、「そうした悩みの種になるものを全部捨てちゃいな!」ということになります。


「正義という設定や、こうありたいこうあるべきという欲望を捨てろ」


というわけです。

 

 でも、それがカンタンにできるなら、この世は全員解脱者ばかりで、なーんにも欲望がないふわふわした人たちで満たされているはずです。でも、現実は違うし、誰もその境地に到達することができないから困っているのです。




  そこで、究極の秘法をあなたに授けましょう!というわけです。




 どんなに弱い人間でも、どんなにしょーもない人間でも、心の病を一発で治すことができる魔法のアイテム、それは



「優越感」



です。それが一番早い即効性のあるアイテムなのです。



 優越感は、一見すると「何か、持ってはいけない悪いもの」のように思えるかもしれませんが、実はそんなことはありません。


 病気の人を見て、「ああ、自分はまだ幸せだ」とか、戦争のニュースをみて「平和は大事だ」とか、そういう「下を見て生きる」ことで、人は



「現状の自分が、まだマシである」という意味において「足ることを知る」


ことができるのです。


 だから、ここは大いに活用して、まずは下を見て生きてみましょう。話はそれからです。



 しかし、何も

「ああ、仕事場はひどいけれど奴隷でコロッセオにほり込まれるよりはマシだ」とか

「恋人はいないけれど、性器を切除されたわけじゃないので、自分でまだ楽しめる」とか

「アホだけど認知症じゃなくて良かった」とか

「漫画という友達がいるじゃないか」とか


そこまで卑屈になれと言っているわけではありません。



 ちがう!それも大きく違います!



  魔法のアイテム、優越感には、もうちょっと有効な使い方があるのです。



 たとえば、いろいろ満たされないけれど、「わたしには可愛い絵が描けるから、それでなんとか自分を保てる」とか、「youtubeで歌をアップしていて、10万回再生された」とか、そんなしょーもないと自分でもわかっていることだけでも、そのちょっとした優越感はあなたを支えてくれるのです。


  それを、素直に大事にしましょう。鼻でリコーダーが吹ける特技だってかまいません。

 あなたがちょっとした優越感、そして「自分だけができる小さな喜び」を持っていることが、あなたを幸せへと導くのです。





 話は飛ぶように感じるかもしれませんが、宗教というのはこの「優越感」を極限までシンプルにつきつめて、信者をとりこにします。


  どういうことか。


「わたしだけが、あるいはわたしたちだけが、真実の神を崇拝している。だからわたしたちだけが、現世もしくは来世で救われるんだ」


という優越感こそが、宗教の本質です。



  だから、自爆テロだって行えるのです。彼らは「この世を儚んで自殺をしている」わけではありません。


 「自分は、この世の誰よりも神のために命を投げ打っている」


という優越感と自尊心が、自爆を恐れさせないのです。





 そんな行為を、他人は「しょーもないことだ」と言うかもしれません。それは、あなたの小さな優越感が、他者からみれば「しょーもないこと」なのと同じです。


 でも、あなた自身は、その小さな優越感をうまく活用して、幸せになればいいのです。



 このアイテムは、ほんとうにしょーもないけれど、大きな力を秘めているのですから。






 ちなみに、解脱者武庫川は、


「このセカイのすべてを、全部知ってるもんね!理解しちゃったもんね!悟っちゃったもんね!」


という超しょーもない優越感によって、満たされています。



 しあわせなんだからねっ。



2015年2月12日木曜日

『うつ病を解決する魔法の理論』 ~そしてボクは全ての悩みから開放された~

 ふだん、私のブログをずっと読んでくださっている読者の方にとっては「また、はじまった(笑)」とついつい苦笑なさっている顔が浮かぶようですが、そうです。その通りです。


 当ブログではよくある”「うつ病」とボク”ネタシリーズです。


 21世紀の最弱解脱者と自称している武庫川散歩が、その昔”うつ病”を罹患しそこから無事に生還したお話はこのブログのいろんなところに散りばめられているのですが、その内容があまりに


 ひどい


ので、みなさん読後にポッカーンと口を半開きにして黙って去ってゆかれるのがいつものことです。


 なので、今回はあまり冗談を言わず、全体的に真面目なテイストでお送りしたいと思います。


 心に迷いがある人、苦しみを抱えた人はあっさりとおつきあいください。


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 このブログの「アドラー心理学の回」でもちょっと話をしようとしていたのですが、のびのびになっていたことがあります。


 http://satori-awake.blogspot.jp/2014/10/blog-post_26.html



 それは、「正義のゆらぎ」という言葉についてです。



 多くの人が「うつ病」になったり、「心の病」を抱えたり、あるいは「ひきこもり」になったり、と心と体に問題を抱えるようになる原因の多くに、私はこの



「正義のゆらぎ」状態を経験すること



という大変特徴的な体験があると考えています。


 正義のゆらぎ、という言葉は、まだ一般的ではないし、誰もほとんど使っている用語ではないのですが、私武庫川散歩はこの概念をとても重要視しています。


 さて、では「正義のゆらぎ」とはどういう状態を示すのでしょうか。



 まず、重要なのは、ここでいう「正義」という言葉は、世間一般で言うところの


「道徳的に正しいこと」や「一般的に悪ではないこと」

という意味ではない、ということを覚えておいてください。



 ちょっと難しいですが、世間的な「正しいこと」というニュアンスよりも、



自分やあなたにとって正しい状態・理想的な状態・どちらかといえばそっちが望ましい状態



のことを「正義」だと捉えることがふさわしいように思います。



 
 たとえば、ある人にとっては、「大学に合格している自分が正しい状態・望ましい状態」だとしましょう。それはその人にとって「正義」に近い感覚だと思います。


 また、ある人にとっては、「クレーマーな顧客が、限度を越えた文句を言わなくなること」が正義の感覚かもしれません。


 また、ある人にとっては、「上司が問題に対して解決できないまでも、相談に乗ってくれること」が理想的な状態かもしれません。



 頭の硬い人や理想主義者に近い人だと、そうした「よい状態」を「こうあるべきだ」とよりガチガチに正義だと捉えるかもしれませんし、そこまで頑固でない人だと「そっちのほうがいいよね」くらいでおさまるかもしれません。


 しかし、大きなベクトルとして「このほうが、よさそうだ」「このほうが正しそうだ」というイメージが誰にでもあって、それに沿っている状態を「正義」だと捉えるのは当たり前のことのように見えるでしょう。



 いずれにしても、すべての人にはそうした「正義・正しいこと・そうあるべきだし、そうあってほしい状態」というのが存在します。それをここでは”正義”と呼んでいるわけです。



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 しかし、現実には私たちはそうした理想的な世界とはうらはらに、「そうではない状況」に置かれたり、置かれ続けることに直面します。



 これが、正義のゆらぎ状態です。



 先ほどの例で言えば、「大学に合格できない状態」とか「顧客が責め続ける」とか「上司が全く丸投げでサポートしない」ような状況です。


 この状況が、その人の限度を越えるまで継続し、まったく改善されない場合に、「心と体の問題」は頭をもたげてくるようになるわけです。


 こうしたことは、たとえば単純な身体についても当てはまります。適切な休養を取らねばならないのに、激務が続いて休みがとれていない状態も「身体的な正義」からは外れた状態です。


 こうした「自分の望む姿と現実の差・違い」というのは、心理学的には「認知的不協和」と言ったりもするのですが、認知的不協和とのちょっとした違いがあります。


 それは、「認知的不協和」の場合は、人は「思っていたことと実際が違うと不快」なので、実際のほうを否定してなんとか心の中を丸く収めようとするのですが、「正義ゆらぎ」の場合は、


 実際のほう(現実のほう)を否定することが難しい


のでパンクを起こしてしまうわけです。ここで、心と体に逃げ道がない状態に陥ります。


 心理学の用語としては「認知的不協和」のほかにも「ダブルバインド」といった状況や現象もあるのですが、これらは専門のサイトを参照してください。ここではあまり詳しく述べません。



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 「認知的不協和」や「ダブルバインド」と異なり、「正義のゆらぎ」がややこしいのは、ただ単純に二つの相反する状況がぶつかりあっているだけではなく、


「一方が正義というベールをまとっている」


点にあります。ここが話をややこしくします。


 認知的不協和の場合は 


Aという状況とBという相反する状況があって、その人はAだと思っていたのに現実がBだったりすると、「そういう場合もあるかもしれないけど、それは特殊だ」とか事実をゆがめようとする


わけで、また、ダブルバインドの場合は


Aという状況とBという相反する状況があって、それを同時に提示されると人は困惑して心に問題を抱える可能性がある


というものでした。


 これらは単純な相反するAとBのせめぎあいでしたが、「正義のゆらぎ」の場合は



「絶対Aのほうが正しいであろうと想定できるのに、事実はBである」


という正義の価値判断が盛り込まれているところです。ここに問題の中枢があります。



 人は文化的生活を送る中で、周囲や自分で築いてきた「正義の価値判断」があります。
 
 そこが「大きくぐらぐらと揺れつづけ、真逆の方向に倒れこもうとするのを見ると、人は機能停止に陥る」わけです。




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 さて、ここからは解決編に入りましょう。


 うつ病などに代表される心と体の病に罹患してしまったとき、心理学的には


「認知療法」


というものが試されたりします。


 認知療法では、上の例でいえば、たとえば


「Aという状態」「Bという状態」のどちらも客観的に見つめ、捉えなおすことで自分自身を変革する


とか、


そもそも状況を捉えている考え方に誤解や拡大解釈・思い込みなどがないか振り返ってみる



とか、そういう方法で解決しようとします。具体例で話をすれば、


 クレーマーや上司が、背景にどんな問題を抱えていてそうした言動を取るのかを想像し、彼らを単に批難しない。(もしかしたら、苦しみや彼ら自身の問題が隠れているのかも、など)


などの方法が認知療法の対応に似ていると言えるでしょう。



 しかし、こうした認知(考え方)の転換で捉え方をスッキリさせることができる人は健康なわけで、中にはどうしても


「それでも、こうした方向のほうが正義のはずだ、正しいはずだ」


と認知を変えることができない人がたくさんいるわけで、それが問題を拡大させていることは否めません。



 ですから、ここで、解脱者として一言ズバリともの申させていただけるとすれば、


 そもそも、正義は存在しない!


とキッパリ明言しておきたいわけです。

 
 認知を変えるとすれば、根底からひっくり返しておくのです。



 正義もクソもないんだ!クソ野郎!!!!


とガツンとあなたの胸倉を掴んで叫んで差し上げたい。


 これが、ブッダがたどりついた境地です。「これがよい状態であろう」と想像すること、「これが正義であろう」と想像することは、実は108つの煩悩のようなもので、それを捨てれば、そもそも


「正義は、ゆらがない」


のです。


 大学に入れない? そうだ!俺はアホなんだ!悪いかクソ野郎!



 クレーマーもクソだ!俺もクソだ!クソ同士好きなようにやっちまえばいいんだ!



 上司はクソだ!俺もクソだ!みんなクソ野郎だ!今日も明日も快便だ!



 ぐらいに、ケツの穴をしめていけば、何も恐れるものはないのです。クソがいやなら


「どうせこの世は無常なんだ!俺もお前も知ったこっちゃねえ!」


と腹をくくることです。


 本当にこの境地に到達すれば、何も怖くはないし、すべて解決します。



 なんなら客にガツンと言い放って、首にするならすればいいさと覚悟してみてください。


 上司に「なんでアンタは手助けひとつもできねえんだ!」と言い放ち、全力であなたが立ち向かってみてください。


 覚悟があれば、来年大学にチャレンジしてみてください。



==========

 うつ病の人に、「頑張れ」というのは禁句だとよく言います。私はあなたに頑張れとはいいません。



 頑張らなくていいように、一瞬の覚悟を決めろ!



とだけ言いたい。すべては一瞬でケリがつきます。あなたが覚悟を決めさえすれば。あなたの悩みは、すべて一瞬で吹き飛ぶのです。