20年前の今日、3月20日。日本中を震撼させるようなテロ事件がありました。奇しくもこの20年前1995年は、阪神淡路大震災という現代未曾有の自然災害もあり、日本という国家のあり方が大きく
「揺さぶられ、試されることになった転換点」
になったように思います。
さて、その地下鉄サリン事件を起こした人物は、自称「解脱者」を名乗っており、解脱を求めて修行していた教団組織は、同時に人身を傷つけるテロ組織と化していたことがわかったわけです。
あれから20年、首謀者の裁判はまだ続いており、最終局面を迎えてはいません。20年という時が経っても、被害に遭われた方の苦しみと怒りは消えることがないでしょう。
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あろうことか、そんな凶悪事件を起こした集団と、偶然ではあれ同じ「解脱」というテーマを扱っているこのブログなので、ここではっきり、
あっちの解脱とこっちの解脱の違い
説明しておかねばなりません。
あっちの解脱に関しては、好きなようにお調べになればいいのですが、基本はなんかとっても最高な気持ちになって快感を得られるらしいです。
以前にも、お話しておりますが、真の解脱は、気持ちよくなったり、浮いたり、ビームが出たり、何でもできるぜー!みたいな感じには一切なりません。
快楽とか無縁です。むしろ、気持ちいいとかどうでもいい。だって無常なんだぜベイベ。
ロックとヒッピーに詳しい人ならご存知の通り、そうした直接的快感とか、研ぎ澄まされた感覚をお求めな方は、いっそソッチ系のお薬を服用なさったほうが早いと思いますがいかがでしょうか?
・・・そんなもんです。そんな解脱は薬物レベルのしょーもないもんだということです。
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肉体的な解脱感覚が、薬物でも得られるのだとすれば、それは所詮薬物レベルに過ぎません。
超能力にしてもしかりです。
スプーンを念力で曲げるより、手で曲げたほうが早いじゃありませんか。
超常現象が手品で代用できるなら、「超常現象は所詮手品レベルだ」ということの証明にもなってしまうわけです。
いいですか?ここでテストに出る大事なことをはっきり言っておきましょう。
超能力や、超常現象は、人間が物理科学の力で出来ること以上のレベルのことを実現できていない。
ということ。これがすべてです。ということは、仮に超能力が存在していたとしても、それは物理科学技術を超えることはできないということです。
では、この世界の物理科学を超える超常現象とはどんなものか、考えてみましょう。
① 人類っていうか、なんか新しい生き物を手のひらから生み出してみて、新種決定!
② ブラックホールを部屋の片隅に出現させてみて、町消滅。
③ ロケットより、自力で飛ぶ。もう成層圏まで行って帰ってきてゆっくり着陸。
④ 水中で生活。エラ呼吸で10年くらい生きてみる。
⑤ ダイオウグソクムシ以上に小食で、かつ動かないで飼われてみる。
⑥ アメリカの大統領になりすまして3年くらいバレない。
⑦ ウルトラマンくらい、でっかくなってみる。
こんだけいろいろやっても、おそろしいことに大半は物理科学レベルに留まっているんです。
①は超えてる。神以外やったことない。
②は物理科学現象の範囲内。だってブラックホールはすでに存在するから。
③はちょっと超えてるかな。推力が不明だし。
④ 魚類と同等。べつにすごくない。鰯レベル。
⑤ もう完全にダイオウグソクムシれべる。
⑥ いろんな意味で物理科学の範囲内だけど、実現したらすごい。
⑦ 現代の物理科学は超越してる。これはすごい。
こういう風に考えると、インドのなんとかさんが手の中からブレスレットを出すとか、べつにどうでもいいと思いませんか?僕だってポケットからブレスレットくらい出せますよ。
インドの何とかさんが、鼻の中から美女を出したら、私は一生ついてゆきます。
日本のテロ事件の首謀者は数センチ浮いたらしいですが、ほんならライト兄弟は超解脱者ですな。
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真の解脱とは、そういう肉体的・物質的にふつうの人類でも提供できることとは、完全に無縁なのです。
じゃあ、3の倍数で気持ちよくもならないし、おだてても何にも出ないのであれば、解脱することになんのメリットがあるというのでしょう。
それは、めっちゃ簡単。
苦しみから解放される
ということです。
ぶっちゃけ、苦しみから解放されるのは薬物でもできますので、某イスラムなテロリストは、薬物を摂取してわけわからんまま自爆とかするらしいですね。
地下鉄サリン事件の首謀者さんは、拘置所で実の娘が面会に来ていても、その前で自慰行為するそうですから、
別な意味で解脱
してしまっているのかもしれません。もう、完全にあちゃらの世界です。
そんな、変な意味で解脱したい人は、どうぞお好きなようにしていただいてかまわないのですが、真の解脱を得たい人は、そうした過ちを犯さぬように、正しい道を求めてほしいものですね。
話がそれてしまいました。
解脱ということばが、悪い意味で一人歩きする歴史が刻まれた昨今。まあ、あれからもいろんな宗教が現れています。
ワタシ武庫川散歩は、別に衆生を救いたいとか、間違った人々を正したいとか、選挙に出たいとか全然考えていません。
このブログでも書いているとおり、本来の解脱は個人が勝手に会得して幸せになるものなので、
「他の人なんて、別にどうでもいい。だって無常なんだし」
というところが、グサリと本質だったりします。
そんな悟り・解脱でもよければ、たまにこのブログをみてニヤニヤしてやってくだされば、それで十分です。
ばっははーい。
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