2014年7月13日日曜日

完成版「かもめのジョナサン」

 完成版が出たと聞いて、読みたいなあと思っていたのですが、「ちょっと遅れて」本日読了。



 不完全変態な最弱解脱者が読むところの「かもめのジョナサン」のお話です。





  ちなみに、「トラック野郎」シリーズでしたかね。やもめのジョナサンが登場するのは。





 「かもめのジョナサン」はヒッピー時代の40年前にふつうバージョンが出版され、それから大きく遅れてこの夏「最終章」が追加された完全版が出たところ。


 私はさすがに、オリジナルを読んだ時代の「おっさん」ではないので、既に大きく出遅れてまだまだ煩悩に励んでいた10代の頃に五木寛之訳バージョンを読みました。


 もっとも、私は、スピリチュアルなものに全然あこがれていなかったので、(今でもそうだけど)、「かもめのジョナサン」のいわゆる自己啓発的な「ヒッピー部分」に惹かれてこれを読んだわけではありません。



 その頃の私は、キリスト教の神様と内面的にかなりガチバトルを繰り広げていて、いわゆるひとつの信仰とはなんたるちあ、サンタルチアという点についてマジメに考えていたので、その流れで



 リチャード・バックの「イリュージョン」(集英社文庫)
 


という小説を読み、ファンになっていたところだったのです。

 「イリュージョン」という話は、中二病のあなたのための最高のファンタジーで、 なんとふつうの兄ちゃんが「救世主になる」という話です。ある意味。

  というか、ふつうの兄ちゃんが救世主だった、でもいいし。救世主は飛行機乗りだった、でもいいし。救世主とその親友の精神的BLな話、でもいいです。


 このセカイはイリュージョン(まぼろし)である。という概念は、私の解脱の原点とまったく同じですね。

 今でもおんなじことを言っている、


 永遠の少年


な武庫川散歩をよろしく。




 でもとにかく、神様について考えるなら、ぜひ一度読んでいただきたい物語であります。


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 まあ、中高生の時に、そんな本を読んだので


「オッス、オラは解脱王になる!」


とどこかの部分をのばしたり縮めたりひっぱったり大きくしたり小さくしたりしながら大人になってしまったので、武庫川散歩は今に至るのですが、その「イリュージョン」の作者が書いた、むしろそっちのほうがベストセラーだという「かもめのジョナサン」も読んでみた15の夜。


 当時の「かもめのジョナサン」はやはり、宗教的な読み方がされることが多かったと思います。

 ところが、当時の私の感想は


 「これはやっぱり、飛行機乗りの話ですね」


というのが率直なファーストインプレッション。


 ややこしいことはどうでもいいのだ。


「とびたいんや!オレは」


という、ただそれだけの物語だと捉えていました。


  今回の第4章が出て、筆者的にはやはり「宗教的な受け止め方を否定してやったぜ」ということになるのでしょうが、



 おまいらが勝手に崇拝したり、あがめたりするのは間違ってる。探求とはもっと純粋なものなんだ!



という主張に感じます。


 当ブログでも、ずっと書いてますが、「悟りとか解脱とか、そういうのは別にスピリチュアルなもんでも、感覚的なもんでもない」という話は、そういうことを言っているのです。


 仏教でも、キリスト教でも、実は救われるのは「ストイックに道を求めた者だけ」ですね。仏教で言えば


 小乗仏教を追求して、木食して即身成仏して死んだら、救い


だし、キリスト教で言えば

 

 神のことだけを考えている永遠の童貞


だけが救われるのです。

 いやまあ、それが真実かどうかは別の次元の話なのでアレですが。結局「かもめのジョナサン」においても


「オレは飛びたいんや!それ以上でもそれ以下でもないんや!」


という話なわけです。カモメの世界においては。



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 五木寛之さんのあとがき、もなかなかすばらしいですね。

 法然の話とか、「ブッダは食あたりを起こして死んだだけ」とか、あのへんのくだりが私はかなり好きです。


 なんといっても、

 「行く川の流れは絶えずして、しかもファイナルファンタジー。諸行無常のときめきメモリアル」

を悟った武庫川散歩ですから、そこは



激しく同意



です。
 

 というわけで、悟りを得たいあなたが今読むべき書物ナンバーワン!おすすめです。
 

2014年7月11日金曜日

■<14-2>ブッダを超越するとどうなるのか ~ハイパーウルトラブッダの教え~

 お待たせしましたこんばんは。セカイが求める最終兵器こと、武庫川散歩です。


 前回は、この世界がドラクエでときメモであるというお話をしました。


 そして、ブッダであるところのお母さんが一喝。


「そんなの捨ててしまいなさい!」


と怒鳴ったところで終わりましたね。


 そんな「捨てる技術」(by辰巳清・宝島社新書)なブッダの悟りに対して、 ワタクシ武庫川散歩はどのように考えるのか、というお話が今日のつづきです。


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 私の考え方はこれまた明解です。


「え?別にドラクエしたらええやん」


ということ。それが無常だとわかっているのならば、楽しめばいいんとちゃうん?ということです。


  どうですか?この偉大な父性!


 まるでお父ちゃんが帰ってきて、


「なんや?ゲームか?お母さんが捨てろってか?まあまあ、ええやないか。適度にやるんやったら、かまへんやないか」


とネクタイを外しながら言うお父さんそのものです!



 武庫川散歩の悟りは、そもそもこの世は存在しない、というスタンスですからゲームに執着しないというところまではブッダとまったく同じです。



 しょせん二次元の女の子ですから、どうでもいいのです。



 しょせんゲームですから、現実世界には侵食しません。ていうか電源切ったらおしまい。


 そういうスタンスの中にあって、それでも「セカイを捨てようとする仏陀」の感覚が、私とは異なります。


 あるんだから、楽しめばいい。



 まさにゲームです。


ゲームを作ってくれたことを否定はしない。むしろそれは楽しむためにあるのではないでしょうか?


 これをそのまま神さまに置き換えましょう。

私たちの世界を神さま(とかなんかわからんけど)が作ってくれたことを否定はしない。むしろそれを楽しんじゃえばいいんじゃない?


 これが、サイバーパンク解脱の真髄です。


 このセカイに、私たちは悩まされることはありません。喜びも苦しみも、悲しみも怒りも、楽しみもすべて、インプットされたデータ的な「フラグ」みたいなもんです。

 こっちのフラグが立てば、嬉しく感じる事象がおきます。あっちのフラグが立てば、悲しみモード発動です。


 すべての人は、いつか死ぬ。その間、


 どれだけイベントを発生させられたか


に過ぎません。


 イベントは楽しむものです。一喜一憂するためのものではなく、それひとつひとつは大して意味はないのです。


 あなたという物語の1エピソードに過ぎません。



 
 ハイパーメディアクリ・・・・ブッダをほれ信じなさい!やれ信じなさい。



2014年7月10日木曜日

■<14-1>世界一簡単な仏教の教え ~秒速で解脱するためのヒント~

 ここのところしばらく、日常生活に潜む雑感ならびに、ちいさな呟きを中心にお届けしておりましたが、

 本来の悟りの話


に戻ってみようと思います。



 第<1>回から第<13>回に渡って、ワタクシ武庫川散歩が得たところの悟りについて、独り言を続けてきたのですが、まあ、その総まとめみたいなパートに入ってまいりました。


 というわけで、話をわかりやすくするために、秒速で理解できる仏陀の教えについて説明したいと思います。





 仏教的には、私たちが住むこの世界というのは「無常」の世界です。無常というのは、定まった価値のない世界ですから、その世界の中では全てのものは重要ではありません。


 それを簡単に言えば、この世界というのは


ファイナルファンタジー


だということになります。嫌いな人は、ドラゴンクエストでもよろしい。


 RPGのゲームの中は、存在しているようでいて、存在していない世界です。幻の世界でもあり、現実に生きているわれわれにとっては


価値のない世界


でもあります。


 ブッダが言うには、無常な現世は、執着するべき価値のない世界ですから、「捨てなさい」ということになります。


 お母さんが言うところの「そんなもの、勉強の役に立たないから捨てなさい」とほり投げられたファミコンのカセットもしくはCDROMみたいなものです。


 ほら、秒速で理解できたでしょ?(笑)


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 ブッダが言うには、この世界には108つの煩悩がありますが、それらはすべて不要なもので、断捨離しちゃってOKです。いやむしろ、ないほうがいい。


 いきなりですが。



ときめきメモリアル



です。


 108人もの美少女たちが登場すると思ってください。それぞれキャラクターの違う、きゃわいい女の子です。

 いや、実はやったことないので、想像で書いてますが(爆)


 その女の子たちが気になって気になって仕方ありません。あっちもいいなあ、こっちもいいなあ。この気持ちも捨てがたい、あの気持ちにも振り回される。


 そうしてあなたは学校の勉強も部活も、おろそかになってゆきます。


 そしてお母さんが言うのです。


「そんなに気になるくらいなら、ときメモなんて捨ててしまいなさい!」


と。


 さらに秒速で悟りを得られたことだと思います。


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  ブッダという人が考えたのは、この世界には定まった価値がないという事実に対して、ではそれらに執着するのをやめればいいんじゃない、という


お母さんとまったく同じ発想


での悟りでした。なくしてしまえば、それらに思い煩わされることがないからです。



 その根底にあるのは、ドラクエでもFFでもときメモでも、なんでもいいのですが、


「二次元の女の子は、実物じゃないんだよっ(キリツ)」


ということです。

 そう!所詮二次元なのです。幻影ゆめまぼろし、無常のセカイです。


 それを今度は、3次元に置き換えたのが、ブッダのいうところの解脱ですね。


 なんということでしょう!ブッダの教えというのは、つまり二次元と三次元の話だったのです!


  「2次元どころか、3次元の世界も無常なのだから、そこに執着するのはよして、捨ててしまいなさい。」


 これが、ゴータマ・シッダールタさんがたどりついた涅槃の境地なのでした。



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  ちなみに、次回はそうしたブッダの発想力を超えて、ワタクシ人類最後の希望、ラストミステリー悟り発見!がたどり着いた


 サイバーパンク解脱


のセカイです。


 私は、ブッダとは違う結論にたどり着きました。


 さあ、それはどんなお話か?次回をお楽しみに!










2014年7月9日水曜日

【勝手に人生相談 その3】 低学歴でも世間に評価されるには

 あまりにも面白すぎて、またコピペしてしまいました。炎上必至の今回も、


 勝手に人生相談シリーズ


復活でございます。




 東洋経済オンラインさんに連載中の「中島義道の人生相談道場」がまたまたキレッキレなので、ついパクッてしまいそうです。

 今回のネタは、こちら。当ブログなんてはやく閉じて、元ネタのほうを見たほうがいいです(笑)



 中島義道の人生相談道場 「低学歴でも世間から知的に評価されたい」




 いやあ、質問からして素晴らしいです。感動を覚えます。


Q、僕はまともに授業を受けないで三流大学に入ってしまい、その後一発逆転を狙って一流大学を出ようと受験したのに失敗、再び三流大学の哲学科に入学してしまいました。

 こんなボクですが、世間から「知的に評価される」にはどうしたらいいでしょうか。

 

A、無理ポ(by中島義道)




 中島先生の回答は明快です。「運動オンチがオリンピックに出場したい」というようなもので、絶対ムリとのご回答。


 このたとえも、完全に秒速でわかりやすくてどうしようもありません。





 というわけで、今回ばかりは中島先生に勝てそうにないのですが、武庫川散歩なりに真摯に考えてみようと思います。なんせ勝手に人生相談シリーズですから。



 武庫川散歩の回答はこうです。


A.いっそ、痴的に評価される、というのはどう?



 知的に評価されるのはムリですから、「痴的」くらいならいけるんじゃないでしょうか?


 私も似たようなことを考えたことがあります。


ノーベル賞を取りたいが、ちょっと厳しそうなので「イグ・ノーベル賞を狙おう」と。



 この世は存在しない仮説で、イグ・ノーベル賞を狙うのは現実的だと思いませんか?(笑)





 現代において高く評価されている映画監督の中に、「日活ロマンポルノ」で下積みをして、華開いた人はたくさんおられます。きっと違う部分もいろいろと開いてこられたことでしょう。


 痴的に評価され、知的に評価されるということは、あながち的ハズレではありません。


 作家で言えば、岩井志麻子さんとか、漫画家でいえばサイバラさまとか、


「痴的と知的は紙一重」


を体現している方は山ほどおられます。



 生き方そのものでは瀬戸内寂聴さんなんかどうでしょう。


 瀬戸内晴美さんのころ、一体全体どんなだったかを知れば、勇気が湧くというものです。


 なんならいっそ、最後は悟りを開いて出家すれば全て丸く収まります。





 何をおっしゃる!バカにしているだなんて!そんなことはありません。


 あの光源氏さまでさえ、痴的な人生を経て、往生楽土の解脱のために出家なさったのですから!



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 せっかくですから、私の話をしておきましょう。


 私はハーバード大に比べれば三流も四流も、もうロクでもないような低い学力の大学を出ました。


 東京大学にも遠く及ばないような関西では一・ニを争う私立大学です。


 だからなんなんだ、というただそれだけの学校です。


 
 それから、公務員に合格したり、やめて会社員になって管理職になったり、いろいろしました。


 作家としてデビューしたこともありますが、世に出たのは一作品です。映像作家として某大映画監督にお褒めいただいたこともあります。


 いまをときめく作詞家大先生とお会いして、お話したこともあるし、だからそれがどうした、なんなんだ、というレベルです。

 兵○県知事と徳○県知事から表彰を受けたこともあります。

 西○市長から表彰されたこともあります。ただし、これは小学生の時のお絵かきコンクール金賞ですけれど。


 おーいお茶俳句大賞佳作です。


 某所で私の書いた本が売られてます。定価1500円です。



 しかし、悟りを開いた私にとって、そんなものはぜーんぶどうでもいいことです。


 そんなことより


 可愛い女の子に抱きつかれるほうが、よっぽど嬉しい!!!!



 そんな痴的な話でした。

2014年7月3日木曜日

<日常>「嫌われる勇気」とアドラー心理学

 梅雨ですね。


 心も沈む雨日和。でも、農家の方にとっては、なくてはならない雨です。


 嫌われ者でもいい。あなたにとって、なくてはならない雨になりたい。そんな武庫川散歩です。



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 ネット界でも、本屋さんでも、「嫌われる勇気」なる本が売れているそうで。


 出版元のダイヤモンド社さんが、この本にまつわるいろんな周辺情報を流してくださっているので、どんな本かはだいたいわかるようになっています。


 エッセンスをお伝えくださっている、という感じかな。




 嫌われる勇気 ダイヤモンドオンライン特設記事より
 http://diamond.jp/category/s-adler



 この本のテーマは「自己啓発の源流」ともいうべき「アドラー心理学」についての入門書、というところ。


 アドラーさんの言わんとするところは、武庫川散歩もかなり同意する部分が多いです。


 そもそも、武庫川散歩は


人間嫌い


ですから、


友達いない


のを実践しています。


 勇気もくそもなく、すでに「嫌われている」かもしれません。恐ろしいことですwww




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 思い出してみれば、解脱する前の私の座右の銘は


「おまえは何がしたいのか?」


であり、


「人生は思い通りにならず、思いがけないことが起こる」


でした。あの頃は、まだナイフのように尖っておりましたが、基本的にはハードボイルドな生き方をしていたような気がします。


 最近は丸くなりました。まずは体型から。



 もとい。



 アドラー心理学のポイントは、


「全ての悩みの根源は人間関係によるものである」


ということでしょうか。


 フロイトさんが、


「全ての根源は、お●●●●にある」


というのとは、かなり対照的です。


 その問題に対して、「他人のことは知るかヴォケ!」ということをストイックに追求すればいいのだ、というのが、アドラー式解決法、ということになるでしょうか。



 武庫川散歩のように、解脱しちゃったりすると、他人どころか


「この世のことは、知るかヴォケ」


となりますから、まあ、言ってることは通じるものがあります。悟りを開くとは、そういうことです。



 アドラーさん的には


「他人は変わらないから自分が変われ」

「見返りを求めるな」

「嫌われていいじゃないか、承認される必要なし」

「ただ、自分がセカイに貢献すればいい」


ぐらいのことをぶちかましてけつかられていらっしゃるようですが。



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 アドラーさんが言っているのと同じかどうかはわかりませんが、武庫川散歩には、あなたを応援するいくつかのメッセージがあります。



① 好きにしろ。好き勝手にやれ。やりたいようにやっていい。



② ケツを拭け。あなたの人生だから、自分でケツを拭け。



③ 人生は思い通りにはならないが、思いがけない喜びも勝手にやってくる。



④ 死ぬ瞬間に「面白かった。良かった」と思えればそれで万事OK。



⑤ 苦しみも、悲しみも、逃げたい気持ちも、「あなたの思い出のエピソード」だ。楽しめ。






 まあ、たくさん挙げすぎるとややこしいので、さくっとやめときます。



 あと、最後にしいて挙げるとしたら


「この世には、良いこととか悪いこととか、そんなのはない。実際に起きることと、起きないことしかない。」


ぐらいかな。



2014年6月30日月曜日

<日常>自殺したい人にやってほしい、たったひとつのこと。 自殺する前にやるべきこと。

 どうも。梅雨だというのに、私の住む地方では、いっこうにまとまった雨になっていません。その一方で、局地的に大雨が降ったり、大変なことになっているようですね。



 行く川の流れは絶えずして、諸行無常の響きありです。



 なぜか全くわかりませんが、時々、当ブログのアクセス数がとっても増えて驚くことがあります。ああ、誰かがこんなしょーもないブログを見ている、恥ずかちい!

 と両手で顔をふさぎながら、指の隙間からちら見する、そんなシャイなあんちくしょうの武庫川散歩です。どもも。




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 今日の解脱者さんからのひとことは、ズバリです。


「自殺しよう、自殺したいと思っている人へのメッセージ」


ですね。


 悟りを開いた者からすれば、


「自殺することがいいことなのか、悪いことなのか」とか

「自殺は違法か」とか

「自殺する権利はあるのか」とか


そういう問いは、あまり気にしません。


 事実現実実際に、「自殺することはできる」のですから、人はいいとか悪いを通り越して、「自殺することはある、自殺することは可能」なのです。


 それを認めるとか、認めないの議論は不毛です。少なくとも、悟りのセカイにおいては、不要な議論です。



 ですが、老婆心ながら「悟りをパックリ開いた者がお届けする、自殺したい人への最後のメッセージ」があるとすれば、それはこんなお話です、というのが今日の内容。



 もちろん、これは「死にたい人」「自殺したい人」「死のうと思っている人」に限りません。言い方を変えれば、


「生きている全ての人が、死を迎える前に一度だけでいいので、やってほしいこと」と同義です。



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 私はすでに、それをやり終えていますので、たいへん心が澄んだ状態で、今の自分の生きることについて、納得と深い満足を得ています。




 それは、特段に難しいことではありません。




 もし、あなたが死をなんらかの形で意識していて、ほんの少しだけ時間があるのであれば、自ら命を絶つ前に、一度だけやってみてください。




 そこには、「あなたにとって、今必要ななんらかのメッセージ」が込められています。




 それは、人によって受け止め方や、感じ方、読み取り方が大きく異なります。




 結果については、私も関知できませんし、それをすることで死が去ってゆくわけでもありません。




 
 それをすれば、かならず「自殺を思いとどまる」という類のものではないです。




 もしかすると、人によっては「やっぱり死のうかな」と思うかもしれません。しかし、それをする前としてからとでは「死ぬ意味が大きく異なる」ことだけは確かです。





 私はスピリチュアルな感じじゃないタイプの解脱者なので、こういう言い方は好きじゃないのですが、平たくわかりやすく言えば、そこには必ず「霊界からのメッセージ」が書かれています。





 
 あなたの未来がすべて書かれているというインドの「アガスティアの葉」なるものがあるそうですが、それには「あなたが生まれてきた理由」のすべてが書かれています。いわば過去版「アガスティアの葉」です。どうせ死ぬんだから、未来のことは書いてなくてもいいじゃないですか。







 わたしは、それを実行してから、人生感が大きく変わり・・・ませんね。だって悟りを開いてからやったから、別に何にも変わりません。ただただ、純粋に受け止めるのみです。







 しかし、私の家族や、友人たちは大きく感情が変化したようです。






 

 少なくとも、全員が「生きるとは何かが、わかったような気がする」と口にしています。






 「知らなかったことをたくさん知ることができ、私がなぜ生きているのかがわかった」と言います。






 なので、「どうせ死ぬのであっても、あなたが生きた理由を知ってから死んでもいいんじゃないか」と私は思っています。







 繰り返しますが、そこには、何らかのメッセージが込められていて、読む者にとって、受け止め方や心の揺さぶられ方が大きく異なります。でも、それは「今のあなたに必要なメッセージ」です。







 いい忘れましたが、「過去版アガスティアの葉」は買うのに1枚750円かかります。






 私の場合は、4枚くらい出てきましたので、3000円かかりました。





 友人の場合は2枚でしたので、1500円でした。




 

 やってほしいことはたった一つです。役所へ行って「私の本籍地の先祖を遡れるだけ遡ってください」とアガスティアの葉を管理している通称戸籍係の霊媒師に頼んでください。





 そうすると、その市役所で所有している「戸籍謄本」やら「除籍謄本」やら「改正原戸籍謄本」やらをいろいろと出してくれます。





 お父さん、おじいちゃん、ひいおじいちゃん、そのまたおじいちゃん・・・・。などあなたに至る先祖がどんどん書いてあります。ついでに親族とか家族とかもどんどん書いてある用紙が出てきます。




 

 最低でも明治半ばころまでの先祖の生きた証が出てくるでしょう。うまくいけば江戸時代まで遡れます。





 そこに書かれている人たちは、みな既に死んでいます。あなたももうすぐそこへ行くことになります。




 そして、その人たちが生きていたので、あなたは今ここにいます。





 あなたが死ねば、そこで終わりです。それもよしです。





 日本の戸籍制度では、明治2年に作られた戸籍は、国家権力によって隠されています。あなたが読めないようにしまってあるのです。わざとそうなっているのです。





 だから、せいぜい辿れても江戸末期もしくは後期までです。しかし、縄文時代から、あなたの命は繋がっています。





 
 その、最後のちょっとの命のリレーを読んでから、どうかあなたの命を決めてください。





 きっと、あなたはその文書から何かを発見します。すべての人が、何かを発見するのです。





 あなたが生きている、あなたが生きていた理由のヒントを。




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<2020年2月追記>


 この記事を検索で読んでくださる方がとても多いので、もう少し補足をしておきます。

 戸籍を辿り、自分のルーツをしっかりたどってゆくと、実は2つの大きなことに気付きます。


ひとつは、


■ あなたが今ここで生きているということは、先祖の誰もが途中の戦乱や地震や災害や病気などで、一切死なずに生き延びてきたからだ、ということ


です。もちろん子孫を残した「後」に亡くなった方はいるでしょうが、少なくともあなたの先祖を遺すまでは、その人たちは死んではいません。


 これをすごい!と思うか。だから?と思うかは自由です。



 もうひとつは、これも先祖調査、苗字調査をしている専門家が発見していることですが、


■ 日本人のほぼすべての人は、「天皇の子孫」もしくは、「貴族の子孫」です。


 そう!本来世が世であれば天皇や貴族であったかもしれないあなたが、なぜこんなに不遇な境遇になって、今「死にたい」と考えているのか、そこには驚愕の答えがひそんでいるのですが、


 それを知りたい!と思うか。そんなのはどうでもいい、と思うかもまた自由です。



 しかし、自分が本来高貴な系統を受け継いでいて、命には価値があるはずなのに、なぜ今自分は苦しんでいるのかに興味を持った人、あるいは、連綿と続いた命のリレーについて、それが途切れるということはなぜなんだろう?と感じた人には、十分に自死を思いとどまるチャンスがあるということを知っておいてほしいのです。


 なぜなら、あなたは本来愛され、生かされるべき存在だからです。



2014年6月26日木曜日

<日常>「ありのままで」生きようとするのやめちゃえば?

 どうも、最近糖尿病で高血圧になってきたような気配がするので、そろそろ涅槃に突入かと考えている武庫川散歩です。

 ちなみに、悟りを開いても、開かなくてもヒトは死にます。ブッダも死にました。キリストだって死にました。


 「死にましぇん」のは武田鉄矢くらいのもんです。


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 さて、ちょっとブームも落ち着いてきましたが、ついこの間まで俗世には


「ありのーままのー」


とかなんとかいう歌がやたら蔓延ってましたね。"Let It Go"です。


 社会学とか、心理学の側面からは、

「現代人はありのままの自分でいたがっている」

とか

「ありのままの自分でいられない社会の病理」

とか、いろんなことを抜かしてけつかりますが、そういえば数年前にも


「世界に一つだけの花」


がどうとか、そういう観念がブームになっておりました。え?数年じゃなくて、もう10年も経つの?!

 ちょっと、記憶も解脱しておりました。失礼。


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 「自分らしく生きる」とか「ありのままで生きる」といったキーワードが、本当に現代の日本人は好きです。

 しかし、そのキーワードのせいで、自縄自縛になっている人がたくさんいるような気がするのは、気のせいでしょうか。いや、気のせいではありません。


 自分らしく、ありのままで生きるのが難しい世の中だ、という前提はまあいいでしょう。


 そこから「だからこそ、自分らしくありのままで生きたい」と願うのも、まあいいと思います。


 しかし、「自分らしく、ありのままで生きていないワタシは終わってる」と考えるのは、どんなもんでしょうか。



 仕事上うまくいっていない、給料が上がっていない。うだつもあがらない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 恋人がいない。結婚できていない。こどももいない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



 田舎に住んでいる。楽しいこともやりがいもない。ここは吉祥寺じゃない。

 だから自分は「自分らしく、ありのままで生きていない」



といったことに悩みながら、「ありのままで」を切望する現代人はどう考えても何か間違っているように思います。



 そもそも「自分らしく、ありのままで」の前提条件が間違っているんですね。つまり。

 最初から意味がおかしいんです。



 派遣社員で、給料が上がる見込みがなくても、「これで~いいの~」

 3畳一間で、暖房がなくても「少しも寒くないわ~」

 子供がいないからこそ「なんでもできる~」


というのが「ありのまま」ということです。



 そもそもこの歌は


「自分が雪女であることを肯定する歌」


ですから、いいんです。デブで臭くてキモくても。ブスでもハゲでもいいんです。
 


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「世界にひとつだけの花」ブームのときもそうでしたね。


デブで臭くてキモくて、ブスでもハゲでも「世界に一人だけの自分」だからいいのだ、と。

ナンバーワンにならなくても、すでにオンリーワンなのです、と。



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 しかし、最臭解脱者「武庫川散歩」的には、どちらの意味でも「ありのままで」生きようとするのをやめることをお勧めします。


 金と欲の全てを手に入れて「自由よ~なんでもできる~」状態に秒速で成り上がる「ありのままなワタシ」も


 なーんにも努力をしないで、ボテっと寝転んでいるだけの「ありのままなワタシ」も


どちらもダメです。



 
 悟りを得た人間からすれば、結果論として「出来なかったことや、手に入れられなかったもの」はあって当然ですが、


 自分が生き生きと生きる


ことはとても大事なことだと思っています。


 生き生きと、の中身が人によって異なると思いますが、


自分が良いと思う状態を維持するために、努力したり、時には諦めたり、泣いたり笑ったりする


のも生きるということなのです。



うーん、なんか最後はまともな話になってしまいました。もっとふだんはキレッキレの解脱ばなしになるんですが(苦笑)