仏教の修行において、その目的は何かと問われれば、「108つとかの煩悩を捨てて、悟りの境地を得ること」というのが、わかりやすい答えだと思います。
というわけで、ブッダ・お釈迦さまは悟りの境地に到達して、真の平和と喜びを得ることができました。
では、「お金がみるみる貯まるブッダの教え」的には、経済的解脱・経済的悟りを得るために、どうしたらいいと言うのでしょうか?
仏教で言うところの「煩悩」に相当するものは、経済社会では一体何なのでしょう。
それは、少し考えてみると、誰にでもわかる簡単なことです。
煩悩というのは「食べたい、飲みたい、女性と付き合いたい、偉くなりたい、お金持ちになりたい」といった欲望のことで、一般的な仏教ではそれが
108種類
もあることになっているのはご存知の通り。
ほにゃららしたい、という欲望が煩悩なのですから、経済社会における煩悩とは、
「ほにゃららが欲しい」
という考えや行為に他なりません。
これまたわかりやすく言えば、私たちが毎日行っている「消費」が、それに当ります。
つまり、煩悩とは消費そのものなのです。
「お、今日は鶏肉が欲しいな」
「ブランドバッグが欲しいな」
「ベンツ、買おうっと」
「マンションが欲しい!」
といった、消費生活。消費はすなわち「煩悩」が経済的に現れた姿です。
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ブッダが考えたのは、「煩悩」に惑わされず、それを捨て去ることで幸せがやってくる、ということでした。煩悩や欲望から自由になると、人は幸福の境地に立てる、ということです。
それを経済生活に当てはめてみると、つまり
「消費から自由になると、人は幸せになれる」
ということに他なりません。
ここで、気をつけておきたいのは、ものを購入する行為を全て消費とみなす必要はないということです。
おなじ何かを買うという行為でも、「消費」もあれば「浪費」もあるし、「投資」の場合だってあります。
お金を金の延べ棒に変えるのは、あまり「消費」とは言いません。単なる姿形を変えた変換だとみなせるものは、消費ではないと考えることもできますね。
なので、ここでは、ブッダが捨て去るように薦めているのは「モノを買う行為」ではなく、「浪費も含めて、消費すること」だと仮押さえしておきましょう。
人には108種類の消費があり、その消費を一つずつ捨て去ることができれば、悟りを開くことができる、というわけです。
(つづく)
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