2016年12月2日金曜日

”わたし”を生きづらくさせているのは、ほんものの”私”ではなく、仮想的に設定された虚像の”わたし”である。 ~拝啓 北条かやさま~



 そろそろ身体も凍えそうになってくる冬の季節ですが、みなさまいかがお過ごしですか?


 貴方のこころをそっと暖める、ハートウォーミングな稀代の紳士こと、あなたの武庫川散歩の妄想のお時間がやって参りました。


 ・・・ いやあ。寒いです。懐も。ふだんは世を忍ぶ仮の姿のサラリーマンをしている武庫川ですが、今年も業績が悪くボーナスがどうなるのやら。


 でもまあ、解脱しているのでボーナスが少なかろうが、あるいはいっそ無かろうがしったこっちゃありません。



 ボーナスがなかったりもするけれど、わたしは元気です。(by危機)




 ただ、ボーナスがないと、前の嫁はんに慰謝料が払えないので、その分くらいはどっかからか段取りしてこないとダメなんですが、


・・・・え?寄付してくれる?


ありがとうございます。貴重な喜捨ですな。喜んで受け取りましょう。メールくれたら振込先をご連絡申し上げますよ。はい。









 さて。いつものようにとりとめのない話から始まったこのブログですが、今日もまた心を痛めた1人の女性がおられるとのことで、そのあたりをお話しようと思います。


 北条かや、さんというネットではこれまでにそこそこ興味深い文章を書いておられる方がいるのですが、私が知らない間に炎上したり、つらい思いをなさっていたりしたそうで。


ウィキペディアより 北条かや さん
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E3%81%8B%E3%82%84



 ちなみに武庫川は、キャバクラとかキラキラした女子がいるところは避けて、隅っこに逃げながら歩くような


 ゴキブリみたいな男


ですので、かやさんみたいな美しい女性には目を合わすことすらできません。


 ただまあ、別れた嫁はんに、どことなく似てるなあ、というそれくらいのことです。




~~~~~~~~~~



 さて、昨今はお元気になっておられるようですが、彼女がネットで炎上した後、ずいぶんと心がくじけておられた時の経緯が、withnewsに載っていたので、そこから解脱者が思うところを少し書いてみたいと思います。



インターネットで死ぬということ 1度の炎上で折れた心

http://withnews.jp/article/f0160918000qq000000000000000G00110201qq000014021A





炎上・入院・エゴサーチ…「底つき」の果てに得たコンパス

http://withnews.jp/article/f0160919001qq000000000000000W02u10201qq000014022A



 詳しいことは、ご本人の弁に譲るとして、人間が悟りを開く上で、大事なポイントがいくつかあるなあ、と思うのでまずはそこから。







■1■ 「キャラクターを作りあげてきた」


 ネットにおいても、現実社会でも、人は立ち位置やポジションを求めて、あるいはそのポジションを維持しようと「キャラクターを作り、それを演じる」ということは多々やっているものです。


 この武庫川散歩でさえも「解脱者」というこれまでになかった斬新なキャラ設定で活動しておりますので、近現代でいえば解脱者なんて名乗っていたのは


 あのシト。 ・・・・けして口にできないようなあのシト・・・。(ヴォルデモートか!)



ぐらいしかいません。 いやいや、わたしは浮遊しませんよ!



 北条さんは、これまでに(あるいはこれからも)一定のキャラクターを作り上げ、そのキャラクターにおける「評価」を気にして生きてしまったので、傷つくことになったのですが、実は、そのキャラクターは自分でおっしゃるとおりの



 設定



に過ぎず、ほんとうの、本物の、中身の「北条かや」さんではありません。



 とすれば、彼女が苦しんでいるのは、



 虚像の自分に対する、評価



に対してである、ということなのですが、これはちょっとしたミソですね。



 もし、苦しみを生じさせ、生きづらくさせている元凶が虚像なのだとすれば、解脱者のアドバイスはたった一つです。



「北条かやを脱ぎ捨てればいいんぢゃない?」



ということになります。



 どうせ虚像なのですから、明日から「西条やそ」になっても全然構わないわけで、そうすればその瞬間から私たちは


自由


になれることは請合いです。


 (西条八十が出てくるあたりが、武庫川の知性を感じさせるでしょ?)



 しかし、北条さんがそれを選択しなかったのは、これまでに作り上げてきた「北条かや」という資産を失うことにもなるので、それがサンクコストになることがどうなんだろう、という迷いがあったのかもしれません。わからんけど。

 もちろん、北条かやを捨てれば、経済的に立ち行かなくなる、という不安もあったのかもしれません。わからんけど!


 ★これは、興味深いことに「ブラック労働とわかっていながら、そこから抜け出す勇気が出せない高学歴女子」とおなじ心理構造になっていることに気付くでしょうか? 







 ■2■ 好かれたい、という病



  できれば万人に好かれたい。あるいは高く評価されたい。マイナスな評価をされたくない。というのは、誰もがふつうに思うことで、それは罪ではありません。


 この解脱者武庫川ですら、できれば美女に囲まれたいし、万人に「よっ!今日もキレッキレに解脱してるねえ」と言われたいと思っています。

(しかし、別にそんなのはどうでもいいんですが。)


 ですが、ここにまた大事なツボがあって、



 どんなに愛されても、ほんものの中身を愛してくれ、評価してくれ、好いてくれる人なんてそうそういない



ということが大事なのではないかと思うわけです。解脱者は。



 先ほど述べたように、好いてくれたとしてもしょせんは「虚像に対して」の評価ですから、それは空しいものに過ぎません。


 そんな空しい愛をいくら積み重ねても、「生きづらさ」はけして解消しないだろうなあ、ということはとても重要なことだと思います。


  奇しくも、アドラーの「嫌われる勇気」が人気ですが、武庫川もそれを目指して


嫌われまくってやる!


と硬く誓っているのであります。というわけで、今日も好き放題、放言をかましているわけで。




 武庫川は、究極的には「わかってもらうこと」がポイントなのではないのです。



 このセカイに、武庫川散歩が存在している事実。それだけがむやみに楽しいし、面白い。


 そして、それが仮に無評価であったとしても、わたしの内側では実存であり実感であり、リアルだ。


ということがめっちゃくちゃ意味をなしているのです。



 これが無常なセカイに、私達が生きている価値であり、意味だと思います。



 

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 承認欲求というものが人間にはあって、それはとてつもないパワーをもたらすこともあるし、また自分を傷つけることもあるのは、十分わかっているのですが、私は最終的には



 人というのは、他者から見た自分ではなく、自分の中身そのもの



が本質である、と考えています。


 ところが、これが意外と難しく、「自分で自分の中身をきちんと把握する」ということは、なかなかできるものではありません。



 どうしても仮想的に自分を見て、虚像としての自分を形成してしまうこともあるし、他者の評価に合わせすぎて心を壊してしまうこともあるのです。



 
 解脱者的には、そうしたものに惑わされず、自分で適切な自分を構築する手法、みたいなのは存在すると思うのですが、一朝一夕に出来るものではなく、自分とじっくり向き合っていく時間的なものも必要であったりします。



 宗教的なニュアンスを排除して、そうした手法を確立したいなあ、といつも思っているところです。







 さて、いつもなら、素敵な女性に対しては



「セカイがあなたを敵に回しても、私はあなたの味方をする!」


と、宣言するのですが、当ブログのファンのみなさまにはそろそろ、



「まーたあいつは、女子におなじ台詞ばかり言ってるぞ」


と怪しげなまなざしで見られて、信頼度が低下しますので、今回はいいません。


 ええ、わたくしこう見えて義理がたいんですよ。


 安心してくださいね。




















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