2017年4月8日土曜日

人はなぜブログを書くのか ~承認欲求?さみしいから?それとも~




 
「・・・武庫川さんは、ほんとは誰でもいいんでしょ。かまって欲しいだけなんでしょ。」



・・・・・・。



・・・・・・。



 いきなり、こじらせたラブシーンみたいなのから入りますが、ええ、先日そんなことを言われた武庫川散歩です。




「いや、誰でもよいわけじゃない!僕が見ているのは君だけだっ」



と、カッコよく言いたいところですが、 ちょっとその時の話の流れが言える雰囲気ではなかったので、上の私のセリフは空想の産物です。あしからず。思ってても口では言ってないよ。




 ・・・・・・なんの話やねん!




 そうです。今日のテーマは、これ!





 人はなぜブログを書くのか。






 これは21世紀、ネットの時代に生きる現代の哲学の真髄と言ってよいかもしれません。



 少し前だったら

「人はなぜ小説を書くのか」とか

「ブンガクとはなにか」とか

「人はなぜ表現するのか」とか

そういう問いかけもたくさんありましたが、これをいかにも現代チックにすると


人はなぜカキコむのか


に集約されるかもしれません。




 それは時には


「寂しいからブログを書くんだろう」とか

「承認欲求が強いからでは」とか


そういう文脈で語られることも多いのですが、


(参考★ニャートさんのブログから

http://nyaaat.hatenablog.com/entry/best-essay


引用:
” 例えば、心の暗がりについて書くとき、「そんなことはブログで全世界に公開することではない。日記帳に書いてだれにも見せるな」と批判する人がいる。
「ほめられたいからだろう」「さびしいからだろう」と批判する人もいる。

私も、このことについて悩むことがある。
なぜブログを書いて、だれかに読んでほしいと思うのだろう。
思ったことをありのまま書きたいのは、別に承認欲求からではない。だけど、この気持ちをうまく説明できない。”


 )



はて、武庫川はなぜブログを書いているのだろう、ということを、今日は考えてみたいと思います。




~~~~~~~~~~




 武庫川がブログを書く理由、それは「誰でもいいからかまってほしい」ということではありません。


 それよりも、実は、




「これをあなたに読んでほしい。♪伝えたいことがあるんだ!」
(by小田和正)



という意味合いで書いている記事もたくさんあるし、逆に、特定の読者は想定せず、



「ただ、書き連ねているのだ。悪いか」



という意味合いの記事もたくさんあります。



 武庫川クラスになると解脱していますので、すでに他者から承認される必要はなく、なので、部屋も片付けず汚いままです。


 承認してほしいとか言う前に、部屋を片付けろ!はいそうですね。というそれだけの話ですよ。


 また、「寂しい」ということもちょっと違います。


 なぜなら美しい妻と可愛い子供たちに囲まれて、おまけに猫が二匹もいて毎日ゴロニャンと生きたぬいぐるみがすり寄ってくるからです。


 こんなにリア充なのに、寂しいとか言ったら、


ほんまにさみしい人にどつかれます。まじで。


だから、あえて言おう。さみしくなんかないやいっ。




~~~~~~~~~~



  武庫川という人間は、小さい頃からいろいろな表現を試みていて、文章を書いたり、音楽をやったり、演劇を作ったり、映像をやったり、作家の真似事をしたり、テレビラジオ新聞雑誌ウェブ、いろんな媒体に出たりしながら生きてきました。


 ぶっちゃけ、それらは手段については何でもいいし、「メディアに出続けたい」とか、そういう気持ちもないので、ふだんは世を忍ぶ仮の姿の会社員をしています。

 で、たまに表の世界でちょろっと活動して、また地味な生活に戻るみたいなことを繰り返しています。


 端的に言えば、それらも含めて何かしらを外に出してゆくのは


「面白そうだからやってる。えへ」


だけなのですが、明るく元気でほがらかに人生を生きるということの象徴なのかもしれません。



 なので、ブログもそう。



 書いてて面白かったり、楽しかったり、好き放題言いたいだけ、なのでしょう。



 そして、それらすべては


「今を生きている、その瞬間をそこに定着させている」


ぐらいのことなのだと思います。



 もし賢明な読者のみなさんに伝えたいことがあるとすれば、



「今、この瞬間をいきいきと生きてね!」



ということだけです。それを伝えるために、こんなに自由闊達なことばを書き連ねているのです。



 上で引用したニャートさんの記事では、


「わたしは、書いたものをネットの海に投げることで、どこかにいるだろう、分かってくれるだれかと対話をしたいのかもしれない。」


ということばが続きます。


 コミュニケーションする、ということですね。



 社会学の分野では、近年、



「われ、コミュニケーションす、故にわれあり」


という、人の定義として「コミュニケーションする存在」を挙げる学問内容がありますが、この視点はとても大事だと思います。



 そういう意味では、私も「関わる」ことをとても重視しています。人間ぎらいのクセに。



 だったらきっと、私がブログを書くのは、



「あなたと関わりたい」



というメッセージなのかもしれません。


 あなたとは、そう、これを読んでいるそこのあ・な・たです(^^



・・・・・・気持ち悪いとか言うなっっ!!!

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