2014年3月20日木曜日

<日常>世界のはじまり、世界の終わり

 なにげなくネットを見ていたらこんなニュースが飛び込んできました。


 あなたの胸に飛び込みたい、武庫川散歩です。


 宇宙膨張、裏付ける重力波(時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140318-00000005-jij-sctch



 重力波ですよ、重力波!カメハメ派とかドドン派の一種の重力波です。これはワクワクです。

 
 我らがエンターテイメント解脱においては、この宇宙は「理論的なもの」と捉えています。ざっくりと言い換えれば「プログラム」でもいいし、「アルゴリズム」でもいいです。

 宇宙は存在しないかもしれない、と把握しているわけですから、基本的にセカイは記号の集合体であり、紙の上に書かれたプログラムのようなもの、(ハードウエアに依存しない)と捉えています。


 さて、今回のように「宇宙はビッグバンではじまり、どんどん広がっている」ということは従来より多種多様な観測により言われてきましたが、どうもその説を裏付けるようなデータが見つかったようですね。なかなか悟りの視点からも興味深い話です。


 宇宙には始まりがある


ということは、そこからいろんな推測ができますね。


 ひとつには、宇宙に始まりがあるということは「宇宙がなかった状態」と「宇宙がある状態」の2つの状態が考えられるということです。


 これが何を指しているかというと、「宇宙を作ったヤツがいる」もしくは「宇宙が勝手に無から生まれた」などの想像ができるというわけです。


 宇宙を作ったヤツがいる、と考えればそこから「神」(のような存在)を検討しなくてはなりませんね。


 宇宙が勝手に生まれたとすると、完全な無から突然有が生じるのもちょっと変なので、無の外部に何かしら有があるのではないか、と想像することができるかもしれません。

★われわれの宇宙の外側に、別の何かが広がっているのではないか、という考え方です。



 そして、もっと究極的にいえば


「はじまりがあれば、終わりがある」


と想像することも当然できます。滅びだ滅びだわーいわーい!


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 まあ、悟りを開いた者からすれば、宇宙がどうなろうがどうでもいいのですが(笑)

 そうも言ってられないので、ひと言ふた言コメントを。

 
 宇宙にはじまりがある、ということはサイバーパンク解脱的には、別にたいしたことではありません。

 この世界は記号の集合体であると定義する段階で、記号は小さなユニットから大きなユニットへ組み合わさるわけですから、「記号の記述スタート」のようなものは当然あってもおかしくないわけです。

 また、別の観点から言えば、このセカイに「時間」という流れがある以上、「時間」軸の視点からみれば当然「はじまり」があっておかしくないわけですよね。

(過去の過去の過去の・・・・遡る原点としてのはじまり、ということ)


 しかし、その宇宙のはじまりも実は論理的に「プログラムの起点はここ」と明示されているから、そこから始まっているだけ、ということかもしれないし、いやはやそのあたりは神様に聞いてください。なーんて。


 そうした様々な疑問は、いつか人類の歴史の中であと数歩ぐらいは明らかになると思います。その時には私たちは死んでます。ちょっと残念ですが。


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 一般的な宗教では、よく「この世界の終わり」を定義して、その時に「真の神を信仰していないものは滅ぼされる」なんて言い方をすることが多いです。

 キリスト教ではハルマゲドンだし、仏教でも末法思想なんてのが流行したりしました。

 
 サイバーパンク解脱では、セカイや宇宙の終わりがあるかもしれないけど、その時はその時で、別にこのセカイの真実を知っていようが知るまいが、結局滅びる、と考えています。


 なんと救いのない思想哲学だろう、と自分でも思います。わははは。

 
 しかし、仏教もそうですが、その「救いがないところ」に真理があったりするわけで、そもそも世界に救いがあるなんて思っているほうが誤解なのです。


 このセカイは救いなんてなく、とんでもなくひどいロクデモナイセカイなわけで、それをちょっとでも何とかしようと人類は文明を築いて「ろくでもない世界」と戦っているというのが事実です。

 頑張れ人類!




 





 





 

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