今世紀最大の解脱者、と誰にも噂されていない武庫川散歩です。どうも。
ここのところ雑談が多く、「サイバーパンク解脱」の本質について語っていなかったので、話を戻そうと思います。
”このセカイが存在しないかもしれない”という仮説もしくは、そう捉えることも論理的には可能だという話は既に何度かしていると思います。
本当にセカイが存在しているのかしていないのかは、他でもたくさん指摘があるように、実は証明することがほとんど不可能なため、この件についてはこれ以上議論しても無駄です。致し方ない。かたじけない。
そこで、そういうことには本当に無頓着で、解脱のあまりにマジでどうでもいいと思っている私のことなので、「セカイは存在する」と仮に設定してお話を進めてみましょう。
そうです。セカイはみなさんが思っている通り、存在するったらする!
さて、セカイは素粒子とかいう小さな粒ツブから成り立っています、それが組み合わさって原子とか電子とかになり、また組み合わさってたいていの場合「分子」と呼ばれるもう少し大きなユニットとして存在することは既に明らかです。
分子レベルになると、化学物質はかなり大きな構造体になっていて、私たちの身近なものは全て「分子」で出来ていると思って間違いありません。
アミノ酸とか、オレイン酸とか、死んだはずだよお富さんも、全部分子で出来ています。
その分子が組み合わさって、今度は生命に関わる「細胞」を作ります。細胞にはいろんな働きがあって、たとえば脳細胞は、電気信号をやりとりして、私たちの「意識」を作り出したりしています。
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科学の発展によって、今では私たち人間が考えること、成すことのすべては「電気信号の働き」と「化学物質の化学反応」によって成り立っていることがわかっています。
私たちが食べたものが分解され、体中を廻って、動き、肉体を形成し、細胞をコピーさせて、脳神経を動かしている、ということです。
おいしいものを食べて「おいしい」と感じることも、「楽しい」と感じることも、あるいは何かものを考えるのも、ぜーんぶ化学反応に帰着します。
科学者によっては、私たちの行動・意識・感情の原理の全ては「遺伝子が次の世代に情報をコピーさせたいがゆえのもの」と考える人もおり、そうなると、
あの娘が愛しいのも、セックスが気持ちいいのも、全部化学反応
だと考えることもできます。
さて、化学反応、ということは分子の働きです。となると、私たち人間を司っている「意識」や、人がここまで文化を発展させてきたのも、全ては「分子の働き・化学反応の成果」だと捉えても間違いではありません。
さあ、ここから今日の第一の悟りレベルアップです。
みなさんに気付いて欲しいのは、「人間の意識」と「化学反応」の関係です。
これまで、ヒトは動物とは違って、「はっきりとした意識を持ち、モノを考え、豊かな感情を持って万物の霊長としてこの地球に君臨してきた」と考えてきました。
なので、特に動物との比較において、「意識・感情・理念」を持つ我々は上位の存在である。と自然に考えるようになりました。
「どうだ!動物にプリウスが作れるか!iphoneが作れるものか!」
というわけです。
それと同時に、この宇宙を捉えるにあたって、原子があり、分子があり、それが組み合わさった非生命があり、その上にもう少し複雑な生命があり、そして最強のヒトがいる、と考えるようになったことも、ここで押さえておきましょう。
もっとざっくばらんに言えば、「意識を持つ我々は上」で、「意識をもたない単純生命や、非生物は下」だと考えているのが、ヒトだということです。
なので、ヒトはえらくて、その次に類人猿がいて、賢いイルカは殺してはだめで、草は引っこ抜いてもいいし、石ころはべつに蹴っても心が痛まない、というわけです。
こうした状況は、別に問題ないと思います。おそらく石ころは蹴られても痛がらないし、草は引っこ抜かれても嘆きません。
意識と情動の面で、高等生物と下等生物、非生物の捉え方はそれほど間違っていないと思います。
しかし、ヒトはひとつだけ、このあたりから大きな間違いを犯します。
それは、もし神様がいるとした場合、神様は人間よりも上だから我々よりも「強い意識を持っているに違いない」と勝手に誤解したことです。
古代から、ヒトはこのあたりの誤解をしていて、昔のヒトは神様は何か「人格」のようなものを持っていると考えたし、今でも神ということばは使わないとしても
全宇宙の意識がどうたらこうたら
とか、
存在とは意識だ
みたいなわけのわからんことを抜かしてけつかるようになったのです。
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神様でも宇宙でも、セカイでも創造主でもなんでもいいですが、そういうものが「意識」を持っている、と考えるのは勝手な言いがかりです。
今日の悟りはここ!
「神様とか、宇宙には、意識なんて無いかも」
と気付くのがポイントです。
だって、いいですか?
ヒトの意識や情動を動かしているのは電気信号と分子の化学反応なんですよ。ということは、意識とは化学反応に支配されている表面的な現象であって、その本質では化学物質がくっついたり離れたりしているということに過ぎません。それを細胞が感じ取るときに「感情や意識」と認識するだけなんです。
じゃあ、なんで神様やら宇宙やら創造主やらが、「意識」を持っていると言えますか?神様やら宇宙やら創造主は、それよりむしろ
化学反応やら物理の法則そのものを創った張本人
なわけでしょ?
だったら、その神様やら宇宙やら創造主が、物理科学の「結果論」である「意識・情動」に支配されるわけがないでしょう。
だから、神様やら宇宙やら創造主やらは、
何の感情も意識も持たないはずだ
と気付くことができるのです。バババーン!
これが今日の悟りのメインデッシュです。神様に感情はない。宇宙は意識を持たない。
つまり、我々が思い描くような神様や宇宙ではない。めっちゃくちゃドライで、めっちゃくちゃ物理化学的な存在である、ということです。
だから、世界中が悲しみに溢れていようが、神様は何にもしてくれないわけです。いつまでたっても、地球から苦しみが消えないはずです。
だって、神様はそんなことなーんにも感じていないんだから!
神が人間よりも上位の存在で、我々よりも高い意識を持つはずだという妄想が、そうした無意味な願いを発生させているだけで、本当の神やら宇宙やらは、
純然たる物理科学現象
のほうにより近いわけです。
そして、むしろ神やら宇宙やらがスゴイ面があるとすれば、そうした純然たる物理科学現象を
無から生じさせた
ところがスゴイのであって、また
その理論を生み出した
ところがスゴイわけです。もっと言えば、「生み出す必要」なんてなく、最初から最後まで既にそこに
在った・在る
だけでも全然問題ないですよね。
だんだん、話がパンクな方向へスピードアップしているので、今日はこのへんにしておきます。
(この章つづく)
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