2016年10月6日木曜日
自己肯定感を持つにはどうすればいいのか ~幸せな人生送るための方法~
いわゆる先進国における「民主主義」とか「個人主義」の理論的源泉が、キリスト教にあることは、何度かこのブログでもチラチラ書いていますが、このことは実はとっても重要なので、知らなかった人は覚えておきましょう。
簡単にこの理屈を説明すると
「あなたは神様から命をもらったので、誰がなんと言おうと最初から神様からの贈りものなので尊い存在なのですよ」
ということです。これに関連して「才能」のことを英語で「ギフト(贈り物)」と言ったり、めっちゃ天才みたいな子を「ギフテッド」と呼ぶのも同じ理屈ですね。
さて、この理屈で行くと、私たちは神様の被造物であり、神の子なので尊重されるべきであり、また
「生まれながらの権利(人権)やら、政治政策にコミットするだけの理由やら、幸せになるべき義務」
みたいなものが最初から備わっていると考えるのが、民主主義やら個人主義のルーツということになるわけです。
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で、上の説明を読んでから、
自己肯定感と子どもについての話(けっこう毛だらけ猫愛だらけさんのブログ)
http://nenesan0102.hatenablog.com/entry/2016/09/28/054353
を読んでいくと、いろいろ興味深い観点が浮かび上がってくると思います。
(上記記事はニャートさんの紹介で知りました)
まず、一番最初に気付くポイントは
■ 自己肯定感がある、あるいは早い段階で肯定感を持つと、その後の人生においてポジティブに生きられたり、あるいは成功感覚を持って生きられる可能性が高い。
ということでしょう。
それから、記事やらそのネタ元になっているもう一つのポイント
■ 自己肯定感がないということは、親に愛情を注がれずに育った場合が多く、そのためまた自分が子どもを持つ際にも、愛情を持てなくなる可能性がある。
ということも見えてきます。
本来この2つは全く別の問題なので、一緒くたに考えるとごっちゃになってややこしいのですが、この問題を考えるにあたっては、いくつかのバラバラの事象を寄せ集めながら検討してみようと思います。
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さて、学校教育の究極の目的、というのは、意外と知られていないのですが、実は「知識を与える」とか「人間関係を学ばせる」とかではなくて、本筋本論は
”成功体験をさせる”
ということにあります。
勉強すら、この大きな目的の中にある小項目に過ぎない、と言ってもいいくらい、この成功体験というのは大事なことです。
たとえば、小さなドリルを3問とか5問とか解いて、センセイに花丸をもらうという作業がわかりやすいのですが、これは
「やってみる、わかる、とける、できる」
という成功体験をさせる一つの方法論に当たります。
逆上がりができるようになる、とか、みんなで組み体操をするとか、夏休みに工作をさせて完成品を提出させる、とか、すべては
「成功体験」
のためにやっていると言っても過言ではありません。
なぜ、成功体験が重要かといえば、先の話とおんなじで「成功体験の積み重ねが、自己肯定感を後から生じさせる効果的な方法である」ということを教育者は知っているからです。
しかし、余談ですが、成功体験ばかり与えても「失敗」を知らないと、その子どもは天狗になるか、いつかポキンと折れてしまいますので、実は、成功体験の中は
「難易度の高いもの(成功しなくてもOKなもの)」
を混ぜておくことが効果的だったりします。
なので、特に勉強ばっかりやってきて、その分野では「成功を重ねてきた人」がいても、人間関係やら、他の分野で壁にぶち当たるとメンタルになってしまうことが起きるのは、失敗体験をうまく重ねていないからでもあるわけです。
このへんの匙加減が難しいことは、覚えておく必要があるでしょう。
ちなみになぜ成功体験が教育上重要かというと
「困難に出会っても、成功体験のベースがあるから耐えられたり、乗り越えられたりできる」
からです。
「前もできたから、これもやれそうだ。やれる!」
ということが何よりも力を持つのです。
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さて、またこの話を踏まえながら組み立ててゆきますが、
■ 家庭環境に問題があることによって、自己肯定感を育みにくい子どもが存在することはあり得るだろう。
ということが最初の話。けれども、
■ 家庭以外の学校などの場で自己肯定感を育むことは可能で、つまり後から自己肯定感をアップさせることは出来うる。
ということも理解できると思います。
で、ここで気付いてほしいのですが、いっちばん最初の「神様からのギフト」とかキリスト教的な観念との比較において
「神から与えられた(先天的に設定されたもの)としての自己肯定」
という概念がある一方で、実は
「親に刷り込まれたり、学校で学んだりと、後天的に後から自己肯定を生じさせること」
が可能なんだ!という点が、今日の話の一番のミソということになるのです。
まだ、わかりにくいので噛み砕きますね。
神さまが自己肯定に繋がる何かを天界から与えてくれた、という説はたしかに心地よいし、なんか凄そうなのですが、実は神様なんかいなかったり、キリスト教を信じていなかったり、進化論主義者だったりしたら
「天から与えられた自己肯定なんか、そもそも存在しない」
ということに気付かざるを得ません。
だとすれば、自己肯定を生み出す手段は全部
「親がそう言ったからそれを信じた、とか。宗教がそう言ってるからそのつもりになってた、とか。学校の勉強やら部活の試合に勝って身に着けた、とか」
=
”すべて後から形成された感覚である!”
ということになるわけです。
このへんはアドラー心理学にも通じる話で、アドラーは
「トラウマなんか存在せーへんのじゃ!いつまでもグチグチ言い訳しやがって!」
(かなり、意図的に改悪した口調)
と言っている通り、 仮に毒親に何かを刷り込まれたとしても
「幸せなる自己肯定感は、後からいくらでも育むことができる」
という救いに繋がると思うのです。
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さあ、ここからです。
証明したとおり、「自己肯定感とそこから生まれる幸せ」は後からいくらでも育むことができる!ということは確かに朗報ですが、 その手法が、
『たとえば学校教育のネタで説明されたように、成功体験がその秘訣なのだったら、ボクやワタシはこれから成功を積み重ねるなんてたぶんできないだろう』
と、自己否定感の強いメンタルちゃんは、確実に萎える!ことが予想されます。
その成功体験に向かって、「頑張る気力」すら湧いてこないかもしれません。
★たぶん、このあたりが引きこもりやニートを生じさせる原因に繋がるのでしょうね。
しかし、安心してください!
解脱者は何も、「成功体験の積み重ねだけが自己肯定を生む」とは言っていません。
なんとそのヒントは最初に出しているのです!!
もう、わかりましたね?
キリスト教と同じように
「あなたは自己肯定するべき愛される存在である」
ということを、他者が宣言するだけでも、(実際に神様なんていなくても)効果があるということが判明しているのですから、これは
使える!!!
はずではありませんか?
この実例は多々あります。
グレていた不良が、熱心な先生に出会って変化したとか、恋人が誠意を込めて接してくれたことで変わったとか、メンターに出会ったとか、みつをみたいな言葉に衝撃を受けたとか。
「後から自己肯定は育むことができる」
という説明どおりのことが実際に起きているわけです。
ただ、唯一の難点は、
「自分で自分を自己肯定する作業はとても難しく、他者からの援助があったほうが、はるかに即効性があり、効果も高い」
ということでしょうか。
だから引きこもりやニートは、自己解決が難しくなってゆくのです。
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というわけで、武庫川散歩は、この技術を応用して「自己肯定感を育む」プログラムを開発しようと思います。
で、キリスト教の素地のない日本人にもすんなり入るような
「だからあなたはこのセカイで生きている価値がある」
という実のある言葉をみなさんにお届けしようと思っています。
内緒ですが、既に一部では実験的にこの取り組みをやっているのですが、今のところ
「目からうろこが落ちた」
とか
「人生観が変わった」
と、好評を頂いています!
ご興味のある方は、ぜひ武庫川までメールをください。
★ 武庫川経由の方は無料でやりますが、別の名義ではちょっと切り口を変えてビジネスとしてやってますので1000円だけ貰ってます(笑)
1000円で人生観が変わるなら、安いもんでしょ?
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