ふだん解脱者というエキセントリックなラベルを自らに貼り付けて、このセカイのありようについて(わりと)真面目に考えている武庫川散歩ですが、
電通過労死事件の高橋まつりさん (事件概要)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161007-00000116-asahi-soci
のことを思うと、夜も寝られません。
事件の概要は報道でもネットでもずいぶんと言及されているので、ご存知の方も多いと思いますが、24歳の新入社員だった高橋さんが月100時間を越える残業と、会社の上司や同僚からの体育会系圧力に屈して自死なさったというものでした。
この出来事については、武庫川個人としては、24歳という若さで命を絶ってしまった高橋さんが追い詰められていたことを思うと気の毒で仕方ないのと、
解脱者を名乗っている以上、おまえなら高橋さんをなんとかできたのか!
という自問を繰り返さずにはいられないのです。
”もし、解脱者武庫川散歩が彼女の知り合いだったなら、私は彼女を救えただろうか?”
これが、私が私に突きつけている究極の問いなのです。
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この事件を巡っては、いろいろな識者たる人たちが、多角的にすでにコメントを出しておられるし、分析なさっていますが、
■ 電通という会社の特異的な雰囲気を責めるもの
や
■ 労働基準が大企業・中小企業ともに守られていない実態を嘆くもの
や、逆に
■ ”ガンバリズム”や”24時間戦えますか”に耐えられない若者と、バブル時代の武勇伝なおっさんたちの対立
を描くものなどもありました。
そのほかにも
電通「過労自殺」事件に見る労働生産性の低さ(アゴラ・池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/2021985.html
や
「スーパーエリートが過労死する国は子どもたちの夢を砕く」(BLOGOS・田中俊英)
http://blogos.com/article/193547/
などの記事は、日本の会社システムの問題をいかに正すべきか、という視点で描かれています。
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しかし、これらのたくさんの記事をいくら集めてもおそらくは
高橋まつりさんは帰ってこない
し、
今、過酷な労働に苦しんでいる24歳の女子を救うことはできない
でしょう。
私は、たくさんの記事主さんを否定したり、批判したりしているのではなく、それは
「戦争をなくすにはどうしたらいいかとみんなが真剣に考えているんだけれど、今どこかで撃たれているあの娘を助けられていない」
という問題と似ているということを思って、泣いているのです。
良いことか悪いことかわかりませんが、解脱者は悟りを開いてしまったので、このセカイのシステムからは降りてしまっているし、悪い言い方をすれば「逃げてしまっている」とも言えるでしょう。
ですので、これまた良くも悪くも、「社会や会社システムをどうすればいいか」については、識者のみなさんの議論に任さざるを得ないし、このセカイシステムから降りたが故に、
「横からわけわからんこと言ってんじゃねえよ、解脱者(世捨て人)のくせに」
と言われれば、反論の余地はないのです。
なんせセカイは無常だ!とふだんは言ってるわけですから。
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似たようなことがつい最近に2つもあって、一つは、このブログでも紹介したニャートさんがそれこそ「一橋大学を出て、過労で仕事を失った」件と、そこからなんとか復活しようと頑張っておられることについて、私は
(ただ、それしかできないんだけれども)
『私はあなたの味方をする』
と宣言したことを思い出しています。
※ この経緯は
生きづらさを抱えた人たちに、何ができるのか。 〜解脱者、セカイを救う〜
http://satori-awake.blogspot.jp/2016/09/blog-post_19.htmlに書いてあるので、参照あれ。
だとすれば、私は、もし高橋まつりさんの知り合いであれば、全力で味方できただろう、とは思います。しかし、だからと言って
「彼女が、私を含めた誰かに救いを求めてくれたか」
ということは、全くの別問題であって、それは意外と大きなハードルであるに違いないとも考えるのです。
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奇しくも、つい先日「レンタル救世主」というテレビドラマをやっていて、志田未来ちゃん演じる良家の娘(ただし、コンプレックスまみれ)が
「助けてと言いたくてもいえない」
人が実はたくさん存在する、ということをくちゃくちゃの泣き顔で表現していました
※言っておきますが武庫川は「女王の教室」の時から志田未来ちゃんのファンです。解脱してこの世のものに執着はないのですが
志田未来ちゃんのファン
です!
助けてと言いたくてもいえないのは、プライドのせいだといえばそれまでです。しかし、そのプライドには
■ 自分の弱さを認めたくないという感情
もあれば
■ 他人に迷惑をかけなくても自分でなんとかしたいという感情
もあるでしょう。あるいは親御さんに対しては
■ 心配をかけたくないという感情
だってあるに違いありません。
そうしたものが入り混じって、感情がぐるぐる回って、何も言えなくなる瞬間が
誰にだってある
のではないか、そう解脱者は思うのです。
ニャートさんの場合は、記事を読む限りでは「お父さん」が一定の支えになっていたことが伺えます。
父が全能で、100%助けてくれたわけではないでしょうが、父という存在そのものが、ニャートさんの救いの一部分であっただろうことは、記事から想像できます。
(高橋さんの場合は母子家庭であったそうなので、よけいに母親に心労をかけたくないと感じておられたのでしょうか。推測だからあまりここから先は口にしません。)
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さて、もう一つの話が残っていましたね。
実は不肖な解脱者である武庫川の弟子、女子大生さんが、いよいよ就職が決まって来春から社会人になろうというのですが、彼女がこれから働くところが、
「ブラックかどうかはわからないが、たぶん8時から5時の勤務では仕事が終わらない会社」
である可能性が高い、ということがわかっているわけです。もちろん、他にもいろんな要素があるでしょう。
このことをもって「そりゃ、どこの会社でもそんなもんだろう」とか「仮にそこが多少のサービス残業があるとしても、うちだってそうだ」といった議論をしてほしいわけではありません。
それこそ、電通に限らず日本中のたいていの会社がそういう傾向なのだったら、今度の電通の事件をもって日本中が正されるように識者が吼え、監督署が仕事をすればよいのです。
今、師匠である武庫川が問題にしたいのは、愛する弟子である女子大生が、 もし万一、就職先がブラック企業であったり、上司がセクハラ親父であったり、お局がパワハラ女子だったりした時に、
「助けて」
とちゃんと言えるのかどうか、を気にしているということなのです。
私は、弟子に確認したわけではないので、もし本当にそうなったら、親御さんか、恋人か、あるいは最終手段としての師匠である私にかはわかりませんが、彼女が
「助けて」
と言えるかどうかは、実際にはわかりません。
しかし、いよいよ本当に切羽つまったら、彼女はきっと私にレスキューを要請するはずだ、と私は思っています。
なぜか?
その時にこそ、「助けて」と言える、「困っている」と言えるだけの姿勢を(武庫川が)示しておくことが、
「私はあなたの味方をする」
という言葉の真の意味だと思うからです。
※事実、女子大生は、これまで数回、マジで困ったことがあった時には私がそれを「助けられるかどうかは関係なく」連絡をよこしてきました。
そして、武庫川のこれまでの経験上、いろんな人たちに関わってきた経緯においては、彼らはかならず「助けて」を言えたのです。だから、こちらが受け止める体勢を持っていれば、かならず「助けて」は言える、と確信しています。
女子大生には、確信があるのです。
武庫川はかならず、私の味方をしてくれる
という確信が。
大事なのは、実際にちゃんと救えるかどうか、ではありません。
実際に救われる方法は、実は山ほどあるのです。
高橋さんであれば、うつ病になって仕事にいけなくなるという体の反応も起こり得たでしょうし、休職したり、辞めてしまったり、あるいは無断欠勤だってできるし、逆ギレだってできたでしょう。
その救われる方法の細部が問題なのではなく、
「私は、救われる」
という希望があることこそが、救いなのではないでしょうか。
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その意味では、宗教はさすがです。
「私には神がついている」
という思いだけで、そこに救いの希望があるからです。浄土系の佛教でも
「南無阿弥陀仏」
と唱えるだけで救われる、という確信がそこにあります。
しかし、現代の日本では、そこまで確信できるような救いはまだ確立されていません。
それを確立するのが、武庫川の使命なのかもしれませんが、あるいは
現代の駆け込み寺
のようなシステムが、本当は求められているのかもしれません。
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※ 本当は高橋さんだけではないのですが
「そこまで追い詰められないために、このセカイをちゃんと見つめるための軸足」
とか
「お金とか立場とか仕事とかに振り回されないための、本当の軸足」
とか、そういうものを身に着ければ、苦しみが削減されると解脱者は考えています。
今日はそこまで話を深めると論点がずれるので、とりあえずここまで。
軸足についてはまた別の機会に話します。
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