解脱者という仕事柄、俗世のことには人一倍アンテナを張るようにしているのですが、←オイ
久々に「これは好きだなあ」というブログがあったのでご紹介しておきます。
一橋を出てニートになりました
http://nyaaat.hatenablog.com/
ニャートさんという女性の方が書いておられるのですが、内容といいテイストと言い、武庫川とまったくジャンルは違いますが、
私は好き
ですのでお勧め。語り口は武庫川とは(決定的に)違いますが、根底に流れる視点のようなものが好きなのだと思います。
もちろん、この紹介記事は、ネタ元にはまったく連絡せず、あくまでも勝手に紹介していますのであしからず。
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この方がどういう方かがなんとなく伝わってくる記事をチョイスするとすれば
引きこもりが再び働きはじめた朝に
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/hikikomori-neet
かな。
特にお父さんの話のあたりが、いろいろ考えてしまいます。
私も一時期パニック障害(あるいは、境界性かもしれません)の女性と関わったことがありますが、 彼女と父親の関係や、家族をとりまくいろいろに関わる中で、武庫川という存在があることでうまくいった部分もあるだろうし、うまくいかなかった部分もあります。
そういうのを多少思い出したりしました。
”あと、私たち家族を支えてくれる「外からの手」は皆無だった。”
という一節が、心に響きますね。
私は、いつも彼らや彼女たちと関わる時には「外からの手」として関わってきたのですが、私は家族そのものではないので、
どこまでできるのか、できないのか
どこまでしていいのか、してはいけないのか
という物理的な問題にも必ず突き当たるのです。
アドラー風に言えば、最終的にはそれは
「彼ら、彼女たちの問題であって、武庫川の問題ではない」
ので、武庫川が関わったことによる最終決定や判定は、その人たちが行えばいいということになりますが、まあ、人間というのはいろいろな感情があるので、難しいものです。
武庫川的には、なるべくニュートラルでフラットであるように、というキモチはありますが。
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さて、ニャートさんのブログは、全体を通してみると「女性がなぜこの社会で生きづらいのか」ということをデータで分析なさっている感じになっています。
そこで取り上げられている内容については全く同感で、これからの混迷の日本社会においては、いっそう
「女子であることの生きづらさ」
が表に表れてくるのではないか、と思います。
うちにも幼い娘が2人いるので、そういう意味では彼女たちの将来を思うと、考えなくてはいけないことが山ほどあります。
女性の貧困については、こんなブログ記事がありました。
貧困女子がなんぼのもんじゃい ~だって、そもそも女子はみな貧困じゃないか!~
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/04/blog-post_56.html 基本的に、これまでの日本社会で女性の所得が男性を上回ったことはなく、これからもないのですから、結果の平等を実現するには、
「女性に、最初から女性手当てを渡す」
以外にない、という発想です。おもしろかろ?
というわけで、心悩める女子の方は、武庫川のこんな下品でお下劣で気持ち悪いブログ見てないでニャートさんのブログのほうをチェックするほうが良いと思いますよ!
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