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2016年12月9日金曜日

うつ病のメカニズムを解明した! ~鬱病や心の病に至るプロセスを解読する~



 最初にお断りしておきますが、私は医者や医療従事者ではなく、そこらへんにいる一介の解脱者なので、今回のお話は



 医療的側面、よりも臨床的なもの



として語りたいと思います。




 解脱者、武庫川散歩は、その特異な経歴により、これまで多くの「心を痛めた人たち」と接してきたわけですが、それらの人との交流を通じて判明したことがあります。



 それは、医学的にはまだよくわかっていないとされる



うつ病のメカニズムを解明した!!したったら、した!



ということです。



 このブログ的には、これまでうつ病などの心の病は、「正義のゆらぎ」によって生じるのではないか?としてきました。


 ではなぜ


「自分がこうありたいという理想や、こうであるのが良いであろうという考え」

と

「現実の自分が置かれた環境や、状況」


が異なると、心の病を発症してしまうのでしょうか。



 実は、このあたりは、わかったようでいて、わからないものだったのですが、武庫川はその解明に乗り出したのです!!!



~~~~~~~~~~


 医学的には、うつ病などの心の病を発症した状態は、


「セロトニン・ノルアドレナリン・アドレナリン・ドーパミンなどを総称したモノアミン」


が減少して、脳細胞間の神経伝達物質がうまく働かなくなっている、とされています。



 これは、簡単にいえば、「原因は取りあえず横に置いておいて、結果的に神経伝達物質が減っているよ」ということです。



「じゃあ、どうして神経伝達物質が減ってしまうのか」


が原点に立ち返った時の「原因」に当たるのですが、これが医学ではいまいちきちんと解明されておらず



「た、たぶんストレスが原因なんじゃないかな??」


ぐらいのところで終わっているのが現状です。




 結果的に起きている神経伝達物質の不調、という意味では、たとえば躁鬱病では、


「伝達物質が出るとか出ないとかを制御している機構が故障して、ドバッと出たり、チョロっと出たりしている」


という脳機能の故障を原因とする場合もあるでしょう。



 あるいは発達障害や精神的な遅滞のように、


「伝達物質が生成される量がもともと少ないとか、それを出す機構がもともと弱い」


とかもあり得るでしょう。



 しかし、健康で健常だった人が、いろいろな状況でうつ病や鬱状態になってしまうのは、一体なぜなのでしょう?



  武庫川は、解脱者であり、この世の善悪を超越した悪魔のような存在でもあるのでグハハ。


 そこで考え付いたのが、


「じゃあ、どうやれば健康な人間のモノアミンを減少させることができるのか」


という悪魔的思考だったりするのであります。ウヘヘ。




~~~~~~~~~


 ちょっとふざけて書いてしまいましたが、実はこの発想が、うつ病のメカニズムに大きく関わっていると私は考えています。



 神経伝達物質モノアミンの出力量を、人工的に変えてしまう悪魔のような実験があるとしたら、それは、



「報酬系を破壊すること」



に他なりません。報酬系というのは



報酬系 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E9%85%AC%E7%B3%BB



欲求が充たされそうだと思ったり、あるいは充たされた時に快感を覚える脳のシステムのことで、うつ病患者は


「報酬系が、機能していない」


状況が見られることがわかっています。



 もちろん、これを人為的に引き起こそうとすれば、神経伝達に関わる部位を焼ききってしまったり破壊すればいいのですが(・・・・悪魔)、そんな物理的な方法を取らなくても、これを壊すことができるのではないか、と武庫川教授は考えてしまったのであります。





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 その恐怖の実験を再現してみましょう。


 ある動物に、このボタンを押すとエサがもらえるよ、という報酬系の条件づけを行うとします。


 一定期間においては、行動をすることと、エサがもらえるという快感情は、合致しています。


 ところが、その条件付けが成立した後ぐらいから、ボタンを押すと不快な電気ショックが流れ、かつエサが貰えたりもらえなかったりする、というパターンへと装置を切り替えるとします。


 エサが貰えるので、報酬は生じているのですが、同時に苦痛にさいなまれる、という状況を生み出すのです。
 


 この場合、この動物がエサを貰うためにボタンを押す、という作業量はどのように変位するでしょう。



 これは実際に実験をしてみないとわかりませんが、たいていの人に予想がつくのではないでしょうか。


 おそらく、ボタンを押す回数は、徐々に減少してゆくと思われます。



 動物にとっては、


「ごはんを食べるという意欲が減少する」

「ボタンを押すという行動も避けがちになる」

「そもそも、ごはんを食べる量も減る」


という状態になるはずです。


 これは、生きる気力が低下している「うつ病」の症状に似ていませんか?





 ~~~~~~~~~~




 武庫川が妄想している悪魔的実験は、ただの妄想ですが、現実社会の中でこれとおなじ状況に落とされている人たちはたくさんいます。



「給料をもらうためには苦痛を伴う仕事を続けなくてはならない」

「夢や目的を実現させる、というためにハードワークを余儀なくされている」

「こうあるべき、という理想に対して、現実がひどく違う」


という状況は、 エサを貰いつつも電気ショックを与えられている動物のようです。




 報酬とは何か。何をすれば報酬が与えられるのか。という問題は、本来は単純であり、簡単な条件付けであると言えるでしょう。


しかし、


報酬を貰うという行動が果たして快なのかわからない状況


や


報酬と苦痛がアンビバレントな状態で組み合わされる提示



などが多々起きると、 私たちの脳は、意外と早く



報酬系の破壊



を起こしてしまうのではないか、と思います。



  現代社会は複雑怪奇であり、さまざまな立場の人間の思惑に支配されていますから、社会が複雑化すればするほど、



「報酬のありようが、一筋縄ではいかなくなっている」



という現実があります。






~~~~~~~~~~


 もし、上記の実験によって心が壊された動物がいるとすれば、どうすればその動物を救うことができるでしょう。



「もうボタンを押さない」


というところまで行き着いてしまえば、それはエサを食べられませんから自死まで行ってしまうということになります。


 うつ病で、自殺を選択してしまう人は、そこまで完全に報酬系を破壊され、生きるという選択を失っている状態だと言えるわけです。



  ということは、かろうじてボタンを押せる間に、



「ボタンを押しても、電気ショックは流れない」



という状態を確保しなくてはなりません。



 そして再び、「何度押しても、何度確認しても、電気ショックは流れず、エサがちゃんともらえるんだ」というところまで安全を保証してやる必要があるでしょう。



 そうすればこの動物は、再び最初のように、意欲的な行動を取ると推定できます。




 とすれば、電気ショックを与えているのが職場であれば、


「ボタンを押さなくなってしまうまえに、その職場を離れるしかない」


ということになります。



 そして、報酬系を再生させるためには、


「自分が取った行動と、報酬が合致するシステムの上に乗る」


ということが不可欠だとわかるでしょう。




 もちろん、リアルな社会の人間は、「職場」だけでなく、たくさんの要素を「報酬」として定義しながら生きていますので、「仕事の問題」だけを解決すればいいわけではないし、自分が心に描いている


「善なる状態、正義の状態」


はたくさんの領域に広がっているということもあります。



 たとえば、上記の動物実験において、「エサとしてはかなりおいしくはないけれども、食べられるし腹をみたせるもの」が出てくるボタンがどこかに設定されていたら、 どうでしょうか。

 このボタンからは電気ショックが出ないとすれば、


「自分の本来の望みとはちょっと違うし、快い報酬ではないけれど、まあ生きていける」


という行動を取るようになるかもしれません。


 動物は最後まで本来のエサである「電気ショックつきボタン」に挑戦し続けるでしょうか?

 そんなことははない、きっともう一つのボタンを押し始める、となんとなく思いませんか?







~~~~~~~~~~


 以上が、解脱者武庫川散歩が解明した「うつ病」のメカニズムです。


 あなたの報酬系は、今まさに破壊されそうになっているかもしれません。


 そうだとすれば、ボタンを全く押せなくなる前に、他のボタンを探したほうがいいかもしれません。


 
 私は、他のボタンが必ず隠されていることを知っています。



 ぜひ、それを探してみてください。











































2016年10月24日月曜日

宇都宮爆発事件が、現代日本社会に潜む病理の塊である件 ~そして、そのどれもが解決できない難問だという恐ろしさ~




 昨日発生した宇都宮における爆発事件は、その全貌が徐々に明らかになってきていますが、その背景がわかればわかるほど、


「これは現代の日本社会の病理の縮図だな」


と思わずにはいられません。



 そして、そのすべての問題が、今まさに現代日本に突きつけられた課題であり、未だそれらの解決の糸口すら見えていないということが、恐ろしくもあり、哀しくもあり、大変なことだと思うわけです。






 
 ■ 宇都宮爆発事件 何が起きたのか ■


 まずは、事件の概要をおさらいしておきます。まだ発生して日も経っておらず、断片的にしか事件のことを知らない方が多いと思うからです。


 10月23日に、宇都宮市で3箇所の爆発炎上事件が発生しました。


 この日は、宇都宮城址公園でイベント(祭)が行われており、多くの人出がある中での爆発でした。


 1箇所目は、城址公園近くのベンチにおいて、爆発があり人が燃えているという事件。

 2箇所目は、宇都宮市中央のパーキングに止めてあった車が爆発炎上した事件。

 3箇所目は、宇都宮市内の住宅から出火した事件。


 当初は、何が起きたかわからぬまま「テロだ」と感じた人も多いようですが、実際には、これらの3つの事件は一体であり、


 容疑者とされる、72歳の元自衛官、栗原勝敏という人物


が、


 自宅に放火し、車を爆発させ、自分は自爆して死んだ


ということが明らかになってきたわけです。










 ■ 事件に至るまでの経緯 ■


  この連続爆破事件。多くの人が行きかう公共の場所での爆発だったため、巻き添えになった被害者が多数ありました。

 その意味では、容疑者の行った行為は、法のもとにおいては断罪されるべきですが、その背景にとんでもない事態が隠れていることが今日になって明らかになってきたわけです。


栗原敏勝容疑者のブログ
 http://blog.goo.ne.jp/jpkingkoko
 
http://blogs.yahoo.co.jp/bwssf171


栗原敏勝容疑者のtwitter
https://twitter.com/kurihar87229662


栗原敏勝容疑者のyoutube
https://www.youtube.com/channel/UC23z6J7CwFbUDMGiWZ2JDYw



 まず、彼が爆発事件を決行する前に、これらのブログやtwitter、そしてyoutube動画まで使って、あることを主張しようとしていたことは明らかです。


 彼はそうとう過激な内容をわざとブログや動画に挙げて、意図的に


「炎上」



することを狙っていました。


 しかし、それらの主張は、あまり市井の人々に注目されることなく、あるいは批判の対象となった公的機関にも、直接的には相手にされませんでした。



 ネットを用いても、自分の主張が通らないと感じた容疑者は、そのことにも不満を覚え、


「事件を決行するしかない」


と考えるようになったのだと思われます。






 ■ 事件の背景にあったもの ■


  では、彼が主張したかったのは一体なんだったのか。この事件の背景には何があるのか。その動機は?

 すべての答えは、上記のブログや動画にも出てきますが、以下のようなことでした。


 ◇ 自分の娘が精神的な障害を持った

 ◇ 妻が、そのためにカルト宗教にのめり込み、大金を使うようになった

 ◇ 退職金までつぎ込んだので、夫婦喧嘩になるとDVだとされた。

 ◇ 家や車などの財産を差し押さえられた。(裁判で負けた)

 ◇  そうした経緯が不当だとネットで主張しようとしたが、見向きもされなかった。

 ◇ 自暴自棄になり、自爆。



  恐ろしいことですが、ここには現代社会における問題や課題のすべてが塊のように詰め込まれているのです。



① 心の病や精神病の問題と、それらの介護や補助をどうするかという課題。

② カルト宗教や自己啓発などの、トラブルを抱えた人への救いの問題。

③ 夫婦や男女間におけるDVの様相。

④ 裁判において本当に正義の裁定が行われているのかという不審。

⑤ ネットにおける自己顕示や、承認欲求の肥大。

⑥ 自力救済が法的に許されていない件。

⑦  テロという手段。



 ざっと挙げただけでも7つの問題が栗原を取り巻いていました。



 そして、そのたった一つですら、なかなか個人の力ではなんとかできない大変な問題である、ということは、万人にピンとくるところだと思います。





★ 家族や自分が心の病にかかってしまったら、いったいどうすればいいのか。


★ カルトにはまってしまった家族をどうしたらいいのか。あるいは、自分がそうしたものへ引き寄せられるしかない現状だったら、どうすればいいのか。


★ 夫や妻や、彼氏や彼女においてDVや、熟年離婚などの激しい意見の相違がある問題をいかに解決すべきか。


★ 裁判所がわかってくれないとき(あるいは冤罪などについて)どうすれば救われるのか。


★ ネットで誰かに訴えようとしても、誰もがスルーしてしまうという現実。


★ 復讐や自力救済が法的に認められておらず、泣き寝入りするしかないのか。


★ 自分が正義だと思うことを、人々に伝えるにはテロのような暴力しかないのか。




 これらすべてが重く、濃すぎる問題だと言わざるを得ません。







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 私は栗原という容疑者がもし犯人であったとしたら、彼の行為は法のもとでは許されざるものだと断罪します。


 しかし、もし、上記のような現代社会の病理や問題に自分が巻き込まれたり、その渦中にあったとしたら、



 それに対して有効な解決手段や、本当に助けとなるものがいない



という現実に絶望せざるを得ないことは理解できます。








 論点としては、「絶望したから自爆していいのか」という話が出るでしょうが、それはきっぱり間違いだと私は主張します。


 あるいは先日の電通女子のように「絶望したら自殺しかないのか」という話になったとしても、それは哀しすぎる、と私は主張するでしょう。









 しかし、このブログを読んでいるあなたも、薄々は気付いているはずです。



「もしおなじ目に自分がなったら、そこには絶望しかないだろう」



という恐ろしい予感に。






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 私、武庫川散歩が、「解脱者」というスタンスを取りながら、ささやかながらこのブログでやっていることは、


「こうした事件が少しでも減ることを望んで」


の行動だと自分では思っています。



 心の病には、できるだけ寄り添い、


 カルト宗教ではなく、本当の信仰心とは何なのかをできるだけ平易に明らかにして、


 自己の主張や正義がほんとうに正しいのかを問い直すヒントを提示し、


 自己顕示欲や承認欲求とのふさわしい付き合い方を提案し、


 (裁判関係については、別の名義でやっているのでここでは書きません)


 そして、テロルでは解決しないことを示す



ということを、このブログでは最初からやってますが、 まだまだ人のためにはなっていないようで涙を流すだけです。



 









 

2016年9月19日月曜日

生きづらさを抱えた人たちに、何ができるのか。 〜解脱者、セカイを救う〜



 先日より、ずっと気になっているニャートさんのブログが、ちょっとした議論を巻き起こしているらしいので、まずはそこから紹介しておく。




 生きづらい人々の受け皿がプロブロガーしかない問題(BLOGOS)
 http://blogos.com/article/191004/?p=1




 この記事は、簡単に言えば大学を卒業して会社に就職して、多くの人はそのまま会社員人生をまっとうするのだが、そこから逸脱した人間に対しては、セーフティネットややりなおしが効かないので、「ちょっと怪しい(情報商材的)プロブロガー」に引き寄せられてしまう、というものであった。



 ところがこの記事のBOLOGOSコメントを見ると、「転職を繰り替えす人生を送っていて、成功している人もいる」とか、「さすがに、(怪しい)プロブロガーしかない、っちゅうことはないぞ」といったツッコミも多く見られるわけで、心やさしい武庫川としては


 そうしたある意味正論でもある厳しいコメントを受けて、ニャートさんが落ち込んだりしないかが、ちょっと心配になったりする。







 大上段に宣言しておくが、解脱者武庫川散歩は、女性にはやさしいのだ。(むろん、男性には厳しい)





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 もちろん、ニャートさんの論調が「ブロガー」に偏っているのは、その話の元ネタが、



 4か月で大学を中退し起業します。
 http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000



というI君という男子のブログ記事であるからであって、さすがに「会社員以外の選択肢がブロガーしかない」ということではないだろう。


 ちなみに、私は男子には厳しいので、前回セカイネタでお話したように、「イス取りゲームから脱落してくれる相手」がいることは、



 たいへんに望ましい



ことであると考える。むしろ、多くの男子の本音は、そこにあるとおもわれ。







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  ここで、武庫川の身の上話をするとすれば、武庫川は転職もしているし、病気にもなったし、無職だった時期もたぶんあるし、今はかろうじて職を得て世をしのぶ仮の姿で生きているのだが、


 大型免許を持っている



ので、ブロガー以外にも、口に糊することはできそうだし、



旧情報処理技術者資格のはしくれも持っている


ので、コンピュータの世界に造詣がないわけでもない。


 要するに、コメントを寄せている多くの方と同じように、「ブロガー以外にも生きていく方法はたくさんある」ということはわかっているのだが、それは本質論から離れていくのでここでは一旦脇に置いておきたい。





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 ニャートさんがこの記事で言いたいことは、おそらくは以下のようなことだと思う。



■ 社会の一定のレールに乗れない、あるいは降りた人たちが、ヒッピーや、新興宗教や、自己啓発セミナーやマルチ商法にのめり込んだりして、「新しい生き方を模索する」手段があったが、新時代にはブロガーという方法が出てきた。


■ その中には、「心の病」などで、降りざるを得なかった人たちがいて、彼らがある種搾取されてしまうのは、問題だと感じる。


■ しかし、自分も人の子であるから、そうした弱みに希望を見せられたら、ひっかかってしまうかもしれない。


■ ああ、弱った人たちが守られる社会であったらなあ。



・・・・こういう単純な願いであろうと思うのである。



 そして彼女がいうには、「そうなってしまった人たちが、罠に搦めとられずに、なんとかしのいで、できれば復活してゆくための方法(ライフハック)や、援助のシステムを生み出せないものか」ということなのである。



 この考えには、解脱者も全面的に賛成する。



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 何度かこのブログに書いているが、諸事情で武庫川はメンタルに問題を抱えた人たちに、結果的に手を差し伸べた経験が何度もあり、うまくいったものもあれば、うまくいかなかったものもある。


 なぜそういう役回りなのかは、世の忍ぶ仮の姿での昔の仕事やら、悟りを開く前の某JWの信仰やら、いろいろな事情が複雑に絡み合っているのだが、それは、私のことを知っている人にはきちんと説明しているので、ここで書かなくてもよい。



  彼らの中には、情緒に問題がある者もいたし、レイプされた女子もいたし、望まぬ妊娠に悩んだものや、おそらくボーダー(境界例)の可能性があるものや、パニック障害を患う者もいた。




 そうした生きづらさを抱えた人たちを最終的に、救うとまではいかないまでも、ある程度社会復帰をできるように支援するモノとは何であったかをずっと思い出しているのだが、そこには2つの重大なポイントがあると感じる。




ひとつめは、なんと言っても「経済力」だ。



 いくら偉そうなことを言っても、ご飯が食べられなくてはいかんともしがたい。だから、武庫川が支援したアホな女子の中には、「風俗で働こう」とか、「男のところへ転がり込む」的な発想になってしまった者もいる。


 とにかく、ある程度の現金は必要なので、武庫川は金銭的援助をしたことだってある。


 ニャートさんが、「プロブロガー」にふらふらと吸い寄せられそうになるのは、「そこに稼ぐ力」があることに、気づいているからである。


 そしてできれば、親御さんの力を借りられれば、それに越したことはない。






 しかし、ふたつめのほうが重要だったりする。それは「愛」である。


 ああ!まるでキリストの説く隣人愛のようになってしまったが、支援者から見れば、「何としても力になろう」という意志であり、支援されるものから見れば


「ああ、わたしは一人ではない。わたしには味方がいる」


という確信以外の何者でもない。



 この「味方がいる」という確信ほど、力の源泉になるものはない、と解脱者は思っている。



 しかし、この世知辛い世の中のこと、ふつうに考えれば「何の見返りもなく味方になることや、なってくれること」というのは意外に難しい。


 先に支援が「失敗した」話もしたが、味方をするということは、時には「本人が拒絶をしても、応援できるか」という問題を孕む。


(このことは、性善説の人にはよくわからないかもしれないが、メンタル系の方を相手にしているとかなりの頻度で生じる。彼らは多々、支援者を非難し、良いと思われる方向と真逆の方向に進もうとするのである)


 これを支援者が乗り越えるには、キリストのような愛の精神を持っていないとできないのだ。





==========



 ニャートさんは、「生きづらさを抱えた人」がその後の人生を送るための「ライフハック」や「システム」に興味がある、という。


 解脱者武庫川は、それより本質的な「そもそも、心が壊れないための、軸足」のようなものを伝えてゆこうと思っている。



 わたしは、「あなたの心を壊さない」という大きなテーマに挑戦しようというわけだ。


 それが、宗教的に言えば「悟り」であるし、宗教色を排しても、充分に成立する「生き方・生き様そのもの」であると考える。



 だから、まずは宣言しておく。



 『ニャートさん、セカイがあなたの敵となっても、私はあなたの味方をする。だから、落ち着いて、穏やかに、あなたのやりたいと思ったことにチャレンジしてください』


と。














2016年7月20日水曜日

うつ病に薬は効くのか。

 ようやく2016年の梅雨も明けたようなのですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?


 どうやら今年は、ラニーニャ現象が起きるというもっぱらの噂なんですが、ラニーニャというのはスペイン語で


 女子


という意味だそうです。 ちなみに、エルニーニョは男子。


 助手席に乗せるなら、ラニーニャもしくはマリコと決めている武庫川ですが、マリコというのはスペイン語でおかまの意味だそうです。


 スペイン語で”加賀まりこ”と発言するとたいへんなことになるそうなので、知りたい人はググッてください。




 さて、そんなこんなで今日は「うつ病」とか「心の病」に対して、


 病院や薬に頼るのはどうなの?


という疑問・質問にお答えしましょう。



 この「心の病と医療」については、両極端な意見が世間にも溢れています。


 たとえば、ひとつめの意見は


「うつ病ということばを流行させたのも製薬会社の陰謀みたいなもので、ただ投薬を続けていても、あまり意味はない」


みたいな言説、よく聞きますね。


 反対に


「うつ病は心の風邪のようなものなので、誰でも罹患する可能性があるし、ただ状況を我慢するだけでなく、早く専門医の治療を受けた方がいい」


という言説もよく聞きます。



 また、単に「うつ病」だけでなく「仮面うつ病」やら「新型うつ病」やら、「メンヘラ」やら、「心の病」やら「ボダ」やら、「双極性」やら、いろんな障害や症状があって、



 それぞれに適した治療や薬や、いろいろな対処法



があるので、さらによくわからないことになっています。



~~~~~~~~~~


 そもそも、心の病というのは、その症状も課題も人それぞれで、ましてや、それを引き起こした本人の特性や環境も一定ではないので、 単純に


「これが正しいですよ」


ということは言えません。


 しかし、これまでメンタルに問題を抱えた人たちのいろいろな課題にまきこまれ、取り組んできた武庫川としては、ひとつだけ断言できる事実があります。



 それは



「いくら病気の治療を受け、投薬を受けても、あなたを取り巻く環境や、そうした心の病を引き起こした原因は解決しない」



ということです。





 治療や薬は、あなたの病気としての体のトラブルに対して有効ですが、


 あなたの会社の人間関係を解決したり、

 あなたの経済問題を解決したり、

 あなたに恋人を作ってくれたり、

 あなたの家族や親族との関係を改善してくれたり


は、しません。



 なので、究極的には、そうした「あなたの外側の問題に対して、何がしかの解決策を模索しない限り、心の病を治しても、また元の状態に戻るだけ」である、ということも、忘れてはならないのです。



 
 お医者さんは、心身の健康についてのスペシャリストではあっても、あなたの家族の人間関係のスペシャリストではないし、あなたの給料を保証してくれるわけでもありません。

 あなたの別れた彼氏をこちらに振り向かせることもできないのです。



 ですから、心の病についての治療や薬は、


「対処療法、あるいは、とりいそぎの心身の不調に対して有効である」


と言えることは確実ですが、多くの人は、そこから



「環境が変化しない。状況が変わらない」


という深みに入ってゆくことになるわけです。




 ~~~~~~~~~~


 心理学的には、こうした周囲との軋轢の解決法がいくつかあって、それは単純にまとめると



「周囲を強制的に変える」


か


「あんたが強制的に変わる」


かの二つしかありません。


 周囲を変える方法は、これまでその人とまわりに生じていた人間関係や受け答えの回答を「以前と同じ行動を取らない」という形で実現します。


 自分が変わる方法は、「自分の受けとめ方そのものを変える」という認知的方法です。




 周囲を変える方法は、「患者とともに、解決をめざしたい!と共通の目的を持っている家族や近しい人」に対しては、両者が同時にカウンセリングを受けることである程度実現できますが、会社の環境とか、経済的問題などについては、手助けできる部分が限られています。


 自分の考え方を変える方法は、ある意味楽ですが、自分自身が変わらねばならない、という強烈な葛藤を伴います。



 このあたりは、心理学の専門家に相談したほうがよいでしょう。






 あ、ちなみに


「精神科の医者は心理学の専門家ではない」


「心療内科の医者と、精神科の医者の専門領域は違う」


「心理学者は文学部卒業で、精神科・心療内科医は医学部卒業、それくらい領域が離れている」


ということを覚えておくのは、大事です。



たいていの人は、この3者をいっしょくたに誤解していますので。














2016年4月14日木曜日

心の病は一発で解消できる! うつ病もメンヘラもカンタンに治る魔法のアイテムとは。

 どうも。皆さんの心のスキマをお埋めする武庫川散歩です。ドーン!!


ちなみに、一昨日 「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造の声をやっていた大平透さんが亡くなったそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。




 さて、本日は


 心の病もうつ病もメンヘラもカンタンに治る


という触れ込みでタイトルをつけましたが、 本当にそんなことがあるのでしょうか?


 ワタクシ武庫川の場合は、解脱しておりますから、心の病もうつ病もメンヘラも、もはや無関係です。


 悟りを開けば、そうした俗世の迷いごとからはすっかりさっぽりもっこり解放されるわけですが、誰もが悟りをいますぐ開けるわけではないので、困ったものです。



 もちろん、心の病を引き起こす原因は、精神的なもの以外に、


「物理的な原因で起きるもの(体の不調そのものが引き起こすもの)」

や

「栄養素などに起因するもの」

 などもありますから、ここでは、話をわかりやすくするために


「精神的な認知のありようやストレスによって引き起こされる心の病など」


に一旦絞ってお話をしようと思います。



 いわゆる精神的ストレスの根本原因は、何度かこのブログでも触れていますが、単純化すれば


「正義のゆらぎ」


に他なりません。この場合の正義とは、世間において正しいこととか常識的な正義ではなく、


「あなたが良い、正しいと思っている状態や理想的な状態」


のことを指します。


「あなたが良い、正しいと思っている状態と現実の時分を取り巻く現象が合致していないときに、あなたの正義はゆらいで、精神的な変調をきたす」


わけです。



 この話は繰り返しになりますが、


「友達がいるほうが良い状態だろうと認識しているのに、そうではない現状」とか

「楽しく仕事ができる環境が理想だと思われるのに、怒鳴られてばかりの環境」とか

「高い能力を持っているほうが望ましいと考えているのに、アホでどうしようもない自分」とか

「恋人や家族がいるほうが幸せだろうなと思うのに、孤独なわたし」とか


 設定上のあなたの「正義」に対して現実が「そうではない」とリアルな事実を突きつけてくると、あなたの心は折れてゆくわけです。




 これがたとえば、


「ものすごく嗅覚が発達していて、人間全員動物臭を感じてしまうからむしろ一人にしてくれな人」とか

「ものすごいマゾで、先輩の女性社員に怒られるたびにおしっこチビっている妄想男子」とか

「アホのさ○た」とか

「リアルドールと生活をともにしたいマニア」とか


だったら、 上記とまったくおなじ環境におかれても「彼の正義」は全然ゆらがないので、まったくもって幸せに生きることができるわけです。



~~~~~~~~~~


 まあ、でもこの記事を読んでいるあなたは、そこまで変態ではないと思うので、なんとかして自分の課題や問題点を克服して、理想の正義に自分を近づけたほうがいいのではないか?なんて考えちゃったりしちゃうわけですね。



 でもまあ、はっきり言っておきますが、それはどだい無理です。



 友達がいないのに友達は向こうから勝手にやってきてはくれません。もしあなたをめがけて友達がやってくるとしたら、それはカルト宗教の勧誘か、おそらく何かを売りつけようとしているに違いありません。


 あなたの上司はこれまで毎日怒鳴っているのに、どうして明日から彼が怒鳴らないわけがありますか?あさっても来週も来月も怒鳴っているに違いないのです。


 アホのさか○さんに、「努力して、宇治原さんになれ」というのは酷です。それは拷問のような仕打ちです。


 まともな妙齢の男女ですら恋人がおらず、合コンにいそしんでいるというのに、合コンもセッティングできないあなたに恋人ができるわけがないでしょう。





~~~~~~~~~~


 ちがうちがう!みんな方向性を根本から間違っているのです!!!



 あなたは、あなたを取り巻く諸問題を解決したら、自分は幸せになれると考えています。それは大きな間違いです。


 そんなものはひとつ解決しても、別の問題が出てくるのです。

 仮に恋人ができても、デート中にスマホばっかりいじって自分を見てくれないと嘆くのは目に見えています。

 結婚しても子供ができないとか、姑にいじめられるとか、次々難問は押し寄せます。



 だ・か・ら


 
 自分をとりまく正義のゆらぎに対して、自分やまわりを正義の方向に修正しようとするのは無駄ですからやめたほうがいいのです。





 では、どうしたら幸せになれるのか。心の病を解消することができるのでしょうか?



 仏教的な考え方をすれば、「そうした悩みの種になるものを全部捨てちゃいな!」ということになります。


「正義という設定や、こうありたいこうあるべきという欲望を捨てろ」


というわけです。

 

 でも、それがカンタンにできるなら、この世は全員解脱者ばかりで、なーんにも欲望がないふわふわした人たちで満たされているはずです。でも、現実は違うし、誰もその境地に到達することができないから困っているのです。




  そこで、究極の秘法をあなたに授けましょう!というわけです。




 どんなに弱い人間でも、どんなにしょーもない人間でも、心の病を一発で治すことができる魔法のアイテム、それは



「優越感」



です。それが一番早い即効性のあるアイテムなのです。



 優越感は、一見すると「何か、持ってはいけない悪いもの」のように思えるかもしれませんが、実はそんなことはありません。


 病気の人を見て、「ああ、自分はまだ幸せだ」とか、戦争のニュースをみて「平和は大事だ」とか、そういう「下を見て生きる」ことで、人は



「現状の自分が、まだマシである」という意味において「足ることを知る」


ことができるのです。


 だから、ここは大いに活用して、まずは下を見て生きてみましょう。話はそれからです。



 しかし、何も

「ああ、仕事場はひどいけれど奴隷でコロッセオにほり込まれるよりはマシだ」とか

「恋人はいないけれど、性器を切除されたわけじゃないので、自分でまだ楽しめる」とか

「アホだけど認知症じゃなくて良かった」とか

「漫画という友達がいるじゃないか」とか


そこまで卑屈になれと言っているわけではありません。



 ちがう!それも大きく違います!



  魔法のアイテム、優越感には、もうちょっと有効な使い方があるのです。



 たとえば、いろいろ満たされないけれど、「わたしには可愛い絵が描けるから、それでなんとか自分を保てる」とか、「youtubeで歌をアップしていて、10万回再生された」とか、そんなしょーもないと自分でもわかっていることだけでも、そのちょっとした優越感はあなたを支えてくれるのです。


  それを、素直に大事にしましょう。鼻でリコーダーが吹ける特技だってかまいません。

 あなたがちょっとした優越感、そして「自分だけができる小さな喜び」を持っていることが、あなたを幸せへと導くのです。





 話は飛ぶように感じるかもしれませんが、宗教というのはこの「優越感」を極限までシンプルにつきつめて、信者をとりこにします。


  どういうことか。


「わたしだけが、あるいはわたしたちだけが、真実の神を崇拝している。だからわたしたちだけが、現世もしくは来世で救われるんだ」


という優越感こそが、宗教の本質です。



  だから、自爆テロだって行えるのです。彼らは「この世を儚んで自殺をしている」わけではありません。


 「自分は、この世の誰よりも神のために命を投げ打っている」


という優越感と自尊心が、自爆を恐れさせないのです。





 そんな行為を、他人は「しょーもないことだ」と言うかもしれません。それは、あなたの小さな優越感が、他者からみれば「しょーもないこと」なのと同じです。


 でも、あなた自身は、その小さな優越感をうまく活用して、幸せになればいいのです。



 このアイテムは、ほんとうにしょーもないけれど、大きな力を秘めているのですから。






 ちなみに、解脱者武庫川は、


「このセカイのすべてを、全部知ってるもんね!理解しちゃったもんね!悟っちゃったもんね!」


という超しょーもない優越感によって、満たされています。



 しあわせなんだからねっ。



2016年2月25日木曜日

精神科医が心を病んだら、どうしたらいいのか ~鬱屈精神科医、占いにすがる~

 また、すっごい本が世の中にはあるんだな、と解脱者の私でもびっくりしたこんな本が出てるらしいです。





『鬱屈精神化医、占いにすがる』 春日武彦 (太田出版)


BookBangさんの記事
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160222-00010003-bookbang-soci&pos=4


書評(読書メーター)
http://bookmeter.com/b/4778314956





 えーっと、カンタンに言えば、精神科医が心の病にかかったらどうするのか、というある種究極の問題に直面した精神科医が、その救済を求めて


「占い師のもとをさまよい歩く」


という話だそうです。



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 解脱者のワタクシから申すことがあるとすれば、



その1  精神科医だろうがなんだろうが、心の病にかかることはあるだろう


ということは認めることができます。精神科医の場合は、その場合に自分がどうなっているかを判断するものさしが、他者よりも正確でたくさんある、というくらいで病気にかからないわけではない、ということです。



 これは、たとえば、解脱者の足を踏んづけたら、痛くないか?という問題と同じで、


イタイにきまっとるやろ!!!!!


と言わざるを得ないのとおんなじです。


 解脱者は、無味無臭でなんにも感じないゾンビになるわけではありません。この世界の成り立ちと自己のありようについて、ナチュラルでフラットな見解を持ち、その意識を抱いていますが、


「痛点を失ったわけではない」


のですから痛いです。ただ、


「てめえ!なにすんだこのやろう!ぶっ殺すぞ!」


とは、相手に対して思わないだけです。寛平ちゃんみたいに


いたいーの!


とは思いますが。



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その2  心の病を解決する方策は、認知の気付きである。


 精神科医のおっさんは、結局占い師たちとの対話を通じて、自己分析を進めるわけですが、最終的には、「自分のわだかまりの根幹はおかん(母)にある」ということに気付きます。


 ああ、そうかそういうことに自分はこだわっていたのか!


という発見が、心の病をずいぶん軽くすることができるわけですが、こういう発見や認知は、病における一種の


「悟り」


と同じだと言えるでしょう。



 さて、ここで精神科医のおっさんがやっている作業は、実は占いというツールをかませてはいるものの、カンタンに言えば、わたしが以前のブログで説明した、

http://satori-awake.blogspot.jp/2016/02/blog-post.html


遺伝的要素や構成要素を拾い出す作業と同じです。


 占いのプロセスに乗っかっているので、それは人生相談や悩み相談の体をとってはいますが、やっていることは自分ひとりでもできるプロセスなのです。(ただし、助けがあると気付きは早かったりしますよね)




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その3  占いは象徴的なツールにすぎず、解決の糸口は発見する自分の力にある。



 占いというのは、霊的な力であなたしかしらない事実を当てることのように思われがちですが、実はそうではありません。


 多くの占い師がやっているのは、その占いの理論(易学なのか星占いなのかタロットなのかというジャンル)に基づいて、偶然と必然が入り混じったデータの中から、「何がしかの関連づけられた答えを示す」という作業にすぎません。


 たとえば、姓名判断だと、画数によって「好運か不運か」は決まり、それが相手の持つ偶然の名前と組み合わさって答えが導かれるわけであり、易学やカードでは、偶然によって導きだされたカードや算木に紐付けられた答えを提示する、という作業を行っているだけです。


 よって、それがあなたにとって当たっていたり外れていたり、人生の指針となるかどうかは、


「あなたの認知と有機的に結び付けられるかどうか」


にかかっているわけです。


 たとえば、ある占いによって「商売の運が良い」状態にあったとしても、あなたが商売なんて全然思いもよらず思い付きもせず、人生においてまったく意識もしていなければ、その占いの結果はあってもなくても同じです。


 その時、あなたが商売について「意識していたり、迷っていたり、それについて認識し認知している状態であってはじめて占いの結果は発動する」のです。



 つまり、占いに頼らなくとも、解決の根本的な意識やヒントはあなた自身も持っていて、それが占いの結果によって浮かび上がってくるのであれば、それは、

「本をパラパラめくっているうちに、ヒントになる言葉に出会う」


とか


「風呂に入っていて、糸口を思いつく」


とか、そういう「ユーレカ!」な気付きにも似ているということなのです。


(ということは、これもまた解脱の一種ですね)



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 ということは、精神科医のおっさんにとって必要だったのは、「占い」ではなかったということです。


 むしろ、それは占いに象徴されるような、


「自己分析をシステマチックに行うための一連の動作や手順、そしてできればちょっとしたそのサポート」

だったということになるわけです。


 もちろん、本人は心の病なので、自分ひとりでその作業をやっても解決できず、ただ悶々とすることにはなるでしょう。



 なので、占い師という作業のサポーターが介在することには大変意味があります。



 これは、「薬物中毒患者が立ち直るためにサポートするのが、医者がいいのかダルクの仲間が合うのか、いっぺん警察のお世話にならないとガツンとこないのか」という問題と似ています。


 しかし、1人きりでは、やっぱり薬物におぼれて、迷いを断ち切ることは難しいのです。




 仏教における修行というのは、解脱や悟り、気付きに至る方法論を、基本1人でやろうとするシステマチックなものなので、精神科医のおっさんにはぜひ占い師ではなく、


ストイックに仏道修行


なんぞをやってほしかったのですが、まあこのあたりはお好みです。



 しかし、本来はそうした迷いや悩みを解決する手法を精神科医は持っていると思いがちですが、そうではないのですね(苦笑)