2016年2月17日水曜日

となりのヤングジャンプ 「悟りパパ」 が面白い



私が解脱者をしていることを知ってか知らずか、あるところから


 となりのヤングジャンプに掲載されている「悟りパパ」が面白いよ


ということをご紹介いただきまして、さっそく読んでみました。



(画像はとなりのヤングジャンプさんからの引用です)



 となりのヤングジャンプ 「悟りパパ」




 えーっと、どんな話かといえば、つまり、


パパが悟りを開いて仏様


になってます。初回から(笑)


 
 パパには奥さんも梵くんというお子さんもいて、基本的には梵くんとパパのちょっとほほえましいお話が続くわけです。



 全体的によくできていて、いわゆる普通の人に理解し易い「煩悩像」とか、「悟り観」をわかりやすくまとめているので、誰もが楽しく読むことができる良書だと思います。


 一話一話もコンパクトですぐ読めますよ。


 


 話はもちろんフィクションなので、ほのぼの読んでいただければ良いのですが、ひとつだけポイントがあって、悟りパパはなんかよくわからんけど


「ピカー!」


という行為を衆生の方々に施すことができて、どうやらそれをやられると、一定期間はふつうの人でも


なんか悟ったような気になれる


のだそうです。


 まあ、一般的な理解としてはそうなんだろうな、と。悟りを得るとなんか超絶パワーのようなものを得たり、神通力を持ったり、あるいは


なんだか気持ちよくなったり


すると思われがちですが、かっとばせキヨハラくんではないので、残念ながら悟りをひらいても



カメハメ波もドドン波も出せないし、光ったり、気持ちよくなったりしたりはしません。



そこ重要です。



 ああ、出家剃髪すると、体の一部が斎藤さん・ペになるので、光ることは光ります。


 あの程度の鈍い輝きでよければ。斎藤さんだぞ!





 まあ、それは別として漫画の梵くんはとても可愛らしくて、また解脱者のこどもとしては良き息子として育ちそうなので、うちでも実践してみることにしましょう。





 うちの息子は、何故だか輪廻転生を信じており、人には魂というものが宿ると考えているようで、早くベルトと眼魂(アイコン)を買えとうるさいので、喝破しなくてはなりません。


 で、君はどんな魂に興味があるのかと尋ねると、「ビリー・ザ・キッド」の魂にとても関心があるそうで、



 また、そこらへんで売ってないやつを希望しやがって!



と、まるで曹洞禅のような難題を出してきやがります。



 え?なんの話をしているのかって?霊魂ですよ、霊魂。



 仮ライダーゴースト



の話をしてるんです。バッチリみな!  ・・・おあとがよろしいようで。









2016年2月5日金曜日

【勝手に人生相談 その8】 人生をやり直したいのですが、どうすればいいですか? 

 まいどお馴染み「勝手に人生相談」のお時間がやって参りました。


 このコーナーは、誰にも頼まれていないのに、ワタクシ武庫川散歩が、独断と偏見に満ちた「勝手な人生相談を、勝手に答える」という、トンデモないシリーズなのですが、きっと好評だと思うので、これまた勝手に継続しております。


  ちなみに、2016年になって、この「勝手に人生相談シリーズに、相談を寄せたい」ときっと思っている方が増えてます。


 たとえば、ベッキーさんとか、昨日あたりは清原さんも、そう思っているのではないでしょうか?


 ええ、もちろん、どこのベッキーさんか、あるいはどこの清原さんかは知りません。芸能関係かどうかも定かではないかもしれませんね(笑)



 さて、彼らに共通した、人生相談の内容はもちろん、



「人生をやり直したいのですが、どうしたらいいですか?」



というものです。



 何をやっちまったかは知りませんが、やっちまったものは仕方がありませんし、その過去をなかったことにはできません。


 しかし、人間というものは、死なない限り、やり直すことはできるものです。



 そのためには、どうしたらいいのか。


 あるいは、人生をやり直す秘策というのは、どんなものか。



について、今日はお話してみようと思います。





 まず、もっとも大事なことは、何かをやっちまう以前のあなたと、やり直し・改められようとする人生の後半について



「軸足となるものがあるかどうか」


は大きな転換点となりますので、このことをよく覚えておきましょう。



 たとえば、相談者が野球選手だったとしましょう。野球選手の場合は、人生の前半は、「野球」が軸足です。しかし、選手をやめてからの後半は「野球」から軸足をはずしてしまうと


何にもない、空虚な生活


が待っていることになります。


 恋愛においては、異性そのものが軸足となる場合があります。



「あなたに出会うまえのあたし」と「あなたに出会ってからのあたし」


は大きく違うので、不倫に走ったりもしてしまうものなのです。



 これらのポイントは、仮にそうした軸足がなければ、「ただ、だらだらと過ごすのみで、別段大きな人生の転機にぶちあたることがない」わけですが、なまじっか


「軸足」


となるものに遭遇してしまったり、それに夢中になってしまったが故に、トラブルを起こすことだってあるわけです。



 とすれば、人生を変革するヒントは、まさにそこにある!と言えますよね。


 公式にしてしまいましょう。


公式1)

 人生に軸足がなかった人間が軸足を見つけると、その後の人生は大きく変わる。



公式2)

 人生の軸足を失うと、その後の人生は大きく変わる。



 この二つの公式は、忘れてはいけません。





 さて、ここからです。


 どうやら、軸足のない人間がそのまま過ごすのはOKのようです。ただ、だらだらとした人生が続くだけだからです。


 しかし、軸足を持っていた人間がそれを失ったり、軸足を見つけてしまったりすると人生が大きく変わるわけですから、


「人生においては、変革期に新たな軸足を見つけなくてはならない」


ということでもある、ということがわかってきます。


 つまり、キヨハラという人にとっては、スポーツではない新たな軸足や立ち位置、居場所が必要だったわけです。


 あるいは、ベッキーが新たな人生を立ち上げるためには、「新たな異性」が必要になりそうだ、というわけです(笑)





 しかし、それらの軸足は、どこかからか勝手にやってきたり、誰かが与えてくれたりはしません。人生の後半ともなるとさらにそうです。

 子供の時は、習い事や好きなスポーツなどもあるでしょうが、人生の後半になって趣味を見つけるのは大変だったりします。


 あるいは、子供の時は、四六時中片思いでも恋愛できましたが、人生の後半になって恋愛もなかなかできるものではありません。



 ということは、それらは自分で探しにいかなくてはいけない、ということなのです。



  まあ、別に趣味や異性の話ならまだかわいいものなのですが、人生の軸足となるものを自ら探せと言われても、なかなか思いつきもしません。それが普通です。




 そんな時には、とてもいい方法があります。


 人生の軸足を探したい時、あなたの人生に迷ったとき、そんな時に確実に効果があるのは、


「あなたは何者なのかを確認する。再確認する」


という方法です。


 これには、2つのテクニックがあります。



 <1> あなたを構成する要素を書き出してみる。

  あなたが今までに受けてきた教育内容(習い事や、技術や、大学の学部や、もっている免許や、そういうもの)をすべて思いつくままに書き出してゆきましょう。

 そこに、あなたが好きなものや、こういうものをよく買ったりする、という傾向に当たるものも書き出してゆきます。

 食べ物、道楽、乗ってきた車など、あなたの経験を構成したものも書き出しましょう。

  付き合った異性の名前もよいでしょう。住んだ街の名前もよいです。とにかく、あなたが経験として得てきたものを単語で並べてゆくのです。

 つるんでいる友達もそう、よく行く店もそう。こだわっているブランドでもいいし、あなたに関わりそうな要素は、つぎつぎ挙げてゆきましょう。


  こうして書き出されたノートの内容は、基本的に他の誰とも「かぶらない」あなた自身の構成要素です。

  
 そして、ここからズバリ言いますが、あなたの軸足は、その書かれたものの中にしかありません。 


 新しい人生のポイントとなるものは、その中にあります。いや、これからそんな軸足に出会う可能性もなきにしもあらずですが、少なくとも今日、この時点ではそれに出会ってないわけですから、あなたが軸足にすべきものは、


 かならずその中にある


のです。




 <2>あなたを成り立たせている遺伝的要素を調べてみる。

 よく、人間を形作るのは、「遺伝か、それとも環境か」なんて言われたりしますが、実際にはそれらは約半々であなたに影響を与えているようです。

 一番目の方法で調べたのは、あなたが得てきた外的要因、要素ですから、この部分が環境によって得られたあなたの「獲得形質」だと言えます。


 あと半分は、あなたが遺伝的に持っている要素ですから、これは父・母・祖父・祖母たちが、どのように生きてきたかを知ることが


 遺伝的な軸足


になります。


 たとえば、あなたの両親や、祖父母たちが、どの土地で生きてきたのかとか、どんな仕事や暮らしをしてきたのかを知るだけで、あなたの軸足がちゃんと形成されてゆくのです。

 「ああ、この土地じゃなくて、実家へ帰ろう」とか、そんな決意をするのも、その実家の土地との縁は、もともと血縁しかないわけですから、DNAに由来するのです。

 あるいは、「オヤジの跡を継いでみよう」とか、逆に「オヤジとは違う生き方をするぞ」とかも、そのパターンです。

 この遺伝的要素から作り出された軸足も、かなり強力なあなたの足がかりになるのです。




 結論は、2つです。遺伝と環境に基づいて、あなたは新しい軸足を探すべきです。

 ベッキーさんは、そもそも彼のどこに惹かれたのか、や彼とどの土地や仕事をして、この先逃げてゆこうかを考えるのもきちんとした軸足となります。

(もちろん、前の軸足である東京中心の生活や、芸能中心の生活は捨てなくてはならないかもしれません)


 逆に、軸足だと思っていた異性を捨てて、以前の軸足を取り戻そうと努力するのもありです。


 清原さんは、遺伝に基づいた軸足を取り戻すのか、あるいは、新しいあなたを構成する要素を再び見つけるのかを迫られます。それに失敗すれば、虚しさだけがそこに残ることになります。



 もし、あなたが本当に人生をやり直したいのであれば、ぜひいちど、武庫川散歩に相談してみてください。


 かならず、あなたは変わることができます。


WE CAN CHANGE !






2016年1月24日日曜日

人はなぜ戦争するのか ~戦争が絶対になくならない理由~

 なぜ、人類は戦争をするのだろう・・・。そんな哲学的疑問に心を痛めている武庫川散歩です。


 え?解脱したのに、そんな俗世のことに気を病むことなんかあるのかって?


 もちろん、ありません。すべてはポーズです。 しおらしいフリをして、週刊文春をセンテンス スプリングと陰で呼ぶようなものです(^^


 ちなみに、ベッキーさんがこれからどうすればよいかと言えば、いっそゲスの極み乙女に加入して、


「ゲスの極みベッキー」


と呼ばれるようになれば、 サンデージャポンには常連で出られるようになろうかと。



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 今日もまた、つまらぬものを斬ってしまった、武庫川散歩ですが、もとい。


 そういえば、前にも


「なぜ戦争はなくならないのですか?」
http://satori-awake.blogspot.jp/2014/08/blog-post_11.html


という記事を書いていましたが、今回はもう少し面白い情報を発見しました。


 WIREDより 

「文明は農業ではなく、戦争によって発達した」:数学モデルによる歴史分析

http://wired.jp/2013/09/26/computer-simulations-suggest-war-drove-the-rise-of-civilizations/ 

 

これは、簡単にいえば古代の世界の成り立ちをシュミレーションしたところ、文明というものは「地形、農業、環境」をもとに計算すると、精度が16%しか上がらないのに、そこに


 軍事技術


を加味すると、帝国の出現を65%の精度で算出した、というものです。


 たしかに、よく考えてみると「戦争」が文明の発展に寄与する役割というのはものすごく大きいものがあります。


 身近な例はたくさんあります。


 ロボット掃除機、ルンバは「地雷除去プログラム」によって動いていますし、気象衛星や衛星放送は、もともと軍事衛星の技術の応用です。

 オリンピックの競技の大半は、軍事能力そのものです。砲丸投げ、幅跳び、槍投げ、射撃、乗馬、・・・短距離長距離走ですら、軍事行動の基本なのです。



 しかし、記事ではそうした単純な軍事的要素だけでなく、たとえば「官僚制度や、社会制度といった効率的組織の生成(=帝国の出現)」までが、


戦争によって発展する


ことを示しているというのです。


 となると、戦争は必要悪といった押さえどころか



戦争は文明にとってマストである


といえるのではないでしょうか?





 日本においても、明治になってすべての国民に「苗字」を与え、「戸籍」を整備し、四民を平等にしたのはなぜか?


 それは、完全に平等で効率的な「徴兵」を実施するためです。


 また、昭和になって「厚生年金制度」が設立されたのも、太平洋戦争の戦費調達のためであることは有名な話です。


 戦後焼け野原になった、日本が復興したのは、朝鮮戦争のおかげです。


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 このように考えると、人類は戦争のために文明を育てている、と言っても過言ではありません。


 人は争いたいのです。


 人は戦いたいのです。


 そのために努力は惜しまないのです。








2016年1月20日水曜日

宗教の教祖になりたいあなたへ! カリスマになるには?! 〜今日から君もカリスマだ!〜

 ・・・解脱、してますか?




 ・・・解脱ですか!? 1・2・3ダーッ!





 どうも、あなたの心の隣人、武庫川散歩(オス♂)です。



 世の中には


「あー、教祖になりてーなー」

とか

「宗教をはじめたいなー」

とか

「信者にいちゃいちゃされたいなー」

とか、


そういう妄想に取り付かれ、明日の教祖を夢見ている方もたくさんおられると思いますが、そんな方に朗報です!



 『デイリー新潮』に掲載されている藤倉善郎さんの記事、


”なぜ「新興宗教」指導者の演説に惹きつけられるのか”

(1) http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01190410/?all=1

(2) http://www.dailyshincho.jp/article/2016/01200410/?all=1


が秀逸で、今をトキメク新興宗教の教祖たちが、


どんなテクニックを使って、カリスマとなっているのか


を徹底解明しておられるのです。


 詳しくは上記記事を参照願いたいのですが、まずはヒトラーの話術からはじまって、カリスマ教祖の使うテクニックの実例をたくさん挙げています。



 その中からいくつか紹介してみましょう!



<テクニック1  じらし>

 少しざわついている聴衆、しかしカリスマは一言も発せず、数十秒は沈黙しています。その沈黙を異変に思い、聴衆のざわつきが静まったその瞬間!カリスマは話しはじめる・・・。


 これは、ヒトラーも使ったという「じらし」のテクニック!あえて何も言わないことで、「何を言うのか、何がはじまるのか」と興味関心を集中させたその瞬間に、カリスマの言葉を埋め込もうとするテクなのです。




<テクニック2  自分を大きく見せる方法>

 小林幸子のように、でかいものを背後に背負うなど、物理的に大きくみせることで、聴衆はその大きさをカリスマの偉大さと勘違いするのです。

 仏像に光背がついているように、タカラヅカの羽かざりのように、あるいは歌舞伎の衣装のように、大きいことはよいことなのです。

 ちなみに、関西No1と言われる、大物司会者はシークレットシューズを愛用しているとかしていないとか。ありがとう。



<テクニック3  二元反復>

 連呼すること、繰り返すことでその言葉・フレーズを強調し、聴衆に刷り込むのは古来からの基本的なテクニックです。

 とある宗教団体でも「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ」を繰り返させていましたし、「気合だ!気合だ!気合だ!」と連呼する大物スポーツマンも有名ですね(^^

 繰り返しのテクにやられるのは、お笑いでもいっしょ!

「ラッスンゴレライ♪」も、「ラッセンがすきー♪」も、「ラララライ」もぜんぶそう。




<テクニック4  親和表現>

 親和とは「相手に親近感を覚えさせること」です。なんと!このブログで武庫川散歩が、いつもアホみたいなことを連呼しているのは、このテクニック!

 口当たりのよい話し方や、親しみ易いネタをはさむことで、相手に親近感を覚えさせるという魔法の手法を、解脱のカリスマ武庫川散歩も使っているのですから、恐ろしい!!


 けっして、だまされちゃあ、いけませんぜ(ニヤリ)



 ちなみに、恋愛でもこのテクニックは使えます。人は、出会う回数が多ければ多いほど、親近感を覚え心の扉をひらくもの。なので、若かりしころの武庫川散歩も、好きな女性の前には、たびたび姿を現し、お見かけさせたものです(^^




<テクニック5  コンシート話法>

 相手が思ってもみないことを言ったり、発したりすることで、好印象を植えつけるものです。


 これも武庫川散歩は多用していますね。毎回毎回、可笑しなツカミをもってきてから本題に入るなど、宗教家とは思えない話を連発するのが、武庫川のオチャメなところなのです。


 
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 とまあ、こんな感じで新興宗教のカリスマが、いろんなテクを駆使して人民の心をわしづかみにしていることがよくわかる良記事、勉強になりますねー。


 
 武庫川散歩が、いまいち宗教界でブレイクしていないのは、実は「直接法話をしていないから」ということもあります。


 現在武庫川は、このブログでしょーもないことを語るだけしかしていないので、ふつうの方々はその魅力に気付いてはおりません(笑)


 もし、あなたの前に武庫川が現れて、何か心に響くお話をしたとすれば、もうその瞬間から



 ハートがずっきゅーん!!!



になること請け合いです。なーんて。





2016年1月5日火曜日

<書評> 最良の仏教入門書 「知的唯物論」(宮崎哲弥・呉智英) を読む


 あけましておめでとうございます



 ・・・と言いたいところですが、悟りを開いた解脱者にとっては、別に「めでたくも」なんてこともないので、撤回します。


しかし、め、めでたくなんかないんだからね!といえばまるで ツンデレ女子みたいなので、それもやめておきましょう。


「めでたさも中くらいなりおらが春」という小林一茶の名句があるが、まさにそんなもんですね。


 さて、新年もあけて本日は5日。・・・もとい、仕事はじめの時期でもあり、世間のみなさまもこれから再び忙しくなってくるというもの。


 がんばりませう。ほどほどに。


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 さて、というわけで、正月休みの間に読んだ本で、面白いものがあったので何度かに渡り紹介しておきます。

 まず、一冊目は

「知的唯仏論」 宮崎哲弥・呉智英 共著 新潮文庫


 刊行は2012年ですが、文庫版が昨年12月に出たところだったので、文庫版をごちそうになりました。


 宮崎のてっちゃんは、TV番組などでもおなじみの若手評論家ですが、本人は仏教徒であり、信徒としての目線でも、仏教について冷静に語っています。

 呉智英氏は、不肖なる武庫川散歩の心の「師」とも言ってよい評論家です。もし、呉智英の著作に出会っていなかったら、武庫川はこんな風に解脱していなかったであろう!と言っても過言ではないくらいのスゴイ人(笑)

 (ちなみに呉氏は仏教者ではなく「儒教」をメインとしている方)


 呉智英氏は、どちらかと言うとマンガ評論で有名なのですが、そっち関連でない・まともな評論活動では、キレッキレの理屈をぶちかましてくる恐ろしい人物なのです。



 当時19歳の若造であった武庫川散歩は、阪急宝塚駅のトイレの前に打ち捨てられていた「サルの正義」(呉智英)を手に取り、そのまま3歩あるいて


 天上天下唯我独尊!


と叫んだとか叫ばなかったとか。


え?叫んでないですよ。だから「叫ばなかったとか」と申したまでです。

 しかし、19歳の武庫川散歩は、この書をきっかけになんと宗教の理論書を自ら書き始めます。

 その謎のノートに書き付けられた理論書「神の論理」は武庫川的解脱の最初の萌芽となったのでありました。



 ご興味のある方は、ぜひそんな呉智英の本をお読みあれ。


「サルの正義」(呉智英) 双葉文庫

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 さて、宮崎氏と呉氏の対談形式で進むこの本、マンガとしての手塚治虫版「ブッダ」の話からはじまって、このブログでも以前に取り上げた「神道系新宗教」との比較キリスト教との比較などを踏まえて


ブッダが始めた、原始的な仏教の姿


について解説が広がります。


 日本には多数の仏教の宗派があって、それらのほとんどは「大乗仏教的」(みんなを救うぜ)な理論で構成されているんですが、初期の仏教(オレだけ悟るぜ)な理論の本質を簡単に知りたい人にはかなりおすすめだと思います。




2015年12月31日木曜日

3秒でわかる仏教のお話。 ~あなたはそれでも仏教徒になりますか?~

 当ブログのファンであったり、当ブログの記事を多少なりとも読んだことがある読者諸君であれば、

「仏教というものは、究極的にはこの世がむなしいものであり、そんなむなしい世界に欲望を抱いても仕方がないので、それらを全て捨て去れば平穏が訪れる、という宗教だ」


ということくらいは、ざっくりと理解なさっていることと思います。


 それはまったくその通りで、少なくとも「現世レベル」では、そうした欲求欲望を捨て去ることで、迷うことがなくなる、というのは仏教の根本的な教義です。


 ところが、仏教にはもうひとつ、「むなしい世界を終わりにする」という同様かつ別の世界観があって、それがこれまたよく聞く


「輪廻転生を終わらせて、涅槃に至る」


というやつなのです。


 実は、輪廻転生という概念は、仏教がオリジナルなのではなく、古代インドのいわゆる「ヴェーダの宗教」「バラモン教」「ヒンドゥー教」などの共通概念で、言ってみれば、


「日本人の先祖崇拝みたいに、当たり前的に存在する概念」

ということになります。


 輪廻転生とは、「あなたが死んだら、ハエとか、人間とか、豚とかに生まれ変わって、繰り返される」というイメージです。

 それが何度も何度も永遠に繰り返されるものだから、人生というものにげんなりしてしまう。ああ!人ならまだしも、ハエ生とか豚生が繰り返されるとはなんて苦痛なんだ!というのが、インド的人生のイメージだというわけです。



  というわけで、仏教では「2つの苦しい世界」からの脱却を目指します。


 ひとつは、むなしいこの世界の欲から解放されることで、もう一つは、むなしい輪廻転生のサイクルから開放されるということですね。


~~~~~~~~~~

 さて、ここからが3秒でわかる仏教の真髄です。


 では、その苦しい世界を脱却するために、ブッダとその弟子はどうしたか。


「乞食をして、食べ物を恵んでもらって、集団で住んで、子孫を残さず死ぬ」

ということを実践したのです。


 まあ、言い方はなんですが、「簡易宿泊所に無欲なホームレスの方が集められて、彼らが徐々に亡くなってゆく」みたいな感じです。

「人生は無常だなあ」としんみり感じながら、童貞のまま枯れ果てて死ぬ、みたいな。


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 3秒にまとめると、仏教はこんな感じです。敬虔な日本仏教とか見れば


「全然違うわ!!!」


とお叱りを受けそうですが、 真剣な上座部仏教の研究者から見れば、


「ある意味うまいことを言うwww」


とニヤリとなさることでしょう。


 ブッダは労働を否定しましたので、基本的には托鉢という名の乞食で生活をします。サンガという集団で暮らし、生活の全てを仏教に投入しますので、生きることも無常の塊です。そして、異性と交わったり、みだらな思いを抱くことも禁じましたので、


「1人ずつ、死んでいく」


ことに相違ありません。子孫を残すなんてもってのほかなので、集団は基本的には生殖によって増えません。


(そういう意味では、基本的に絶滅するスタイルの集団なのに、現代まで何千年も仏教が続いているということは、新しくその集団に入ってくる者が常に死ぬ者よりも多かったというすごい宗教でもあります)



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 というわけで、仏教というのは基本的にそういう宗教なので、「仏教にすがって悟りを開きたい」という人は、今すぐ職を辞めて大阪の某所とかに行けばいいと思います。

 すぐに、ある種の悟りが開けることは間違いありません。保証します。



 このブログが提唱しているのは、残念ながら仏教のそれとは少々、というか全く異なります。


 そもそも、インドの思想を受け継いでいませんので「輪廻転生」を全く否定します。

 あなたは死んだら終わりです。残念無念かもしれませんが、THE ENDでどうしようもありません。


 しかし、未来に希望がないわけではない!来世はありませんが、あなたが死んでも残るものが確実にあるのです。


 それが何なのかは、ぜひ悟りを開いて体感してください。












2015年12月18日金曜日

【これからの宗教の話をしよう 4】 これからの日本人を救済する宗教とは ~あなたは必ず救われる~

 迷いや苦しみの多いこの社会で生きてゆくためには、現代はあまりに救いがない、と誰もが感じていることと思います。


 これまでの3回の連載で、世界史をひもときながら宗教史を考え、今度は日本史にも目を向けて、「日本人のための救済と宗教」について考えてきました。


 そして、前回の最後に


「日本人が心の平穏を得られるような、新時代の新しい宗教観」


というものが必要であり、かつ私、武庫川散歩には、それに対しての明確なビジョンがある、ということをお話したところです。


 というわけで、第4回では、「現代人のための、真の宗教」についてお伝えしようと考えています。


~~~~~~~~~~

 その前に、少しだけ、これまで世界で広く信じられてきた宗教について、ある「別の観点」で分類してみたいと思います。


 それは


「その宗教は、現世利益を追求するものですか?それとも来世利益を追求するものですか?」


という観点です。




 ユダヤ教は、本来は現世利益を追求する宗教です。もともとは砂漠の民の宗教ですから、「君たちが正しい信仰を持っていれば、神が約束する地を与えよう」というのが、ユダヤ教の本質です。

 この言葉を信じて、ユダヤ人たちは時にはエジプトに征服されて連れていかれたり、バビロニアにやられて連れていかれたり、ローマに支配されて属州になったり、あるいはナチスに迫害されて散り散りバラバラになったりしても、


「カナンの地という約束の土地に再びイスラエル王国を再建できる」


という希望を信じて数千年生きてきています。だから世界中のユダヤ資本家たちが結束して、イスラエルという国をあの場所に建国し、そして維持することに命をかけるわけです。

 アラブ諸国と紛争を繰り返しても、これだけは譲れない神との約束だからです。





 キリスト教・イスラム教、そして仏教は、そうした現世利益ではなく、究極的には「来世の利益」を追求する宗教だということになります。


 キリスト教やイスラム教は、簡単に言えば、


「神に従った生活を守っていれば、審判の時に神に認められて、あちらの世界で永遠に生きることができる」


というものです。あちらの世界、というものが具体的にどういうものなのかは、各宗派の解釈によって異なります。

 地球上に死んだ人類が皆再び蘇る、と考えるキリスト教の一派もあるし、肉体を伴わない天国のようなものと考えるキリスト教やイスラム教もあります。


 仏教は、現世に対して、いわゆる天国のような「解脱の境地に到達した何ものにも惑わされることのない来世」をイメージしています。そこに到達できない者は、何度でも現在のこの世界に戻されて人間だったり動物だったり草木だったりいろんな人生をやり直しさせられる、という考えですね。

(本来は仏教そのものよりも、ヒンズー教やバラモン教に関わりのある考え方です)




~~~~~~~~~~


 ということは、「人類が求める救い」とは、


まず

「この世界で幸せに生きることなのか」


それとも


「あっちの世界を信じて、そちらに希望を託すのか」


の2つの大きな分類がある、ということになりますね。



 この2つのどちらが正しくて、世界の真実か、ということは一旦保留にしておいて、


「どちらの宗教が流行するか、ウケるか」


は簡単に説明できます。


 戦争や動乱が起きている国や地域では、ぶっちゃけ「あちらの世界な宗教」が信仰されます。現世利益どころか、そもそもそこらへんで人が死んだり、財産がぶっとんだり、家族がバラバラになったりするからです。


 こんな時代や地域において「この神を信じれば、健康で健やかに過ごせますよ」と言っても、誰も信仰しません。


 当たり前の話です。



 逆に、経済が発展していて、治安が安定している国や地域では「現世利益宗教」が信仰されます。

「より満たされる生き方ができますよ」

とか

「ガンが治りますよ」

とか、そういうのがウケるのです。


 なんだかんだ言って、現代の日本はそこそこに生きていけますので、「来世は幸せに」とかではなく、「今現在幸せになりたい」人が多いのが実状です。



 そこはホレ、前にもお話したとおり「市場」(マーケティング)のオハナシなのです。



 なので、「あなたはずっと派遣社員で、最後は老後破産で死にますが、来世ではきっとよいことがありますよ」という宗教を提示しても、「派遣をなめとんのか」と思われるだけで、けして受け入れられることはありません。


 
・・・すみません。つい毒舌になるのはわたくし武庫川の悪い癖ですね。



~~~~~~~~~~


 というわけで、一応先進国のはしくれとしてまだ生き残っている日本人が心から救われるためには、まず「現世利益についてきちんと提案できる」宗教が大事である、ということになります。

 そして、それが「ガンが治ります。お金持ちになれますよ」的な胡散臭いもの、悪徳臭のただようものではなく、



 現代人が、そして日本人が生きる上で、きちんと納得のいく、心から腑に落ちる生き方のあり方


を提示できるものでなければならないものだ、ということになるのです。



 そして、もっと言えば、それが個人的に「Aさんは信仰があって幸せだったね。ちゃんちゃん」で終わるものでなく、


「きちんと未来にも、将来にも通じるもので、かつ個人だけでなく社会体制にもきちんとコミットするもの」


が、より真実で正しい宗教であろう、と考えられることになるわけです。



 それを「宗教」というのがおこがましければ、「哲学」でも「思想」でも「主義」でも、好きなように捉えていただければよいのですが、そういうものが、果たしてこの日本に存在するのか?


 とみなさんも思われることでしょう。



 あります!STAP細胞じゃないですが、あるのです。(←いやいや、それは無いやんけ、というツッコミはなしで)




 この考えをどのように提示すればいいのか、私もいろんなことを試している最中で、ひとつの試みとしては、


「学問・主義主張」の分野で、これからの日本人の軸足になる思想を定義する活動


を別の形で行っています。



 もし、それを一般の方にわかりやすいように「宗教」に似た形で行おうとすることも、できると考えています。



 その宗旨宗論をざっとまとめるなら以下のようなものとなるでしょう。


(例のごとく勝手に決め、勝手にはじめるのであるwww)



 これまで、”エンターテイメント解脱”と称して笑いを取りに走っていた、この解脱を総じて


「存在宗」


と立宗することにいたしました。



 まるで仏教の宗派のようですが、わざとそうしています。元々解脱の概念は、西欧宗教よりも仏教的であるので、東洋思想を基にしたという点において、仏教には一定の敬意を払って


「存在宗」


といたします。(けして、宗旨は仏教ではありませんが、教養としての仏教は尊重します)



 理念は、この世界について、ありのままを見ることができるようになり、ありのままの存在を理解することができるようになる、という意味において



「澄眼解脱」



を目的とする宗教としましょう。


 澄眼(せいがん)とは、晴眼であり、正眼でもあります。ありのままを曇りなき眼で見る、理解する
受け止めるということです。


 しかし、晴眼ということばは、目の不自由な方に対しての健常者という意味で使われるので、この字は避けます。

 また正眼は、存在宗では「何が正しいかを絶対的に定義することはできない」という無常観に立脚するため、「正」の字を避けて、”澄眼”を説くこととします。




 どんな人であっても、澄眼解脱に到達することは可能です。そこに至るには、苦しい修行などは全く必要ありませんし、そのようなものは間違っています。


 そのための方法、そのための考え方のヒントが、このブログの記事であったりするわけですが、誰もが丁寧な方法で学び、自分の頭で考えれば、かならず澄眼解脱に到達できるのです。



 その最大のヒントが、宗名である「存在」を曇りなき眼でしっかりと見ることです。


 この世界が実際にどうなっているのか。どんなものがこの世界に存在しているのか。


 あなたが存在しているということはどういうことか。なぜあなたが存在しているのか。


 あなたが死んだあとには、何が存在するのか。



 ・・・すべては、「ありのままに、存在している」ということが中心にあります。




 もし、あなたが人生に開眼したければ、



 武庫川散歩


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