みなさん、おはこんばんちは。
「日本エンターテイメント解脱協会」、略して「エーゲ会」の会長こと、武庫川散歩です。
当協会は、ついさきほど発足しました。なーんて。
さて、今回は「悟るヒント」の本筋に戻りますが、そういえば、これまで一度も「サイバーパンクな」悟りの側面について説明していなかったので、今日はかなりサイバーなお話をしようと思います。
これまでの記事の中で、人間が神様を認識するときに「このセカイを作った、たった一人の神(一神教)」と「このセカイにはたくさんの神がいる」(多神教)」の大きく分けて2種類の考え方があるということを説明したと思います。
ところが、私の悟りにおいては、「神が独りか複数か」ということについては、実はあんまり意味を持ちません。
「一人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、そういうことは、実はどうでもいいかもしれない」
では、なぜ、そういう考え方ができるかを説明してみましょう。
現代は、皆さんご承知の通り、インターネットがとても普及している世の中です。大きなものから、小さなものまで、働く力だコンピュータ~♪と言っても過言ではありません。
コンピュータの世界は、これまではパッケージ化された「あるタイトルのソフトウエア」の中に閉じた世界でしたが、ネットの発展とともに、ソフトウエア同士が通信したり、外部への扉が開いている状態になっているのはご承知の通りです。
なので、先日ニュースにもなっていましたが、マイクロコンピュータが搭載された洗濯機に、ネットからウイルスが入って、そのウイルスが洗濯機を踏み台にして、外部のスマホやらパソコンやらに攻撃をしかける、なんてことも起きているようです。
さて、ここでひとつのゲームを思い浮かべてください。ゲームの中には登場人物が居て、町があって、プレーヤーの操作に従って、その中を自由に歩いたり、行動したりすることができます。
つまり、コンピュータの中に、ある空間や、「世界」を形作ることは、簡単で、みなさんは今もそれに触れている、という事実があるわけです。
ところで、ここに、突然変異か、データコピーの失敗か、あるいは誰かが作ったプログラムでもいいですが、「自分を認識して、自由意志を持つプログラム」がいつか出来てしまったとします。
そんなのできっこない!でも、夢物語だ!でも、とりあえず今はどう思ってもいいです。そんなプログラムができそうになくても、別に本筋には関係ないからです。
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そのプログラム君が、「ああ、この世界を作ったのは誰だろう。神様はいるのかな」と仮に勝手に思ったとします。
ここで、みなさんは正解を知っているので、プログラム君に教えてあげることはできますよね。
「あなたにとっての神様はいるよ。それは人間といって、あなたたちのようなプログラムを作った存在だよ」
と教えてあげましょう。
すると、プログラム君は尋ねます。
「神様は一人ですか?たくさんいるんですか?この世界を作ったのは誰ですか?」
さあ、みなさんはどう答えてあげますか?これが今回のポイントなのです。たとえば、
①「プログラム君を作ったのは、誰それさんというプログラマーなので、その人が神です」
という答え、ここまではいいですよね。
②「でも、君の周りの他のプログラムを作った人たちは、すでに死んだ人も含めて、数百億人ぐらい人間の世界にいるので、あなたにとってこの世界を作った神は、数億人ぐらいいることになるよ」
これが、その次の答えですよね。
③「ああ、でもでも。ネットワークをはりめぐらせるのに、工事をした人たちとか、電線を作った人たちとか、それからパソコンの組み立てをした労働者とか、山からレアメタルを取り出した人とか、そういうのを全部合わせると、たぶん世界人口70億として、ざっと半分でも30億ぐらいかな」
その次は、きっと上のように答えないといけませんね。
つまり、インターネット上に生まれた「プログラム君」とその周りを取り巻く世界にとって、神はたくさんいるし、一人の天才プログラマがいて「プログラム君を創造した」としても、その人の力だけでは成立しない、ということなのです。
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私たち人間が、「神」という存在について考えることもこれに似ています。一神教では、なんとなく一人の神が、世界を創造したように考えますが、上の考え方をすると、そうでなくても全然OKですよね。
多神教では、「この世界にたくさん神がいる」と考えますが、もしかしたら、この世界どころかその外側にも「神」に相当する人がうじゃうじゃいるかもしれないのです。
そして、もっと面白いことに、「プログラム君を作ったプログラマーの誰それさん」だけは、プログラム君の人生や、生き方や悩みや問いかけに答えることが、なんとか可能ですが、それ以外の30億の神様たちにとっては、プログラム君の存在なんか、知らないし、どうでもいいということになりませんか?
わかりにくいかもしれないので、丁寧に書きます。
「プログラム君を作った天才プログラマーの誰それさん」=つまり、プログラム君にとっての神は、意図があってプログラム君を作ったのだから、プログラム君と交流することが可能だし、意味があります。
でも、他の神々は、プログラム君が生まれようが、そんなことはどうでもいい。第一、銅を採掘しただけの神や、プラスチックの金型からパソコンの箱を作っただけの神もいるし、プログラムは書くけれど、HTTPの実装とかにしか興味がなかったりするのです。
そういう神にとって、プログラム君と交流することは無意味ですよね。仮に、プログラム君がレアメタルを採掘した神に「どうして僕が存在するの?僕らの未来はどうなるの?僕はどうしたら幸せになるの?」とか尋ねても
「知らん!」
という回答しか返ってこないと思うのですがどうでしょうか。
そういうものです。それで当たり前です。もし万一神様が存在していて、その神様が私たちのセカイを創造したとしても、神が一人とは限らないし、そもそもそれらの神様の大半は、
あんたに興味はない
のです。残念ですが。
さて、それでも「でも、プログラムを作った天才プログラマー神だけは、せめて一人でもプログラム君のことをわかってくれる」と思う冷静と情熱の間のような問いかけがあるかもしれません。
そうです。人類の歴史は、すでに400万年くらい経っているそうです。その400万年前に、聖書的に言えば、アダムが神によって作られたとして、その時、神とアダムは直接交流しているとしましょう。
プログラム君を作った天才プログラマーは、とりあえず神なので死なないとしておきます。
でも、今のあなたが天才プログラマーさんを探すのは、400万年前に、プログラム君と出合ったはずの「天才プログラマー神さんを、400万年後の子孫のあなたが30億の神々の中から探す」のと同じです。
その上、その30億の神々のうち、1億ぐらいの神が「私こそ本物の創造主だ」と言いながら次々やってくるわけです。
探せるものなら探してみろ、っちゅうねん!
・・・・・・まあ、ふつうに考えたら無理ですよね。真の神様に辿りつくのは困難だし、だいいち、「この神こそ天才プログラマーさんだ!」とこっちが勝手に思っても、真実かどうかは
神様の側からしかわからない
ということなのです。
こうした状況の中で、「神様があなた・わたしを救ってくださる」というのは、ほとんどドMの変態に近い受身プレイと言わざるを得ません。
さっさと悟りを開いて「神様には、頼らん」ぐらいに思ったほうがマシだと思いませんか?
なーんて、ね。
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