2014年8月27日水曜日

幸せになりたいあなたへ

 北海道では、春の花見の時にも、夏のバーベキューの時にも、秋の行楽シーズンもみんなでジンギスカンを楽しむそうです。


 ラム肉の消費が著しい、北海道の人は凄いですね。


 迷える子羊のみなさんこんにちは、あなたの武庫川散歩です。じゅるる。


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 幸せになりたい!


 そう願うのは、全ての人にとって当たり前のこと。


 早く人間になりたい!


 そう願うのは、ベム・ベラ・ベロだけです。



 というわけで、今日のテーマは「幸せになりたいあなたへ」です。


 世紀の解脱者、武庫川散歩とともに、幸せについて考えることにしましょう。



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 まず、「幸せ」というものが「結果」だと考えている人、最初に断っておきますが、それは違います。


 男性で考えましょう。仕事で成功して、社長になって、お金持ちになって、嫁はんも愛人もいてウハウハな状態、そういう現象の「結果」が幸せだと考えるのは、ちょっと違います。

 
 なぜかというと、フルスロットルのビジネスマンはそれ相応のストレスもありますし、社長になってもいろいろな重責がのしかかったりします。嫁はんと愛人は仲が悪いし、もしかしたら離婚して莫大な慰謝料を請求されるかもしれません。


 つまり、何か「カタチに現れている結果」というものは幸せの定義ではないということです。




 女性で考えましょう。かっこい男性が現れて、奥さんになれて、ブランドものが買えて、可愛い赤ちゃんに恵まれた状態、そういう現象の「結果」が幸せだと考えるのは、ちょっと違います。


 なぜかというと、かっこいい男性は絶対他の女にも優しくしているし、奥さんになっても別に愛人がいるし、ブランド物は次々にほしくなるし、赤ちゃんが生まれてもそいつはアホでよその子より出来が悪かったりするからです。


 つまり、何か「カタチに現れている結果」というものが幸せそのものではないのです。



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 幸せを構成する要素には、いくつかの「状態」があることは確かです。いくらかのお金も必要だし、恋人や夫・妻、そして家族がいること、物質的に満たされていること、精神状態が安定していることなど、


「幸せだなあ」


と実感できるための、コマゴマとした「要素」があることは事実なのです。


 しかし、それらは幸せの本質ではありません。


 なので、要素のそれぞれをいくら手に入れても、それに勝るような不安や不満がやってくることになります。

 ここを勘違いしてはいけません。


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 さて、幸せを構成する要素は、しょせん要素ですから、どんなちいさなものでも、その要素になりえます。


 草原に吹くそよかな風、でもいいし、道端に咲く小さな花でもいいのです。


 それを見て「ああ、幸せ」と思うことは十分可能です。



 高級レストランのランチも、夏のビールも、幸せの要素になりえます。


 日本でどれだけの人が、ランチを食べ、ビールを飲んで


「あーっ、幸せ!」


と思っていることか。しかし、ビールを飲んでいる人が全て「幸せ」とは限りません。いやむしろ、貧しさの底辺にいても、ビールの一杯位は飲んでもかまわないし、だからといって、その人が幸せだとはとても言えないことでしょう。


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 では、幸せが「結果」ではないとすれば、いったいなんなのでしょうか?


 結論から言ってしまえば、幸せというのは、方向、ベクトルのようなものです。


 宝くじが当たっていて、明日換金に行けるとしましょう。それが1000万円でも嬉しいですが、きっとあなたは3000円でも嬉しいはずです。

 
 ということは、その嬉しさの根幹は、結果の大小ではなく、「宝くじが当たっていて、それが入手できる」という「良いことへ向かう方向性、意識」だということになります。


 明日は遠足だ、とか。明日から夏休みだ、とか。そういうことです。


 いくら充実して最高の夏休みを過ごしたとしても、明日から新学期である9月1日よりも、まだ楽しいかどうかわからない7月25日のほうが、幸せなのです。



 幸せとは、言い代えるならば、「願望」「希望」「野望」のサイクルです。


 これらはすべて、結果として確定したものではないけれど、その願望・希望・野望が叶えられそう、という予測が立つ限り、人は幸せでいられるのです。



願望とは、「こうなりたいなあ」と願うことです。

 第一ステップですから、「でも、むりかも・・・・」というキモチも同時に抱くこともあります。


希望とは、「あ、なんかいけそう」と感じることです。

 第二ステップでは、願望が実現しそうな予感に満たされます。


野望とは、「もっと幸せになりたい。もうすこし頑張りたい」と思うことです。

 希望がかなってもかなわなくても大丈夫です。第三ステップでは、「もうちょっとやれそう?」というさらなる上昇のキモチが生まれます。

 あるいは何かを手に入れたあと、「次のステップはどうなるの?」と前向きになる場合もあるでしょう。



 この3サイクルが回っている限り、人は「幸せ」だと実感します。



 たとえば、いくら貧しくても、給料が右肩上がりだった時代には、日本人は「未来に対して幸せ感覚を抱く」ことができました。

 これがじわじわ続いたのが「一億総中流」と言われた時代です。

 金銭的に、めちゃくちゃ豊かではないのに、なんとなく平和・温和でいられたのは、経済全体のベクトルが「願望・希望・野望」ベクトルに沿っていたからです。


”いつかはクラウン”


なんてキャッチコピーは、それを端的に示しています。

「クラウンに乗りたい、乗れるかもしれない」とか「今はマーク2、次はクラウン」とか、そういう感覚ですね。


 逆に、いくら今高い月給をもらっていても、不況で先がどうなるかわからないと、人は不幸を感じます。


 また、「病気を苦にして自殺する」なんてことがありますが、どうせ病気で死ぬのになんでわざわざその死を早めるのか、合理的には説明ができません


 そうではなくて、人は、願望希望野望のベクトルを奪われたり、逆に下向きに下げられることに耐えられないのです。


 ベクトルが下向きに下げられた時点で、すべての人は「不幸だ」という実感をすることになります。


 
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 ここまで説明してきて、幸せになる方法が実は簡単であることに気付きましたね。


 そう、それは自分の生きている実感のライン・ベクトルを


 願望・希望・野望のサイクル


に沿うように設定すればいいだけなのです。


 その設定を間違えると、とんでもないことになります。


 たとえば、初期設定を、「身長180センチで、上場企業の社長の息子で、超男前で、やや筋肉質で、汗臭くなくて、ベンツで毎日送迎されている同級生に壁ドンされたい」という願望に設定するとどうなりますか?


 その彼に出会える、という希望がまったく想像できず、そんなやつはいない学校生活を怠惰に過ごし、無意味な青春時代を過ごす結果になると思います。



 さあ、あなたは今日から、どんな願望を設定するでしょうか?



 あなたが幸せになれますように。

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