2016年7月6日水曜日

<勝手じゃない人生相談> 人は何のために生きているのですか?



 前回もちょこっと書きましたが、これまで世間の片隅でひっそりと愛を叫んでいたこのブログですが、最近は、いろんな人に見つかってしまいました。


 旧知の友であったり、知り合いであったり、あるいは、全く見知らぬそこのあなたであったり、 なんだかたくさんの方が見ているようなので、おちおちショーもないことばかり書いてはいられないなあ、なんて思うことは全くありません。


  今日も明日も、いつも通り全開バリバリで書きなぐります。恥も節操もあったもんじゃありません。そこがこのブログのよいところ



 さて、またまた「勝手じゃない人生相談」のコーナーです。


 尋ねられたら、答えるのが武庫川の流儀ですから、きちんとお話しようと思います。








 今日のお題は、これ!


 ドン!



Q 「人は何のために生きているんですか?」


 いい質問ですね~。人は、いったい何のために生きているのか!

 まるで、


菌はなんのために生きているのか


とか、


ミトコンドリアは何を求めて生きているのか


とか、


ミミズは何を考えているのか



とか、それに匹敵する哲学的な難問です。



 でも、わたし、今いいこと言いましたね?わかりましたか?


 人が何のために生きているのか。という問いは、フナ虫は何のために存在しているのか、と同じくらい難問であるけれど、答えは意外と簡単です。



 ・・・知らんがな!


とか


 ・・・知るか!


でもお好きなほうをどうぞ。



 そう!マイクロバクターピロリが何のために人の胃壁を破壊するのかは、人にとっては知ったこっちゃありません。


 だから「人がどうして生きているか」に悩むのは、人だけであり、それは神の目線で見たり、他の生物の目線で見たりしたときに



全く、無意味で無価値な質問


に成り下がる、ということにまず気づきましょう。



~~~~~~~~~~



 では、この質問の本当の意味はどういうことなのか!それをまず解き明かします。


 たいていの人は「人は何のために生きているのか」という問いを発しますが、そこには必ず


「人は(こんなに苦しい思いをして)何のために生きているのか」


ということが隠れているのです。


「こんなに楽しくてひゃっほい!なんだけど、何のために生きているのか、なんてどうでもいいくらい楽しい~!ひゅう!」


という人は、そもそもそんなことは考えません。



 暑い夏の夜のビアガーデンで、仕事を終えたおっさんたちが


「くうっ!!!!これのために生きてるんだよ!」


と叫ぶくらい、人はあの一杯のために生きているんです。それは全くうそではありません(笑)



~~~~~~~~~~



 解脱した人間から一言いわせていただくチャンスがあるとすれば、武庫川なんかは、生きているすべての体験やすべての事柄が


「楽しい~!いやっほい!」


な感じです。 なので、こっち側の人間から言えば、「人は何のために生きているか」という質問には



「楽しむために生きてるけど、何か?」



ということになってしまいます。凄いイヤなやつでごめんなさいね!



 しかし、これは、実はビアガーデンでおっさんたちが「この一杯のために生きている!」と感じるその瞬間とまったく同じものなのです。



 ビアガーデンのおっさんたちは、暑さの中で労働をしてきました。それはけして穏やかなものではなく、辛く厳しいものであったはずです。


 ところが、一杯のビールでそんな苦しみは吹き飛んでしまう。これが「生きている」ことを「楽しむ」ことです。



 解脱者は、この世界におきる「一見、嫌なこと」や「つらいこと」でも、それを究極的には「楽しみの一環」として体感し、感じるのです。


 だからどんなときでも、楽しい!わけです。



 したがって、解脱者は、この世界で起きるどんな体験も、自分の糧として生きてゆくことができます。それは、苦ではなく、RPGで言うところの繰り返しやってくる「イベント」のようなものです。




 もし、本当に苦しみがいやなものだとしたら、


「ゴーヤを食べること」

とか

「映画館で泣ける映画を見ること」

とか

「ホラー漫画を読むこと」

とか


「くさや」


とかは、苦痛そのものなはずですが、人は意外に苦しみながら喜んでます。変態。



 なぜ、足裏マッサージをされると痛いのにきもちいいのか?!


 思いっきり蚊に刺されたところをかきむしるのはなぜか?!


 女王様に踏まれると幸せなのは誰か?!



 ・・・こうして考えると、実は「苦しみ」はそんなに悪いもんじゃない、ということに気づきます。




~~~~~~~~~~


 ところが、あのブッダも、生きることは全部苦しみだ!なんて言うくらい、一般的には「苦は避けるべきもの」とされているのはなぜでしょう。


 それは、「苦」そのものではなく、実は「苦に支配されること」がマズい・ヤバいと言っているのです。



 一時の苦が、「幸せ」の前段階なのではなく、その人が完全に「苦に支配され、負けてしまった」ときに、


「なぜこんなに苦しいのに、生きているんだ。(それなら、解放されたい)」


と考え始めます。



 だから、「人はなんのために生きているのか」と考える人は、本当はそこではなく、ましてや「苦しみを取り除け」でもなく、


「その後の俺に希望はあるのか!!!!」


ということを言ってるのです。


 つまり、ビールが出てこなさそうな炎天下の労働だから、わけのわからない人生論を考えなくてはならないのです。


 ということは!


 そういう人にはビールでもくれてやれば黙ります。


 宝くじが当たる、とか。可愛い部下の女の子に告白されたとか。


 そんなのでもう明日からは



「俺、生きてて良かった!」



とか言い始めることうけあいです(爆)



~~~~~~~~~~


 というわけで、この世界を見通す解脱者としては、とりあえずそういう「エセ何のために生きてるの?」な人を、排除してからもっと奥深いこの世界のありようを追求したいと考えています。


 
 「ちがうんだ!聞いてくれ!ああ、そうさボクは美男子で、お金持ちだ。そして、スネ毛も薄くて歯も白い。

 学歴だってあるし、恋人は長澤まさみと新垣結衣なんだけど、どうしても知りたいんだ!

 なぜこの世界が存在していて、そしてボクはなんのために生きているのか!

 ああ、それを知らないと、ボクは明日も幸せに生きてしまう。そんな自分が憎い!わかるかい?セバスチャン!」



という人がもしこのブログを見ていたら、私は喜んでこの世界の真実を教えてあげようと思います。


 
「人が、この世界で生きている理由なんて、そもそもないんだ。

 だって、この世界だって本当に存在しているかどうかわからないからね。すべては無常なんだよ。いいかい。

 それにだってホラ!

 まず、ボクはセバスチャンじゃない!

 そこから完全に君は間違ってるのさ!」


と。 


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