2016年7月9日土曜日
哲学は人類を幸福にはしてくれない
東洋経済オンラインさんで、ずっと連載している、あの「中島義道」センセイの
「哲学塾からこんにちは」
が7月になって久しぶりに更新されていました。
哲学が人類を「幸福にしない」これだけの理由
http://toyokeizai.net/articles/-/124180
前回の更新が3月末でしたので、3ヶ月はゆうにほったらかし、という連載。さすがは中島義道先生です(笑)
そういえば、ジャンプのハンター×ハンターの作者、富樫センセイもまた休載のようですが、 武庫川の友人が、トガシ先生の昔のご学友だったそうで、
「うん、まあ、彼はいろいろと大変なんだよ」
と察して欲しそうでした。察します。
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さて、そんなこんなで世間では心に病を抱えた方がたくさんおられますが、武庫川は今日も元気です。
だって、悟ってるから。あははん。
さて、今回の中島センセイのお話。
哲学を追求すると、この世界で生きることよりも真理を知ることに重点をおいてしまって、その結果・・・悶死。
という意味のことだったように思います。
哲学においては、人類が滅びようが真理は真理ですから、人類の幸福と相反しても、それは真実なのだ!とついやらかしてしまうところがある、というわけです。
そういえば、つい先日も、このブログのファンの方とそんなメールのやりとりをいたしました。
え?武庫川にメールをしてくるやつがいるのか?って?
いるんです。それが!
まかり間違って、武庫川が実は存在しないのにメールを受け取っているような錯覚に陥り、そしてかつ返事を送っているような錯覚に陥っているのでない限り、そういう事実があるように受け止められます。
哲学も悟りも同じですが、真理の追究に向かっていると、俗世のこととどんどん乖離してゆきます。
俗世における善悪などというものは、解脱と哲学の前には、ほとんど無意味になってしまいますから、(かといって、悪さをするわけではないけれど)、中島センセイの言うように、
「子供が哲学科へ行きたいと言い出したら、全力で止める」
のはマストです(笑)
それも、京大の哲学科がいい!とか言い出したら人間として終わりかはじまりかわからないぐらいのすごい状態ですから、 親御さんとしては心中お察しいたします。
まあ、中島先生が、「哲学などなんの役にもたたないので、税金なんかつかって国立大で教えんでもよろしい」みたいな意見もわからなくないから、苦笑してしまいます。
あ、でも中島氏はとてもいい提案をなさっているので、それには武庫川も大賛成したいと思います。
引用
”幕末の私塾のように、志のある哲学者が塾を開けばいいのです。そして、志のある若者(あるいは中年、老年)がそこで学べばいいのです。”
これですね!これ。
というわけで、自称哲学者であり解脱者であり、妄想癖の武庫川散歩が、こんなブログを書いているのも
そこに意義がある!
と納得するわけですよ。
私は志とかはあんまりなく、どちらかというと
寸志でいいから、くれ!
というタイプですが(笑)
もし、このセカイについて多いに考えて考えて考え抜きたい人がいれば、誰でも当ブログに集っていただいてかまわない、と思っております。
武庫川はお金がないので、私塾を開く余裕などありませんが、メールくらいならいつ下さっても大丈夫です。
ただし、個人的にはメール下さるなら女性がいいです。
あと、女装癖のある男性でも、まあいいです。
むっさい男子の場合は、哲学してる暇があったら労働してこい!と怒鳴るかもしれません(笑)
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