2016年7月6日水曜日

解脱者、武庫川散歩は宗教家なのか ~それとも、ただの変態か~

 毎度おなじみ節操のかけらもない、下ネタの時間がやってまいりました。


 下ネタ、下ネタ言うてますが、書いている本人はちょっとした人生のスパイス程度にわざわざ挿入しているのですが、親交のある女子大生が、露骨に嫌な顔をするので、自粛しているところです。


 え?露出に嫌な顔?


 
・・・という、ツカミが決まったところで、今日のお話に入りましょう(^^


 もう、あいかわらずおちゃめなんだからっ。



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 俗世でけっこう有名なブロガーの方に、イケダハヤトさんという方がおられるのですが、たまたまこんな記事をみかけてつい読んでしまいました。




 イケダハヤトさんのブログ 「かなり難しい宗教の定義」
 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/26480



 ジャレド・ダイアモンドという人の書いた「昨日までの世界」からの引用という形での考察なのですが、


 アンドレ・ザ・ジャイアント



ではありません。それは、けっこう前の外国人のプロレスラーです。


 さて、「昨日までの世界」というのは、いわゆる先進国ではない文明化以前の未開の人たちの暮らしと、現代人の暮らしを比較したようなお話なのですが、まあ、そうした未開の人たちと先進国民の文化を考えるのは


 比較文化論


の基本路線ですね。






 で、宗教の話です。ここでイケダさんが注目されている宗教の定義は、だらだら書いてあるのでリンク先をみてもらえばわかるのですが、


 宗教の特徴を5つにまとめよう!


というコーナーがあったので、そこだけまた引用します。



■1 超越的な存在がいると信じること

■2 信者が形成する集団があること

■3 信仰に基づく活動があること

■4 個人の行動の規範になる教義があること

■5 超越的存在の力が働き、世俗の生活に影響を及ぼすという深淵があること




・・・・武庫川、解脱してるけどアホですから、最後のはよくわかりません。


 超越的存在の力が働き、世俗の生活に影響を及ぼす、ではマズいんですね~。


 そうなると、サタンかなんかの力で、この世が悪に染まってみんなが突然血走って走り出すぞ~、みたいなことになるからです。


 実際にそうなるんじゃなくて、「そうなりそうな気がする」ということ。


 だから「深淵」なのでしょう。よくわからんけど。



 だったら最初から


「超越的存在の力が、我々に影響を及ぼすと信じている奴らがいるってこと」でよいじゃん。




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 さて、こうして考えると、武庫川散歩は、宗教家ではナイ!と断言できそうです。



■1 超越的な存在がいるかもしれないが、それはこっちの世界には干渉してこないと考えている。

■2 信者はいない。っていうか、友達すらほとんどいない。

■3 活動方針はけっこういいかげん。ふわふわしている。

■4 教義はあるけど、規範がない。好きにすれば、が口癖。

■5 超越的存在は、なんにもしてこない、ってずっと言ってるじゃん。



ね?宗教じゃないでしょ?



 武庫川散歩において、解脱や悟りというのは、めちゃくちゃ個人的な概念なので、けして宗教ではありません。


(最近、よく「ファンです!」と言われることが増えたのですが、ファンになる人物を間違えていると思いますよ。で、どうせならファンじゃなくて崇拝とかしてほしいのですが、どうやらそういうキャラではないようで)



 ただ、そういう考えに到達すると、おのずと生き方というのは決まってきます。


 たとえば本当に悟りを開いた人物がいるとしましょう。


 彼がいう言葉と



 高田純二



がいう言葉は、見分けがつかないかもしれません(笑)


 それくらい飄々、ふわふわしていてもいいじゃありませんか。わはは。










 

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