稀代の解脱者であり、自称他称を問わない哲学者である武庫川散歩ですが、ふだんは、
世を忍ぶ仮の姿で、会社員
をしています。
会社員とは言っても、実はわが社のオーナーは、直接統治をしておらず、うちの会社はわたくし武庫川散歩が、実務上の管理職として働いているというちょっと変わった勤務形態なのですが、それはまた別のお話。
あー、簡単にいえば「雇われママ」
ですね(はあと)
その、雇われママである武庫川は、ふだん自分の勤めている会社のことを、
「この会社の資産と経費を使って、何がしかの成果を挙げ、それをオーナーに上納して自分も利益を得ること」
と定義して働いているのですが、 どうもこういう考え方をしている人間は少ないようで、いつも他の従業員(まあ、端的に言えば部下)とは話がかみ合いません。
ふつうの会社の従業員というのは、「自分が働いて、その結果お金をもらう」ということを仕事だと考えています。
なので、何がしかの「職務」をすれば、お給料がついてくる、と考えがちですが、それではずっと会社に使われっぱなしになります。
また、実は何がしかの職務をしても、その職務は全然お金を生み出していない、ということもよくあるわけです。
すると、ふつうの従業員たちは「自分たちはこんなに職務をしているのに、どうして給料が増えないんだろう」と考えてしまう、という悪いベクトルに進んでしまうのです。
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たとえば、今日こんなことがありました。
ある若い従業員が、今から自分が配達にいかねばならない顧客の荷物の準備をしていました。
そこへ、別の得意先の顧客が来て、 「これこれの品物がほしいんだけれど」と尋ねました。
彼は、最初本人の話を聞いて、途中で「あ、自分には何かわからないので、事務所に行って聞いてください」と答え、自分が最初していた仕事に戻ったわけです。
すると、その顧客は事務所に入って、クレームを言ったのです。「あなたのところの従業員は、やる気がないのか?」と。
管理職である私は、もちろん、顧客に対して謝罪し、今後ともお付き合い願いたい旨をお願いしたわけですが、まず、この話のどこがまずいのかわかるかどうかが、成功する人間へと第一歩だと思われます(^^
従業員からすれば、「自分はきちんと応対した、何を言っているのかわからなかったので、事務所にはわかる人間がいるということを伝えたんだ」と言っていましたが、それはもちろん、その従業員の言うとおりです。理論的には、たしかにそれは理屈に合うでしょう。
彼は
① 自分の荷物を準備するという職務をきちんとこなしていた。
② やってきた顧客の話を聞き、事務所に尋ねるよう”最も適切だと思われる回答”をした。
と考えています。もちろん、その通りです。
では、何がまずかったのでしょうか?
これがきちんと答えられる人は、まず大物になれる素質があります。
さて、回答です。
彼は2つの職務を彼なりに一生懸命にやっていたのだとは思いますが、実は「職務を果たしていたが、成果を挙げていな」かったのです。
顧客が欲しかったものが何か、ということに最終的に関与せず、途中で放り出してしまっていることが、成果に結びつかなかったということが、理解できていないのです。
もし、最後まで顧客に寄り添って「欲しいものが何だったのかを、見つかるまで聞き出し、一緒に探していた」なら、彼は2つの成果を手にいれたことでしょう。
ひとつは、顧客が欲しがっていたものという直近の成果と
もうひとつは、この従業員は親身になってくれ、役に立ってくれるという顧客の信頼です。
もし、最後まで「顧客が欲しがっていたものが何かわからなければ、事務所に入って担当者を呼び出して一緒に尋ねる」だけでも良かったのです。
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このように、「職務をきちんと果たす」というだけでは、その仕事は給与や待遇には反映されません。それどころか、自分ではきちんと仕事をしているつもりなのに、顧客にクレームを言われるという「損」をしてしまうことだってあるわけです。
しかし、解脱者的には、この従業員がまだまだ「成功には道のりが遠いだろうな」と思われる究極のポイントがまだひとつ残っています。
それが、今回のタイトルである「たった一つのルール」なのですが、これまたみなさまには、それが何がわかるでしょうか?
実は、前半長々と書きましたが、そんなことよりももっと重要なことが、この話全体には隠れているのです。
この従業員が成功者になるには、いったい何が足りないと言うのでしょうか。
それは、「自分が失敗をしたんだ、という気付き。自覚」です。
成功するものは、自分が過ちやミスを犯したとき、それが「まずかった」ということをきちんと自覚し、悔います。
「あー!やっちまった!」
それだけでいいのです。とても簡単なことです。
ところが、ほとんどの人は「いや、それにはこういう流れがあって」とか「こういう意味で」とか、何か自分を正当化したり、なかなかミスを心地よく認める気持ちにはなれません。
これが、成功する人間へのせっかくのルートを阻むのです。成功できないのは、自分自身のせいなのです。
このことはとても大事なポイントです。
よく、「成功する者とは、たくさんの失敗をしてきた者だ」という言い方をしますが、 この単純な言い回しの中に、
深ーい意味
が潜んでいることにお気づきになるでしょうか?
そうです。たくさんの失敗そのものを、多くの人は「そもそも、認めたり自覚しない」のです。
だからいつまでたっても「自分は失敗をしていないつもり」のままで「成功もしない」のです。
”ミスをしても、反省してやり直せばいい”といった言い回しもよく聞きますが、これを自分で自分に言い聞かせて、ミスをミスと認めることが、一番難しいものなのかもしれません。
私は解脱者ですが、たくさんの間違いを犯します。その過ちに、深く心を痛めます。
その痛みを、明日への糧として今度は、生きる喜びに変えることができるからこそ、解脱者なのです。
にんげんなんだもの。
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