この悟るヒントでも、基本的には好意的なスタンスで取り上げている「アドラー心理学」ですが、ここにきてパクリが多くてややこしいことになっているようで(笑)
アドラー便乗本、類似本は誤解だらけ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160630-00010001-yomonline-life
誤解だらけのアドラー心理学
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160627-OYT8T50061.html?page_no=1
なんでも、書店には500冊を超えるアドラー関連本が出ていて、そのうちの大半は
「柳の下のどじょう本」
なので、どんどん元ネタからずれていっている、という(笑)
まあ、商業主義の世の中なのでありそうなことだと思いますが。
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で、元祖アドラーの「岸見一郎」氏が、これじゃあいかんと
「これが本家で元祖だ!」
と頑張っておられるというお話。
そういえば、元祖天才バカボンは知っているが、本家秀才バカボンは存在するのだろうか。(遠い目)
というわけで、今回は、岸見氏が指摘するアドラー心理学の「間違っちゃいけないポイント」を解脱者がさらにツッコむ、という内容でお届けすることにいたしましょう。
<アドラーをめぐる誤解・疑問> そもそもトラウマはあるのか?!
アドラー心理学の登場で、いちばんびっくらこいたのは「トラウマなんて、ぶっとばせ」ということだったように思います。
それまで心理学というものは、希代の変態「フロイト&ユング」による、
「すべてはエッチな妄想説」とか「すべてはトラウマ説」とか
に支配されていましたから、 過去の経験とそれによる人生の生き方との因果を否定するのはかなり
「斬新」
に感じられたものです。
で、そこで単純な疑問。トラウマってあるの?それともないの?
・・・この問題については、「あるのかないのか」をアドラーは追求したいわけではない、という点を押さえておくほうがよろしいようです。
フロイトは、「人は無意識的なものに支配されて、それで行動決定するのではないか」と考えたので、旧型心理学では「トラウマ」を全面に押し出す、ということです。
それに対してアドラーは、「人は自由意志を持っている理性的存在なので、自己決定できる」と考えたから、トラウマを重視しなかったということになります。
これは、実は面白いことで、心の病を持っている人にとっては、旧型心理学では
「過去の出来事のせいなので、あなたは悪くないよ。よしよし」
と言って慰めてくれるのだけれど、アドラーは、
「いや、過去はどうでもいいから、これからあんたはどうしたいんだ」
と、いきなり現実ひきもどされる、ということを意味します。
なので、メンヘラはたぶんアドラーが嫌い(爆笑)
リストカットして、「わたし、いじめられてたの」という女子に、
「明日からどうやって稼ぐんだ?。どんな仕事がしたいんだ?」
とぶちかますのがアドラーだ、ということなので、メンヘラ女子はきっとあすからアドラー医院には通わないかもしれません(笑)
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さて、アドラーの論において私が好きなのは、「つらい現実があっても、生きていかねばならない」ということだと思います。
解脱者にとって、この世界は無常ではありますが、それはニュートラルでふわふわした「なんにもないのよ〜」な無常ではありません。
清も濁も、善も悪も、理性も破廉恥もすべて飲み込んだような、ぐっちょんどろどろの世界こそ無常なのですから、そこを渡ってゆくには、えげつない覚悟が必要だと考えます。
その肝が座った時に、解脱者は何事にも動じず、迷わず、そしてむしろその状況を楽しむことができるようになる、というわけです。
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