2016年8月18日木曜日
現代は、人類史上最も幸せな時代である 〜少なくとも、先進国民(日本を含む)にとっては〜
今、自分が「幸せではない」と感じている人は多いと思います。
あるいは、自分は「これから幸せではなくなるのではないか」という不安にかられている人も多いかもしれません。
それは、ある意味正しく、ある意味間違っているのですが、希代の哲学者にして解脱者である武庫川が、先進国民にとっての現代の私たちが
歴史上、最も幸せな時代に生きている
ことを明解に説明することにしましょう。
産業革命によって、飛躍的な経済成長が欧米を中心に生まれましたが、それまでの世界の社会と言うのは、ほぼ「横ばい」の成長をしており、簡単に言えば
「鎌倉時代ぐらいから、江戸時代まで、日本人は同じような生活ぶりを延々とくり返していた」
というイメージだとよくわかると思います。
その間、日本人の多くは、「食って寝て、子供が出来てまた食って寝る」という生活を基本的には延々と続けていたし、多少科学技術のようなものが発展したとしても、これらも「動物の力か、あるいは人力をメインとする」技術に過ぎませんでした。
日本だけではなく、こうしたイメージは実はヨーロッパでも同じで、中世の貴族の流れを組むエリザベス女王が、英国のトップとして現在も君臨していることからもそれがわかります。
欧米諸国に貴族の末裔がいるのは、日本で言えば「やっぱり源氏は土地をたくさんもっている領主だよね」とか、「藤原氏の子孫は、いい大学に行くもんだよ」と言っているのと同じです。
(ちなみに、ヨーロッパは日本よりも遥かに『出自による身分、階級差』が色濃く、現在も残っています)
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ところが、産業革命により、主に蒸気機関が発明されてからは「あれよあれよ」という間に、世界の情勢は変化しました。
いわゆる欧米諸国は、「蒸気エンジンの船」を使って世界中を制服し、『宗主国と植民地』という立場を作ってゆきます。
日本は、なんだかんだ言って植民地にされそうな雰囲気でしたが、実は秀吉がキリシタンを弾圧したり、家康が鎖国をすることで、列強の思惑をはねのけ、結果的に明治維新を経て「支配者側」の立場に立つことに成功しています。
植民地モデルというのは、とても簡単です。
植民地から資源を安く買い叩いて引っ張ってきて、宗主国が潤うという形態ですから、植民地のみなさんが苦しんで、宗主国が幸せになるということでした。
この、単純に資源をあっちからこっちへ引っ張ってきて、こっちが潤うというのが、植民地モデルの基礎だとすると、第二次世界大戦後は、もう少しレベルが上がった「擬似植民地モデル」が生まれます。
擬似植民地モデルというのは、植民地の場合は「宗主国が直接統治」していたのに対して、「先進国の言うことを聞く現地統治者」を立てて、政治的には独立しているのに、経済的には支配するスタイルを指します。
もちろん、戦後の日本もこのモデルを適用されて支配されているので、「コカコーラ社やマクドナルドの店が日本にある」とか「ヤマザキがナビスコの下で働いている」とか、アメリカ経済の影響下にあったことは否めません。
しかし、先進国となった日本は、今度は海外で同じことをしたので、今では「スズキ自動車がインドにある」とか「ハリウッド映画にJVC(元のビクター)の家電が映っている」とか、そういうことも起こっているわけです。
途上国に目をやると、欧米諸国などの先進国が、軍備を優先的にある政治家に譲り渡して、間接的に統治をする、ということも多々あります。
中東に欧米諸国の傀儡政権ができたり、韓国がアメリカの支配下にあったりするのも同じです。
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さて、植民地モデルや擬似植民地モデルでは、「先進国」に所属する国家の住民は、途上国や支配下にある国々からの上前をはねることができたので、
「先進国の国民みんなが、それなりに豊か」
になることができました。
ところが、21世紀に入ると、世界の情勢が怪しくなってきます。
まず、欧米が隠れて支援していた各地の独裁政権が、欧米に反旗を翻したり、独立しようとしたりしはじめ、ボロが出てきます。
これまでのように、宗主国や先進国のコントロールが効かない状況が、世界のあちこちで生まれ始めているわけです。
その一方で、経済はどんどん国境がないグローバル化が進んで、「世界企業」が直接、各国の経済で活動するようになりました。
例を挙げれば、アマゾンが直接各国で販売を行うとか、アップルが世界中でiphoneを売るとか、グーグルがネット検索と広告を支配するとかですね。
(これまでの擬似植民地モデルだと、iphoneのような製品は、海外に現地工場を立て、現地工場で製作されたものがその国で販売されるようなスタイルでしたが、iphoneは、アメリカで企画し、台湾の会社に製作を依頼し、中国の工場で作られ、世界中に送るというスタイルになっています。企画から製作販売までもがグローバル化されているのです)
この第3段階の形態では、恐ろしいことが起こります。
これまでだと、宗主国や先進国民にも当然おこぼれがあり、その国民は豊かであり得たのですが、iphoneの例を見てわかるように、
「製品を企画する企業は、まず儲けを得ることができる」
「製品を製造する現地企業は、製造の対価を得ることができる」
のですが、それ以外の国民には、全然利益が還元されないことが生じてくるのです。
iphoneでは、sony製カメラが搭載されているので、sonyの工場で働く者には、対価が還元されるかもしれませんが、次のカメラが仮に、sumsung製でチョイスされたら、日本人には何も還元されなくなる、というのがグローバル企業のやり方なのです。
つまり、グローバル企業の本体そのものが「宗主国や、先進国」のような動きをして、その都度自分に都合のいい外野の企業(それがどこの国にあってもあまり関係ない)が、植民地のような動きをするという
「(流動的)植民企業モデル」
のようなものへと移ってきているわけですね。
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これをやられると、「宗主国民である」とか「先進国民である」ということは、ほとんど意味をなさなくなってくることがわかるでしょうか?
「先進企業の中核に所属している」者と「(一時的に)先進企業の下請けをさせてもらっている」者
しか、利益の配分を受けることができません。なので、日本人よりも中国人がお金持ちとか、イギリス人よりも東南アジアの人がお金持ち、ということがどんどん起こってくるのです。
これが世界中の先進国で起こっているために、欧米人が移民に仕事を奪われた、とか、日本人に格差が生まれたとか、そういうことが起きはじめた、ということになります。
簡単に言えば、今はちょうどその過渡期ですから、
「今、まさにこの瞬間が先進国民にとって最も幸せの絶頂であって、ここから先は落ちるしかない」
ということが言えるのです。
そう!今は人類史上、最も幸せな瞬間だったのです!!!
これから先、この幸せを維持しようと思えば、最も良いのは、グローバル経済を支配する側の企業に回る、ということですが、これが叶うのは日本人や先進国民の一部だけにとどまります。
なので、中流層という身分がいっそう少なくなってゆき、格差は拡大することでしょう。
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パソコンの進化が止まり、テレビの進化が止まり、iphoneですら特段革新的機能がつかなくなりました。
武庫川は今40歳代ですが、casioの液晶テレビを持ち歩き、sonyのCDラジカセで音楽を聴き、ウォークマンにカセットを入れて闊歩していた頃と、現在を比べても、当時は当時で十分幸せだったな、と思います。
たしかに、80年代、90年代よりも電化製品やIT製品は進歩しましたが、それも今が頂点で、ここから先はそれほど変わらないかな、とも思います。
自動車ももう何十年も変化していないし、ちょっと自動ブレーキが増えたくらいのものです。
飛行機だって誰もが自家用で空を飛べる時代は、おそらく来ないでしょう。
宇宙開発も、月面着陸以降、ストップしています。
ようするに、技術の発展や進歩も、あと少しくらいは伸びしろがあったとしても、まあまあここが限界なのです。
だから、何度も言いますが、
あなたやわたしは今、とても最上級に幸せな生活を享受しているのです!!!
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