2016年9月22日木曜日

【解脱者・武庫川散歩の”真”哲学論4】 資本主義というモンスター




 こんにちは。


 複雑に入り組んだ現代社会に、鋭いメスを入れ様々な謎や疑問を徹底的に究明するシリーズ、いよいよ第4回に入ります。



 今日のテーマは大物ですよ!なんと資本主義そのものについて、戦いを挑もうというのです!




☆ 元ネタはこちら

いま世界の哲学者が考えていること
http://diamond.jp/articles/-/101911




(3)「資本主義」という制度に、私たちはどう向き合えばいいか?

【武庫川的哲学思想】 資本は幻想だったのかもしれない。モンスターと化した資本主義。


 マルクス主義と共産主義システムの失敗によって、近現代の「時代の覇者」となった資本主義ですが、これが「人類の作った文化文明システムの完成形」と思われた時代がついに崩壊し


 資本主義の終わり



が囁かれるようになりました。実際、私たち先進国民にとっても「資本主義の限界や矛盾」が明らかになってきた今、「いよいよこのシステムは間違っていたのではないか」とさえ肌で感じる昨今です。


 哲学者たちも、この課題には切羽詰りながら取り組んでいることでしょう。


 そんな中近年最も注目を集めたのはピケティの「21世紀の資本」であり、 この本が言いたかったことは結局「格差社会を適切な再分配によって乗り切ろう」という一つの提案でありました。


 さて、資本主義をめぐる課題にはいろいろな要素が山ほどあるので、一口では語れないのですが、解脱者が



 資本主義の本質についても悟ってしまう



とこうなる、というお話を今日はしておきたいと思います。


 さて、どの経済の入門書を見ても、「資本主義とは何か」という説明をするときにはこんな話が出てきます。

”資本家と労働者がいて、資本家が資本を出して労働者に働かせて利益を生んで、うんちゃらかんちゃら”


 しかし、これはいわば「古典的」な資本主義の像であって、現代ではすでにこのレベルを大きく逸脱していることをまず理解する必要があるでしょう。


 たとえば、「人々がモノを欲しがっている状況」であれば、資本家が労働者をどんどん働かせれば、それだけ製品がたくさん出来上がり、利益も大きくすることができます。

 しかし、現代のように「もう全員がスマホを持ち、お風呂とトイレがほぼどの家にもある」ような状況になると、資本家がどれだけ注力し、労働者をどれだけ働かせても赤字になる一方です。


 こうした時代が来てしまうと、「古典的資本主義モデルでは、対応できない」ことになり、これがひとつの「資本主義の限界」を示しているということにもなるわけです。


 さらには、現代ではすでに国家という枠組みを超えて資本主義が世界を支配していますので、グローバル市場における相互作用と、各国の思惑などが複雑に絡み合うと、さらに混迷を極めるということが起きているのはご承知の通りですね。




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  しかし、それよりもむしろ「資本主義が本質的に体内に宿している化け物」についてしっかり押さえておくことにしましょう。

 そう!資本主義は本来モンスターであり、必ず人間に牙を向く問題点を内包している、ということはみなさんにとって驚きだろうと思います。


 それを解脱者流にわかりやすく説明してみるといたしましょう。



 まず、原始的な商取引というのは物々交換でした。


 Aさんの持つりんごとBさんの持つみかんがあって、それを交換してどちらもおいしくいただきました、というアレです。


 これはりんごとみかんの価値の差については別に譲るとして、基本的には等価交換ですから「質量保存の法則」にしたがっているし、数式の右辺と左辺が一緒になる意味でも、これはわかりやすいお話です。


 ところが、現代の商取引には「利益や利息」がかならず付随します。


 100円分のりんごは120円で売り買いされるというものです。


 ではこの20円分は、いったいどこからやってきた何者なのでしょうか?

 
 実は、この20円というモノの物質的な理由付けは、近代経済学においても


 よくわからない


 代物だったりするわけです。


 よくわからないから、私たちは必死で理由を考えます。流通経路において経費がかかるとか、需要と供給によってその価値が変動するとか、いろいろな理由付けを必死で後付けするのですが、


「仮にりんごが商品棚から落ちて、傷がついたとして、それを80円で売ることになっても別に流通経路にかかった費用が経るわけでもない」


し、さらには、もしそのりんごが人類にとって最後の1個であれば


「棚から落ちて傷がつこうが、りんごの存在価値は落ちる前とおなじでやっぱり最後の1個としての価値がある」


ことは変わらないわけです。


 じゃあ、なぜ80円になったり、ならなかったり、そもそもなぜ堕ちたら80円なのか、も誰にも説明がつかない結果論だったりすることは、とても大切な視点ですね。


 オークションなんかはその良い例で、このりんごが82円で落札されるのか、84円だったのかは、


 まさしくすべては結果論で後付けの理由でしか説明できない



ことがよくわかると思います。



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 資本主義が飼っているモンスターは、価値や価格といった「変幻自在に膨れ上がる何か」です。


 それは人間の欲望と思惑によって大きく膨れ上がり、時には小さくなってみせたりもするまさに妖怪のような存在だったりします。


 ただ、私たちの住むセカイは


「原子や分子といった、きちんと整合された物理科学の秩序ある世界」


ですから、すべての資本主義的融理論はどんなに膨れ上がっても最後は


「質量・エネルギー保存の法則」


によって、再計算・修正されるということを忘れてはいけません。


 つまり、平たくいえば「物々交換の世界における、そこにあるリアルなブツ」に引き戻される、ということです。


 バブル崩壊やリーマンショックはこれです。

 肥大化した貨幣としての金額が実態に見合っていないことがバレた瞬間、それらは一瞬にしてリアルなブツの価値分へと引き戻されるということが、資本主義社会ではかならず起こるようになっているのです。



 なぜなら、肥大化した分は、常に幻想だからです。




  
 仮に、世界が世界じゅうの資源を食い尽くした未来がやってくるとしましょう。その時には、貨幣をいくら山のように積んでも、一本のにんじんを持っているほうが勝ちなのです。

 あるいは、一個のじゃがいもを持っている者のほうが生き延びられることになります。


 にんじんとじゃがいもは交換される可能性を残していますが、それがそれぞれ最後のにんじんでありじゃがいもだったとすれば、そこに貨幣の介在する余地はもうありません。


 資本主義における貨幣価値という幻影は、やはり幻だったのだと言わざるを得ません。


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★追記)


 人間の欲望と思惑によって文化文明は肥大化してきましたが、資本主義の良かった点をひとつだけ挙げるとすれば、


「欲望と思惑の肥大化とその実際の入手は、旧来であれば物理的収奪(戦争と暴力)によってなされたが、マネーゲームのおかげで、その戦いは貨幣を通じてなされることになったため、人が直接的に暴力に晒される機会は減った」


ということでしょうか。


 もちろんマネーゲームで自殺するはめになったりすることはありますが、物理的戦争が確実に減少したことは事実だと思います。




 
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残り2ネタあります。つづく。
 
(4)「宗教」は、私たちの心や行動にどう影響をおよぼすか?

【武庫川的哲学思想】 この武庫川散歩が、完全なる宗教を創始しようじゃなイカ。




(5)私たちを取り巻く「地球環境」は、どうなっているか?

【武庫川的哲学思想】 滅びるまで、食らい尽くせばいいんじゃない?

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