2016年9月16日金曜日

【解脱者、セカイを語る 1】 混迷の時代を、セカイ系解脱者が斬る! ~セカイはどこへ向かっているのか~


 解脱者武庫川、そろそろ誕生日を迎えるので、新しい一年にふさわしく新しい企画を!ということで新シリーズを始めたいと思います。



 題して「解脱者、セカイを語る」


 どうも、セカイ系解脱者の武庫川散歩です。名前だけでも覚えて帰ってください。





 ちなみに「セカイ系」というのは、少年少女向けのライトノベルや漫画アニメなどのジャンルでございまして、


「なんかよくわからんけど、主人公の少年少女(まあ、大抵はおしなべて普通そうで、どちらかと言えば内気だったりする性格)が、諸事情でセカイ全体と何らかのつながりができて、主人公の言動によってセカイが大きく変わったりするような」ジャンルのことを言います。


 Wikipediaではこんな風に説明がなされることも。


” 「一人語りの激しい」「たかだか語り手自身の了見を『世界』という誇大な言葉で表したがる傾向」”




 うおおおお!常に一人で語っていて、おまけにムコガワの小さな了見をセカイにつなげて語るなど、まさにこのワタクシのことではないですか!!!!



  というわけで、セカイ系解脱者の武庫川が、混迷の時代を生き抜くための知恵と知識を、凡夫のみなさまにお伝えしようというのが、この新コーナーのテーマなのです。




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 さて、なんだか隣の国とは「戦争がはじまりそう」だったり、自分の国でも「経済格差や貧困」が問題になっていたり、「ブラックな企業だのホワイトな家族だの」が取り沙汰されたり、「少子高齢化で国力が衰えたり」いろんなことが起きている昨今です。


 世界に目を向ければ「移民問題」「EU離脱問題」「テロ問題」「中国の領土領海問題」なども山積みです。



 そういう世界において、これからの私たちはどのように生きていけばよいのか、は実は宗教や思想・哲学に関心のない人でも「心のどこかで悶々としている問い」であることは否めません。



 そこで、希代の哲学者にして、解脱者でもあるこの武庫川散歩が、そんな苦しみに溢れたセカイに一筋の光明を!というのが、これからお話するネタなのであります。



 能書きはこれくらいにして、さっそくセカイを説く、その中身に入ってゆくことにいたしましょう。




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【その1  セカイはどこへ向かっているのか 】




 このブログの初期に、世界と宗教との関係について連続して解説した記事がありましたね。

  http://satori-awake.blogspot.jp/2014/01/blog-post_25.html

(↑忘れた人はこのへんからどうぞ)


 その記事を思い出してくだされば分かる通り、実は「国家・民族」は「宗教」と密接な関係を持って成長し、文化は発展してきました。

 その結果として、『キリスト教文化圏=先進国=欧米=民主主義と資本主義』『イスラム文化圏=中東中心=反資本主義・反欧米』『アジア宗教圏=追いつけ追い越せ型先進国(日本・中国)=儒教的文化など独自路線が残る資本主義』みたいな構図が、今私たちを取り巻くことになりました。


 まあ、そのせいで、まず第一にセカイには「キリスト教」VS「イスラム教」みたいな対立が生じていることを覚えておかなくてはなりません。

 


 この宗教対立は、「いつかセカイの文化文明が発展すれば、解決する問題だ」と思っている人がいるかもしれません。


 あるいは、「中東の問題やイスラム関連のテロも、いつかは無くなる」と思っている人もいるかもしれません。



 しかし!それは間違いです。とここで言いきっておくことにしましょう。



 宗教的な対立は、おそらく人類の歴史において、ほぼ永遠に解決しない。



 これを解脱者は宣言しておきたいと思います。





 なぜ、そう言えるのかは、意外と簡単かもしれません。セカイの歴史には様々な複雑な要因が入り組んでいますが、ポイントを絞れば、そうした対立の構造は、とても単純だったりするのです。


 ポイントを2つに絞りましょう。


 宗教的対立が解決しない理由、その1つめは、


1) 宗教の正誤は、誰にも証明できないから。


ということです。


 キリストの意志とムハンマドの意志、あるいはエホバの意志とアラーの意志を客観的に並べ、あるいはその意見を交換させ、そしてどちらかが正しく、どちらかが誤っているという答えを得ることは、誰にもできません。


 ということは、「誰もが、自由にその意志を受け止めることができ、解釈することができる」ということに他なりません。



 したがって、キリスト教とユダヤ教とイスラム教の見解が統一されることはなく、そのためいつまでたっても「自分は正しいが、あいつは間違っている」ということが生じ続けることになるわけです。


 これでは対立は、解決しません。そして、もう一つの理由が、実は大きいのです。



2)  その本質は宗教というよりも格差の対立であるから


ということ。これはとても大事です。しっかり理解しましょう。




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 私たちは、セカイに巻き起こる宗教対立を「教義の対立」であると思っています。ところが、実はそうではなく、私たち日本人が初詣をしながらクリスマスケーキを食べることからわかるように「教義なんか違っていても、なんとかなる」のが実態なのです。


 では、なんとかならないのは「一体なに」だと言うのでしょうか?


 それは「格差」です。



 現在、欧米と中東がトラブルをたくさん抱えているのは、この「格差」の問題が隠れています。


 キリスト教圏のメンバーは、産業革命を経て早い段階から「経済成長」を遂げた先進国、つまり欧米が主流です。彼らはお金と力を持っていますが、イスラム教圏のメンバーは、十字軍の頃から欧米諸国に軍事的に圧力を受け、被害を被っています。


 なので、イスラム教圏のメンバーは、キリスト教圏メンバーに対して、反旗を翻すことになりました。


「私たちが虐げられるのは(あるいは格差があるのは)彼らのせいだ。」


と。


 イスラム過激派のテロリストが、「資本主義と欧米」を憎むのは、そうしたバックグラウンドがあります。


 あるいは、アラブの人たちが、経済力で土地を奪い取ったイスラエルに反感を抱くのも、そこに「格差」があるからなのです。




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 この格差と宗教が結びつくと、大きなエネルギーが生じます。


「私たちは正しい神を信仰しているのに、この格差はなぜ起きるんだ」


という疑念は


「私たちは正しい神の力で、彼らから奪い、正そう」


という思想へとすぐに切り替わります。



  戦時中の日本が「神国日本は勝つ。神風が吹く。負けるはずがない」と言っていたのも、同じ理屈です。



 日本も、また欧米列強との格差を縮めようとして、富国強兵路線を突き進んだのです。





 というわけで、第一回の今回のポイントは、



 セカイは対立へと向かっている



という点でした。


 中国と日本においてもそうです。中国は「日本を超えたい」と思っています。 彼らには


「中華思想(中国は世界の中心である。そしてそうあるべきである)」


という一種の宗教がありますから、その思想と、これまで後進国に甘んじてきた劣等感が結びついて、強大なエネルギーを生み出している、というわけなのです。




 まずは、「対立」というツボを覚えておきましょうね。(次回へつづく)












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