2018年4月27日金曜日
緑内障で失明する日まで。
この世界の片隅でひっそりと生きる稀代の解脱者、武庫川散歩は今日、病院へ行ってきて、
緑内障
と診断されました。そう!あの失明するやつですよ。
先日”40歳を過ぎたら20人に1人は緑内障予備軍”というネット記事が配信されていて、思わず簡易的な視野の検査を自分でやってみたら
「目が!目がああああああ!」
とムスカ大佐なことを発見、さっそく先日より眼科へ行って、今日本格的な検査を終えての診断でございます。
さっそく本日より、眼圧を下げる治療が開始されるわけですが、血圧も高いし眼圧も高いし、人生とは無常なものだ、と相変わらず枯れております。
しかし、まあ、なんですねえ~(今は懐かしき桂小枝風に読んでね)
ふだん、解脱者を名乗ってはいるものの、これで本当に視力を失った暁には、
「盲目で解脱者を名乗る男」
として、あ、あ、あ、あのシト(ヴィルデモートか!)になってしまうではないですか!!!!
これで、空中に浮遊でもできたら、もはや完璧なのですが、残念ながらわたくし武庫川は、プールに行くのが好きなので
水中浮遊
は得意ですが、空中は無理です。
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さて、そもそも小学生から中学生ぐらいには、「わしは作家になって太宰のように自殺するのだ、きっと」と思っていたムコガワなので、死というものを恐れる気はあまりありません。
むしろふだん言っているように、人間とはコンピュータと同じ機械のようなものだとさえ思っているので、
ああ、こうして人は、今日もまた死に一歩ずつ近づいているのだ
と、さらなる解脱の境地へと誘(いざな)われるわけです。
緑内障というのは、視神経が圧迫されて死んでしまう病気です。なので、失われた視神経は、再び回復することはなく視野は減少する一方で、
死ぬのが先か、失明するのが先か
という先陣争いを寿命と視神経が繰り広げるという「チキンレース」なのであります。
ちなみにうちの祖父は76歳で亡くなり、叔父は73歳、父は63歳と比較的短命家系のため、
ムコガワもたぶん、70越せたらまあ御の字
という寿命であろうと日々思っています。なので、 残り25年ですよ、ワタクシの人生なんて。
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そう考えると、残り25年をどう生きるのか。この目に映るすべてのものを、日々、いやこの瞬間瞬間で大事にしなければならぬと感じるのですね。
これが
「このセカイは無常で、無であるからこそ、有と感じられることに感謝できる」
という解脱の心境なのです。失われることがわかっているからこそ、今は尊いのです。
今日見ることができたお姉さんのパンチラは、まさに記憶に焼き付けるべきものでございましょう。
あるいは明日見ることができるエロサイトのおっぱいについても然りです。
万物に感謝しながら生きる!これこそ仏性なのでございます。
(ちなみに、昨今はセクハラに対してかなり厳しくなっておりますので、女性の方は今後、当ブログを見てはいけませんよ。ダメ・ぜったい!)
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